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騙し合い

 ハッセは白亜の塔へ続く中庭から空を見上げた。視線の先では、黄色い光の幕が、空一面を波打つように覆い尽くしている。


「中庭の入り口も、時の回廊も、全ての組み合わせを試しましたが、開きませんでした」


 中年の警備主任の報告に、ハッセは頷いた。目の前にあるのはただの淡い光ではない。その先へ誰かが侵入するのを拒んでいる。


「やはり、通常の経路では突破できないということですね……。行方不明者の捜索は?」


「前の報告から変わり無しです。馬車で移動した学生とその付き人、参加者の一部が依然行方不明。それにはシモン学園長、アルベール警備部長、ロゼッタ教授も含まれています」


「セシリー王妃一行の到着予定時間も過ぎています。到着の報告は来ていますか?」


「そちらも音沙汰なしです。使い魔だけでなく、早馬も送りましたが、内務省はもちろん、王宮魔法庁からも何の返事もありません。黒曜の塔は昼寝でもしているんですかね?」


 警備主任のぼやきに、ハッセは首を横に振った。


「送った使い魔も早馬も、外に出られていないのでしょう。我々の方が隔離されたと考えた方が自然です」


 それを聞いた警備主任の顔が強ばる。


「外部の魔法職の仕業でしょうか?」


「これが魔法職の術なら、術の準備を始めた時点で、王都にいる魔法職全員が気づきます。耳元でドラを鳴らされるようなものです」


「術でないとしたら、何なんでしょうか?」


「穴を開けずに術と同じ力を得る。一部の者が、『無詠唱』と呼ぶものかもしれません」


「無詠唱? 若い頃は王宮魔法庁で、執行官補佐をやっていましたが、そんなものは聞いたことがありません」


「個人的には、私たちの世界の中にある別の世界から、力を得ることだと考えています」


「別の世界ですか!?」


 ハッセの発言に、警備主任が絶句した。


「王宮魔法庁や王立魔法学校では禁忌扱いで、それを口にした時点で首が飛びます」


 ハッセが手にした杖で、地面に大きな丸を描く。


「私たちも自分の世界に穴を開けて、外部から力を得ています。それが可能なのは、この世界が、別の世界の中にある泡のような存在だからです」


 杖を動かすと、ハッセは円の内側にさらに円を付け加えた。


「逆に私たちの内部に別の世界があったとしても、何ら不思議ではありません。これまでは単なる仮説でしたが、その証拠がいきなり目の前に現れるとは、思ってもいませんでした」


「仮にそれが本当だとすれば、私たちに出来ることは何もないのでしょうか?」


 警備主任の問いかけに、ハッセは再び首を横に振った。


「全く違う術式を使う必要はありますが、外部から内部へ穴を開けることも、たぶん可能だと思います。もっとも、実践するのはこれが初めてです。しかしながら、教え子と同僚たちを救うには、これしか方法がなさそうですね」


 そう告げると、ハッセは杖を手に、地面へ複雑な文様を描き始めた。だがすぐにその手を止めて背後を振り返る。そこには小柄で、子供みたいに幼く見える女性が立っていた。


「メルヴィ君、生徒たちの避難誘導は――」


「ハッセ教授……」


 メルヴィはハッセの言葉を遮ると、顔の前で指を横に振って見せる。


「何の検証もなしに、また新しい術式を試すつもりですか?」


 それを聞いたハッセが首を傾げた。


「本当に君は、メルヴィ君かい?」


 ハッセの問いかけに、メルヴィは口の端をわずかに持ち上げた。子供並みの背丈しかない体からは、ただならぬ気配も漂ってくる。その姿に圧倒されつつも、警備主任はメルヴィの前へ進んだ。


「メルヴィ助教、ここは危険ですので、専門棟への退去をお願いします」


「退去すべきなのは、あなたたちの方ではなくて?」


 メルヴィのあまりにも冷ややかな答えに、警備主任が腰の警棒を抜く。次の瞬間、メルヴィの体が跳躍した。警備主任の上を飛び越え、獣のごとくハッセへ襲い掛かる。


 ハッセは杖を前にして、メルヴィの突進をかろうじて防いだ。しかし地面へ押し倒され、杖を喉元へ押し付けられる。


「ゲホゲホゲホ!」


 ハッセは息を求めて盛大にあえいだ。警備主任が手にした警棒をメルヴィへ振り上げる。だが振り下ろすことが出来ない。強大な力で押さえつけられている。


「なんだこれは……」


 警備主任の口から当惑の声が漏れた。視線の先では、メルヴィの腕があり得ない角度で背中へ向けられている。いや、二本の腕が背中から生え、それが警棒を押さえつけていた。


「取り押さえろ!」


 警備主任の叫びに、他の警備官たちもメルヴィへ向かう。だがメルヴィの背中から新たな腕が生え、それが鞭のように地面を走り、警備員全員をなぎ倒す。ハッセはその隙に地面と杖の間から頭を抜くと、メルヴィの手を跳ねのけ、素早く立ち上がった。


