奈落
もしかして、バルツさんが気を付けろと言っていたのはこれですか?
「あっちいけ!」
両手を振ってみるが、黒鳥たちがひるむ様子は全くない。見渡せば、黒鳥のほとんどは私に向かってきており、オリヴィアさんの方は、数羽がその周りを回っているだけだ。バルツさんが、弁当のおかずがどうのこうのと言っていたのを思い出す。
「私はうら若き乙女です。弁当のおかずではありません!」
黒鳥たちは私の叫びを無視すると、まるで恨みでもあるみたいに威嚇してきた。数羽が私めがけて、黒曜石の矢じりみたいな嘴で突き刺そうとする。こんなのにつつかれたら、流血ぐらいでは済みません。本当にやつらのおかずになってしまいます。
「やめて――!」
思わず悲鳴を上げた時だ。頭上で鳳が羽を広げるのが見えた。同時に、その羽の端から赤い炎がほとばしる。それは炎の鞭となって、黒鳥たちに襲い掛かった。
『見たか、これがロゼッタさんの力だ!』
そう思ったが、黒鳥の群れは形を変え、炎の間を自在に潜り抜けていく。その動きは、鳥と言うより巨大な蠅を思わせた。
「もっと火力をあげられないのか?」
「お嬢さんたちを黒焦げにするつもりか!」
アルベールさんの問いかけに、トカスさんが怒鳴り返す。その通りで、今でも皮膚が焼けそうなぐらいに熱い。さらに炎をまかれたら、黒鳥より前に、私の方が黒焦げになる。
「こいつらはただの鳥なんかじゃないぞ。『穢れなき水霊の守り手』を召喚しろ。奴らを近づけるな!」
「穢れなき水霊の守り手にして、我らに安らぎと平穏を与える者よ――」
アルベールさんが呪文を唱える声が響く。ロゼッタさんだけじゃありません。こちらにはヘルベルトさんも含め、四人も魔法職がいる。きっと何とかしてくれるはず。
そう思いつつ、黒鳥たちを眺めると、いつの間にか動きが変わっていた。間違いなく数も増えている。黒鳥たちはムクドリみたいに群れを作ると、一匹の巨大な黒鳥へと姿を変えた。
鳳は赤い羽根を広げ、群れに向かって炎を振りまくが、黒鳥たちは自在に形を変え、炎をかわしつつ鳳へと迫ってくる。
「我に永遠の安らぎと平穏を与えたまえ……」
群れの前に、不思議なゆらめきが現われた。アルベールさんが術で召喚してくれたらしい。これは前にも見たことがある。カミラお母さまが私を襲った時に、周りを囲んだ見えない壁だ。
「術が効いていない!?」
だけど、アルベールさんの当惑した声が聞こえた。それに応えるがごとく、黒鳥たちがゆらめきの向こうから、こちらへと飛び込んでくる。
ギュエェエエェェ――!
真っ赤な炎と黒い影が空中で交わった。黒鳥たちは炎の渦をあっさりとよけると、鳳へ襲い掛かる。黒鳥たちの嘴や爪が、鳳の赤い翼に穴を開け、その体を引き裂いていく。その度に、私の体は空中でぐらぐらと揺れた。同時に、体を包んでいた膜が失われていくのを感じる。
『まずい!』
このままでは地面に激突する。そう思って、顔の前に腕を掲げたが、体が地面に近づく様子はなかった。その代わりに、足の方から、競技場の方へ滑り落ちていく。
「フレア!」
ロゼッタさんが私を呼ぶ声が聞こえた。でも、返事をすることすら出来ない。
「彷徨る魂の右手だ。それなら奴らに邪魔されずに、体を確保できる!」
「口じゃなく手を動かせ!」
トカスさんとアーベルさんの声も聞こえるが、その口調はもう怒鳴り合いになっている。顔を上げると、オリヴィアさんも、黒鳥たちの襲撃にあっているのが見えた。せめて彼女の盾になってあげたいと思うが、何も出来ない。
ギュエェ――!
助けるどころか、今度は黒鳥が私めがけて襲ってきた。鳳は残り少ない羽根を動かし、それを打ち払おうとしているが、黒鳥たちには全く効いていない。それよりも、私の体は刻一刻と速さを増しつつ競技場に向かって落ちており、足元には競技場を囲む円柱が迫っていた。
黒塗りの立派な馬車でもバラバラになっている。黒鳥達に穴だらけにされなくても、あの円柱に激突すれば、私は熟れた果実みたいに、その中身をさらけ出す事になってしまう。
私は自分の体を止める方法がないか、必死に辺りを見回した。だけど、空に浮いているこの身を、何とかしてくれそうなものは見つからない。それなら、自分から体を投げ出すのは? うまくいけば、円柱にぶつかるのだけは避けられるかも。そう思って、足を大きく振ろうとした時だ。
「熱い!」
頭の上から赤く光る粉が落ちてきた。見上げると、鳳が火の粉に姿を変えながら、消え去ろうとしている。
『もしかして、死んじゃう?』
そう思った瞬間、心臓が鷲掴みにされる恐怖が、体の奥から湧き上がってきた。同時に、生まれてから今までの風景が、頭の中を流れていく。
お母様と手をつないで、庭を散歩したこと。自分が育てた薔薇が、初めて花を咲かせたこと。ロゼッタさんの授業中、眠たくてほっぺをつねったこと。それらが紙芝居を見ているみたいに、現れては消えていく。
『そうか……、これが走馬灯という奴なんだ』
最後に、前世の懐かしい顔ぶれが私の前にいた。収まりの悪い灰色の髪をした、どこか頼りない男と、黒ずんだ肌をした子供が私を見ている。
『白蓮、百夜……、今度もおばあさんにはなれなかったみたい』
それを聞いた百夜の口が動く。
『お・ろ・か・も・の!』
その言葉に我に返った。同時にこんな理不尽な事で死ぬことに、心の底から怒りが沸き上がってくる。その時だ。自分の体がいきなり引っ張られた。黒鳥に引きずり倒された? そう思ったが違った。とび色の瞳が私を見ている。
「イアン王子!?」
私の体はそりに乗るみたいに王子の体の上にあり、二人で地面の上を滑っている。彼が空中にあった私の体を、地面に引きずり降ろしてくれたらしい。その横ではヘルベルトさんが、同じようにオリヴィアさんの体を抱えて、滑り落ちていくのが見えた。
「突っ込むぞ。頭をさげろ!」
彼の言葉に私は素直にうなずいた。目の前には、真っ黒な得体の知れない何かが迫っている。だけど、不思議と恐怖は感じない。むしろ、前世で森に入るときに感じた時と同じく、謎の高揚感すら覚える。
「そうか……」
どうして自分がそう感じるのか、その理由が分かった。私には仲間が、互いに支えあってくれる人たちがいる。
『私は冒険者だ!』
仲間さえいれば、恐れるものなど何もない。