お姫様
「はーい!」
マリに代わって、入り口の横にいた私が扉を開けた。その先で、侍従服姿のアンぐらいの年の少女が、こちらへ深々と頭を下げている。
「フレデリカ様、お迎えに上がりました」
そう告げる少女の顔には見覚えがあった。でも私の記憶の中の少女は、肌は蝋の様に白く、命の光が今にも失われそうだった。しかし目の前にいる少女からは、その時の面影はまったく感じられない。
肌は採れたての桃みたいに赤みを帯び、お兄さんと同じ黒い瞳は、生命の輝きに満ちている。
「ミカエラさん!」
私は彼女に思いっきり抱き着いた。
「フレデリカ様、ドレスがしわになります!」
ミカエラさんが当惑の声を上げる。何を言っているんです。この感動に比べたら、ドレスのシワなど、どうでもいい話ですよ。
「体は大丈夫なの?」
「はい。おかげさまで、普通に生活できるようになりました」
こんな短期間でここまで回復するとは、流石はエルヴィンさんの妹です。うれし涙が頬を伝わる。一生懸命化粧をしてくれたマリには悪いけど、これはとても止められません。いえ、止めたくありません!
「マリ、申し訳ないけど、目元の化粧は落としてもらってもいいかな? やっぱり、自分が自分でない気がするの」
「はい、フレアさん」
マリがぬるま湯に浸したタオルで、私の目元を拭いてくれる。
「自分でやっておいてなんですが、口紅だけの方が、フレアさんらしくていいと思います」
私はマリのセリフに頷いた。正直なところ、剣技披露会自体が、どうでもよくなりました。
「ミカエラさんはどうして学園に?」
「セシリー王妃様のはからいで、王宮で侍女見習いをさせていただきまして、先月から、ソフィアさんの侍女をさせていただいております」
「ソフィアさん?」
マリが怪訝そうな顔をする。
「ソフィア王女様は、敬称をつけるのがお嫌いでして……」
「よく分かります」
侍女や付き人をつけないぐらいの、変わり者の王女様です。さもありなんですね。
「それじゃ、私のこともフレアと呼んでくれないかしら?」
「えっ!」
ミカエラさんが驚いた顔をする。ソフィア王女様が敬称なしなんですから、私だってありですよね?
「フレアさん、ミカエラさんが困っていますよ」
マリが私に首を横に振って見せる。
「だって、一緒に神もどきと戦った仲間ですよ」
何がいけないのか、さっぱり分かりません。
「あ、あの……」
ミカエラさんが、私とマリのやり取りを、あっけにとられた顔で眺めている。今さらながら、ミカエラさんがマリを知らないのに気づいた。
「こちらは、私の世話をしてもらっているマリアンさん。私の親友よ」
「ミカエラさん、マリアンと申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ミカエラ・トルレスと申します。本日はお会いできてとても光栄です。兄からフレデリカ様と同様に、素晴らしい剣の腕をお持ちだとお聞きしております」
ミカエラさんが、羨望のまなざしでマリを見つめる。うんうん。その気持ちはよく分かります。私もミカエラさん側に行って、ワーキャー言いたいところです。
「もう、学園に来たのなら、すぐに教えてくれればいいのに……」
「フレアさん、私たちは使用人ですから、そんな勝手はできません」
マリが呆れた顔で私に告げる。
「そうなの?」
本当にめんどくさい所ですね。やっぱり、ここを作ったご先祖様に、文句の一つも言いたくなります。
「そう言えば、お迎えと言っていましたが?」
マリの問いかけに、ミカエラさんが慌てた顔をした。
「玄関に馬車を寄せてありますので、そちらへご移動をお願いします」
ソフィア王女様恐るべしです。私が色々とやらかしかねないのが、完全に見透かされています。
「マリ、準備はできている?」
「はい、フレアさん」
マリが私のドレスの裾を持ち上げた。
「私もお手伝いさせて頂きます」
「ミカエラさん、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げた私に、なぜかミカエラさんが慌てた顔をする。手伝ってもらうんですから、感謝するのは当たり前ですよね。そもそも、マリとミカエラさんに手伝ってもらえるなんて、なんて贅沢なんでしょう。
「さっさと行って、とっとと終わらせちゃいましょう!」
二人に裾を持ってもらって階段を降りると、ホールにいる生徒たちが、こちらへ視線を向けた。今日は授業が無いので、みんな部屋着姿です。一人でドレスを着ていることに、体に火がついたみたいに熱くなる。
でも、ここでおどおどしていては、手伝ってくれる二人に申し訳ない。必死に背筋を伸ばし、玄関へ向かいます。そこで思わず目が点になった。
腰に長剣を履き、深紅のマントを羽織った剣士が、地面に膝をついて頭を下げている。おもむろに顔をあげた剣士が、私にニヤリと笑って見せた。
「フレデリカお嬢様、お待ちしておりました」
「ド、ドミニクさん!」
「ミカエラ、話をしていなかったのかい?」
「すいません! 伝えるのを忘れていました」
長身ですらりとしているのに、その凶悪、もとい巨大な胸は、胸甲の上からもはっきりと分かります。あまりのスタイルの良さに、他の生徒たちもあっけにとられた顔で、ドミニクさんを眺めている。
「ドミニクさんまで、なんでここに?」
「ミカエラと同じだよ。孤高の剣士のつもりだったんだけどね。とある王女さんの付き人になって、今はこの有様さ」
そう告げると、うんざりした顔でマントのすそを持ち上げて見せる。
「それに前にも言っただろう。お転婆なお嬢様、いや、今日はお姫様だね。その相方は、お人良しの剣士と相場が決まっているんだ」
「それなら、王子の方が一般的じゃありませんか?」
不意に馬車の方から声が響いた。白い礼服に身を包んだ人物が、馬車の扉を開けて、こちらを眺めている。
「イアン王子?」
「フレデリカ嬢、時間がない。さっさと乗ってもらえないか?」
そう告げると、私を馬車へ手招きする。この感動の再会に水を差すとは、なんて情緒のない男なんでしょう。嫌味の一つも言ってやらねばと思った時だ。前世でマ者が近づく時みたいな気配を背中に感じる。
『なんだろう?』
恐る恐る振り返ると、部屋着姿の生徒たちが、こちらをガン見しているのが見えた。