見解
「なんでしょうか?」
制動盤の耳障りな音に、セシリーは首を傾げた。前の席にはスオメラ全権大使のクレメンスが座っている。こちらの希望で、護衛などはつけていないが、それでも王家のものと分かるこの馬車を、止めるものがいるとは思えない。
「倒木が道を塞いだのかもしれません」
そう告げるクレメンスに、セシリーは頷いた。同時に杖を手に、馬車のドアへ手をかける。目の前に座るクレメンスも、腰にさした短刀に手をかけるのが見えた。真に守るべき存在は馬車の中にはいない。馬車の後ろに備え付けられた、侍従台の上にいる。
セシリーが馬車の扉を開けると、侍女のエミリアが当惑した顔で立っているのが見えた。どうやら緊迫した状況ではないが、何も問題がない訳でもないらしい。セシリーは王妃とは思えぬ軽快さで馬車の外へ降り立つと、行く手を塞ぐ物へ目を向けた。
「コーンウェル?」
視線の先には、自分たちが乗ってきた王族用の馬車にも劣らぬ立派な馬車が、道を塞ぐように停まっている。馬車には金字で雛菊の紋章が描かれているのも見えた。四侯爵家の一つ、コーンウェル家の紋章だ。
「故障、それとも急病人でしょうか?」
侍女のエミリアが、セシリーへ問いかけた。
「エミリア、先方の様子を確認して」
セシリーはそう答えつつ、手にした杖を握りなおした。故障や急病人ならば、後ろから来たこの馬車に助けを求めるか、向こうから事情を説明に来るはずだ。しかし、辺りに人の気配がない。何者かに襲われた可能性もある。
「お急ぎの所、道を塞いでしまい申し訳ございません」
そんな心配は杞憂だったらしい。馬車の影から白髪の人物が、セシリー達に声をかけてきた。
「コーンウェル侯、お一人ですか?」
「ええ、せっかくの機会ですので、余計な者は連れておりません」
コーンウェル侯エイルマーは、帽子を胸にあてつつ、セシリーではなく、その背後へ貴人に対する礼をして見せた。
「スオメラ国王陛下、拝謁の名誉を賜りまして、ありがとうございます」
それを聞くや否や、セシリーは手にした杖を地面に置いた。たとえ相手が四侯爵家の当主であっても、こちらの秘密を知るものを、そのままにしておく訳にはいかない。
「リリア……」
背後から響いた声に、セシリーは地面に置いた杖を持ち上げた。
「これは非公式の会談という奴だ。狩りの際に森で行う談話と同じだよ。コーンウェル侯、そう言う見解であっているだろうか?」
流暢なロストガル語で答えた長身の侍従へ、エイルマーが目を細めて見せる。
「おっしゃる通りです。ですが薔薇を見に、陛下御自身がロストガルまでお越しになるとは思ってもいませんでした。おかげで、いくつか疑問に思っていたことを、直接お聞きする機会を得る事が出来ました」
「コーンウェル侯、お忍びとはいえ、一国の王に面談を申し込むには強引すぎはしませんか?」
そう告げたセシリーに、エイルマーが首をかしげる。
「我が国が大事にしてきた種を無理やり花開かせた挙句、横から強奪するのも、十分に強引だと思いますが?」
「少なくとも、薔薇の半分は我が王家の血を引いている。それに相当する権利の主張は、あってしかるべきでは?」
スオメラ王はそう答えると、馬車の侍従台から飛び降りた。
「薔薇の秘密を知っていると言う事は、貴殿もこの世界の終わりが近い事ぐらい、十分に分かっているはずだ」
「この世界の終わりが近いことには同意します。ですが、その解決手段について、当方は陛下とは異なる見解を持っております」
「ほう、どの点で違うのかな?」
「あなた方は大穴を封印する神殿の塔こそが、世界を救う鍵だと思われている。それで神殿の塔の守護者であるカスティオールへ、クリュオネル王家の血を引く、リリア王女を嫁がせた。ですが、この国に御代から伝わる塔は、神殿の塔だけではありません。もう一つ、白亜の塔があります」
そう告げると、エイルマーは手にした杖で、木々の間に見える純白の塔を差した。
「ご存じとは思いますが、この二つの塔は陰と陽の関係にあります。神殿の塔はクリュオネルの開けた大穴から世界が零れ落ちぬ封印し、白亜の塔は穴の向こうから力を取り込み、神殿の塔へと送り込む」
エイルマーは指で円を作ると、それをセシリー達の前へ向けた。
