卒業生
マリアンは周囲の気配をさぐりつつ、石の回廊を、ロゼッタの背後に寄り添うように進んでいた。物音や気配は感じられなかったが、何者かに監視されている圧迫感を感じる。前を行くロゼッタは、それを気にすることなく、杖の先に灯した明かりを手に進み続けた。
『ここがどこかも、その目的が何かも知っています』
ロゼッタはそう告げたが、今のところ、それが何なのか想像も出来ない。いずれにせよ、説明に時間を要することなのだろう。ロゼッタさんの言う通り、フレデリカの安全を確保するまでは、余計なことに時間を使うべきではない。
しかしながら、フレデリカが入学してすぐの旧宿舎で、人ならぬ者に襲われた事件といい、剣技披露会を前に、謎の回廊で行方不明になりかけた件といい、ここがただの貴族向けの学校でないのは明らかだ。
『私が余計なことをした……』
その思いがマリアンの脳裏をかすめる。今思えば、フレデリカが学園へ入学しなかったのは、決して金などの問題ではなく、そうなるよう、誰かがあらかじめ仕組んでおいたとしか考えられない。自分は、むしろその配慮を、全て踏みにじってしまったのではないだろうか?
カスティオールへ行くことになったのも、そもそもフレデリカに会えたのも、誰かがフレデリカを誘い出すために、仕組んだ事なのかもしれない。そんな考えが、マリアンの頭の中を行き来する。
「マリアンさん」
「あっ、はい」
不意にロゼッタが足を止めて、マリアンの方を振り返った。
「あなたは私たち魔法職が、『無詠唱』と呼ぶ力を使えますね?」
「無詠唱ですか?」
呆気にとられたマリアンへ、ロゼッタが頷く。
「あなたが、フレアの代理として決闘をしたときに使った力。この世界の理を超えた力です」
その言葉に、マリアンは息を飲んだ。マナはこの世界に転生してきた、自分たちだけが知っている力だと思っていたが、そうではなかったらしい。フレデリカと自分以外にも、前世からこの世界へ転生してきた人物はいたのだ。
いや、フレデリカが見つけた魔石の存在を考えれば、実は多くの転生者がいたのか、転生者とは関係なしに、この世界にもマナと黒き森は存在していて、単に隠されているだけなのかもしれない。
「はい。私が使ったのは、それだと思います。その力ですが――」
「どうしてあなたが『無詠唱』を使えるかについての説明は、私がここの説明を省いたのと同じく、後にしましょう。マリアンさんにお願いしたいのは、それが必要になった場合、躊躇することなく、その力を使って欲しいのです」
「分かりました」
ロゼッタはマリアンの返事にうなずくと、手にした杖を前に差し出した。
「それと、私たちの相手が決まったようです」
ロゼッタの杖の先、通路の奥にロゼッタが掲げるのと同じ、青白い光の揺らめきが見えた。その光の向こうでは、細身の男が立っている。
「お待ちしておりました」
男は芝居掛かったしぐさで、丁寧に淑女に対する紳士の礼をして見せた。その横には、薔薇や百合、雛菊、それにアザミといった草花の紋章で彩られた重厚な扉がある。
「どうやら私たちをここに招待した誰かさんは、ここであなたと私が、ダンスを踊ることをご所望のようです」
杖を手にした男、トカスのセリフに、ロゼッタが頷く。
「ここはそういう趣向の場所です」
「あの扉は開かないのですか?」
マリアンはロゼッタに、小声で問いかけた。
「残念ながら、あの扉は私が前に開けた扉とは、少し違うようです」
「おや、赤毛のお嬢さんの侍女殿も一緒ですね」
マリアンの姿に目を止めたトカスが、おやっという顔をして見せる。
「この状況でも落ち着いているとは、侍女殿も私と同じ種類の人間ですかね?」
「どういう意味かしら?」
マリアンの代わりに、ロゼッタがトカスへ問いかけた。
「すでにその年で、誰かの魂を遠い所へ送っている」
「それについては、私もその一味かしら?」
「ならば、さっそくダンスをと言いたいところですが、その前に一言よろしいでしょうか?」
「どうぞ――」
「私は暗殺ギルドにいた時から、簡単な仕事には興味がなかった。貴族たち、腹回りの緩い奴らの護衛役なんかくそくらえです。少しはまともな魔法職とやりあいたいと思っていましたが、あなたに出会って、初めて真剣に命のやり取りができると確信しました」
「最初に会ったのは、カスティオールの屋敷でかしら?」
その言葉にトカスが苦笑する。
「かなり気を使ったつもりでしたが、お見通しでしたか?」
おどけて見せるトカスへ、ロゼッタは静かに頷いた。
「たとえ紛れをかけても、魔法職固有の色は消せないものです」
「なるほど。私はあなたと赤毛のお嬢さん以外は、常に遠いところへ送ってきた。なので、その点への配慮が足りませんでしたね。それともう一つ、これはあなたみたいな方には、おっと――」
トカスが手にした杖を横に振る。その瞬間、投擲用のナイフに手を伸ばしたマリアンの体は、見えない何かに押さえつけられた。
「お嬢さん、大人の話はまだ終わっていないんだ。もう少し待ってくれないか? 今のでお分かりだと思いますが、私の方がここに先にいた。その意味はお分かりですよね?」
そう言って、口元に笑みを浮かべたトカスに、ロゼッタは首をかしげた。
「トカスさん、私はここの卒業生なのですよ」
次の瞬間、トカスは杖の先を、回廊の床へ打ち下ろした。