「やっと息が吸えた。普段何気なくしていることも、日頃から感謝すべきことがよく分かったよ」


「息なんかより、日々の私の業務に感謝していただかないと……。それに死んでしまえば、息を吸う必要はありません」


 そう告げるメルヴィの顔はひび割れ、金属で出来た下地が見えている。そこには人としての面影はもはやない。機械仕掛けの人形を思わせる姿になっている。


「やはり君は誰かがつけた、僕の(監視者)だった訳だ。しかも人形に魂を定着させている。世界の構成に関する証拠のみならず、魂が情報として独立し得るのか――その()()まで見られるとは思わなかった」


「教授はいつもそうです。研究ばかりで、私のことなどお構いなし。でも――死ぬのは、怖いんですよね?」


 メルヴィがハッセが手にする杖を指さす。それは震えの為か、地面を絶え間なく叩いている。


「教授のことだから、死後の世界を検証できるとか言って、よろこんでくれると思ったのに……。残念です」


 メルヴィは背中から生えた手を掲げると、再びハッセに飛びかかろうとした。その体が不意に止まる。顔からは一切の感情が消え、まるで人形みたいに立ち尽くす。


「君も魂は肉体から独立だと考えているのかね?」


 メルヴィの口から、今までとは全く異なる声が響いた。よろめきながらも立ち上がった警備主任が、その背中へ警棒を振り下ろそうとしたが、素早く回転した腕によって吹き飛ばされる。


「研究者同士で大事な議論をしているんだ。無粋な真似はやめてくれ」


 謎の存在は、地面でうめき声を上げる警備主任へそう告げると、再びハッセの方へ顔を向けた。


「この時代にも、魂の情報化に関する基礎理論を、再発見する者が現われるとは驚きだ。どうしてそれに気づいた?」


 無言のハッセに、メルヴィだった何かが首を傾げる。


「先ほどの発言を踏まえると、すでに何らかの実験も行っている。君もあの男と同じで、世の理を理解するためには、禁忌など一切気にしない(たち)らしい……」


「どなたと比較されているかは分かりませんが、不明な事をそのままにしておくのは、研究に対する冒とくですよ。それに人から知的好奇心を奪ってしまえば、他の動物と同じになります」


「実に惜しい。ステファヌスからは殺せと言われていたが、一先ず延期しておく。そこで世界の再生をおとなしく見ていたまえ」


 ハッセが人形に、大きく肩をすくめて見せる。


「救いたいのは世界ではなく、ご自分の魂ではないのですか?」


 それを聞いた人形が、初めて感情らしきもの、冷笑を浮かべた。


「それを聞いてくるとは、君はただの研究バカではないな。だがほとんどの者にとって、世界の行く末と、自分の行く末は同じことではないのかね?」


「さあどうでしょう? 私が興味があるのは世界の成り立ちであって、行く末ではありません。ですが、自分の同僚と生徒の未来はその例外です」


「おかしいな。君があの男と同じ種類の人間であれば、そんな情緒的発言などしないはず……」


 メルヴィだったものが、首をあり得ない角度へ曲げて見せる。不意にその足元に灰色の泥が現われた。そこから伸びた茨が、人形の体を縛り上げ、泥の中へと引きずり込んでいく。


「なるほど、時間稼ぎという訳か……。杖の動きも震えではない。符号だ。それを呪文の代用にした」


「先達に言うのも口幅ったいですが、私たち魔法職は騙しあいが全てです」


「その通りだ。しかも、『忘れられし神々の呪い』とはなかなかに通な術を選ぶ。では君が本当にあの男と同じ種類の人間か、それとも違うのか、彼女を使って試させてもらう……」


 ひび割れた顔が不気味な笑みを浮かべた。次の瞬間、その顔が恐怖に凍り付く。


「きょ、教授、私は――」


「メルヴィ君、どうやら君の魂はその人形に定着されているらしい。私がそれを別の物へ再定着させる。大丈夫、定着の術式自体はすでに検証済みだ」


 メルヴィの体がゆっくりと泥の中へ崩れ落ちる。どうやら気を失ったらしい。ハッセは空を覆う金色の光へ目を向けた。


「これを突破するのは、中にいる者にやってもらうしかないな……」


 そうつぶやくと、ハッセは手にした杖で、新たな術式を地面の上へ描き始めた。

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― 新着の感想 ―
混沌としてきましたね。頭の中で整理が難しいですw
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