「維持する力と再生する力、この二つの塔の力でロストガルの地は、いえ、この世界はかろうじて存在しております。300年前、貴国と一部の者の干渉により、この均衡が崩れた時、ロストガルは王都の大半を贄にしました」
「エイルマー殿、姪の様子を見に行く時間もある。歴史的経緯を抜きに、要点だけを説明してもらえると助かる」
「その歴史的経緯こそが重要なのです。神殿の塔と白亜の塔は常に均衡を保っている訳ではありません。白亜の塔の力が足りなくなると、今がまさにそうですが、学園から優秀な子弟を選抜して、この世界を維持してきました。その犠牲に相応する成果を得るのは、我々ロストガルの民だと言う事です」
そう告げたエイルマーへ、今度はスオメラ王が首を傾げた。
「世界の存在に、スオメラもロストガルもない、私はそう思うがね」
「その点については私も同意します。ですが、世界を救うとはこの世界を再生することです。それには今まで多くの犠牲を払ってきた、我らロストガルの民の意思が、反映されるべきだと信じているのです」
「つまり、貴殿は次の世界もクリュオネルと同じように、直接の犠牲を払ってきた者が、無知蒙昧の民を率いるべきだと言っているのかな?」
「世界に秩序は必要です。もっとも、クリュオネルの様に世界の維持を放り投げ、民を犠牲にして、己の不老不死にまい進するような轍を踏むつもりはありません」
「エイルマー殿、同じだよ。同じ行為には同じ結果が待っている。そもそも、欲は我々の魂の一部だ。決して消えたりするものではない」
「ならば、あなたはこの世界がどうあるべきだと思っているのですか?」
「別に何も変えるつもりなどない。継続だ」
「継続?」
「この国に嫁ぐ前に、リリアが私に告げたセリフだよ。畑を耕している人も、街で商売をしている人も、それぞれみんな何かを続ける事で生き、それを誰かに渡して死んでいく。それが無にならないようにするために、自分たち為政者がいるとね」
「この世界そのものに問題があるとは、考えていないのですね?」
エイルマーの問いかけに、スオメラ王はうなずいた。
「どんな世界にも、どんな体制にも問題はあるだろう。時間の経過と共に、それらのいくつかは解決されるかもしれない。そして次の問題が起きる。それが人の営みだ」
「なるほど、『人の営み』ですか……。しかしながら、人を超えた力を振るう存在は、人の営みの内には入りません」
「魔法職の事かね? たとえそれを禁じたところで、いずれ誰かがそれを再発見するだろう。後世の者はその使い方について、もう少し賢くなるかもしれないし、クリュオネルと同様に、自分たちを滅ぼす力として使うかもしれない。それも含めての継続だ」
「私はそうは思いません。魔法職なんてものがいるから、世界をつなぐ穴があるから、全てがおかしくなる」
「弾圧するつもりかい? 始めたら最後、決して終わることのない呪いみたいなものだ」
「その呪いを排除して、新しい世界を作るのです。そのために私は自分の子供も孫も犠牲にし、器を作り上げた」
「まさに見解の相違だな。どうやら意見の交換も終わったようだし、私は姪に会いにいかせて頂く。亡き妹の忘れ形見だ。とても楽しみにしているんだよ」
それを聞いたエイルマーが、小さくため息をついた。
「やはり王族と言う方々は始末に負えませんね。常に自分たちの意思が優先されると信じている。陛下、これはもう始まっているのですよ」
「エミリア!」
セシリーの呼びかけに、エミリアが杖を掲げる。だがエイルマーが手にした杖を軽く振ると、呪文を発する前に、地面から沸き上がった黒い影がその体にまとわりついた。
「昏き者の御使い!」
「セシリー王妃、いえ、アンナ嬢。あなたも魔法職なら、私が先にここに居た意味ぐらい分かっておられるはずだ。もちろん、王宮魔法庁にも、スオメラからの監視にも手は回してある」
「こんなことをして、ただで済むと思っているの!?」
「邪魔さえしなければ、身の安全は保障します。皆さんには私と一緒に、歴史の証人になって頂きたいのですよ。因みにこれはお願いではありません。決定事項です」
そう宣言すると、エイルマーは口元に笑みを浮かべて見せた。