通告
部屋の中に誰かがいる気配に、クレオンは目を覚ました。寝息をたてたまま、そっと枕の下に隠した短剣へ手を伸ばす。留学生のクレオンには、狭いながらも個室が与えられている。もう夜中も過ぎた時間だし、誰かが部屋へ入ってくるなどありえない。
唯一可能性があるとすれば、クレオンと同じ、スオメラからの留学生であるカサンドラだけだが、魔法職のカサンドラは別の手段をとるだろう。
クレオンは相手の機先を制して、ベッドから転がり出ると、短剣の切っ先を部屋の入口の方へ向けた。しかし、月明かりが照らす人物に、思わず息を飲んだ。
「兄上?」
そう声を上げたクレオンに、異母兄弟であり、スオメラの宰相でもあるクレメンスが、口元へ指を立てて見せる。
「そんな物騒なものは閉まって、そちらの椅子にでも腰を下ろせ」
クレオンは素直に頷くと、勉強机の前に置いてある椅子へ腰を掛けた。そしてクレメンスの姿をじっと眺める。その背後にあるのは漆黒の闇だけ。本来そこにあるはずの扉や壁は見えない。
「忙しい兄上が、穴を開けてまで私の所へ出向いてくるとは、一体何の用事です?」
「兄であり、身元引受人でもある私が、お前の様子を見に来て悪いことはなかろう?」
クレメンスのセリフに、クレオンは首をかしげて見せた。
「こんな派手な事をすれば、兄上が私の所に来たのは筒抜けですよ。それとも、この国の魔法職全員が、酒でも飲んで寝ているんですか?」
「寝てはいないだろうし、穴を開けたことにも気づいているだろう。だが、我々を詮索することは禁じられている」
「そんな約束を真に受けるとは、兄上らしくない」
「ロストガル国王、エドモンド13世からの指示だ。この国にも秩序と言うものが存在すれば、順守するだろう」
「一体どんな魔法を使ったんです」
そう告げたクレオンへ、クレメンスが再び口元へ指を立てる。
「薔薇の花びらを数えるものではない。それよりも、明日行われる剣技披露会について、お前の役回りの説明をしたいと思う」
「来賓のセシリー王妃や、兄上にお辞儀をして、カサンドラ相手に舞を踊るだけではない、と言う事ですか……」
「もちろんだ。そんなものの為に、お前をここへ送り込んだりはしない」
「誰かをその場で暗殺しろと言うのであれば、頼む相手を間違えていますよ」
「我が国が必要としているのは、もっと大事な事だ。それにはお前の魂が必要となる」
クレメンスのセリフに、クレオンは怪訝そうな顔をした。
「いきなり何の話です?」
「お前がこの世に生を受けた本来の理由、『薔薇の子供』としての役割を果たしてもらう」
「薔薇の子供……」
そうつぶやいたクレオンに、クレメンスが頷く。
「お前は穴をふさぐ贄となる為に、この世に生まれてきた。しかし、父上はお前の才能にほれ込んだ。私など全く眼中になかったよ。政治生命のみならず、最後は己の命まで犠牲にして、お前を守ろうとした」
「反乱は表向きの理由だったのですね。それで、今さら贄になれと言うのは、兄上から私への意趣返しですか?」
「私個人としては、父上の意思を尊重するつもりだったよ。だが、我が国には才能あるものを遊ばせておく、と言う習慣は存在しない。それにこれは、陛下の決定事項でもある」
「問答無用で奪えばいいじゃないですか。どうして穴まで開けて、わざわざ出向いてきたのです」
「お前の魂がなぜ必要なのか、それを説明するためだ。それと、父上との約束を守れなかったことへの謝罪でもある」
「私が涙を流して喜ぶとでも?」
「何も知らないよりは納得するだろう。お前も気づいていると思うが、使節団も今度の剣技披露会も、ただの表敬訪問などではない。長年の計画の総仕上げとでも言うべきものだ。私もお前も、その歯車の中の一つになる」
「そんなものになったつもりはないですけどね。それにこの監獄みたいにカビくさい場所のどこに、兄上たちが狙うようなものがあるんです?」
「白亜の塔だ。歴史的経緯で、我が国にはクリュオネル時代の物はほとんど残っていない。だが、白亜の塔はこの世界に残された、数少ないクリュオネル時代の遺物であり、その目的は穴の向こうの力の受け皿だ」
「そんなものが無くても、魔法職は術を使えているじゃないですか?」
「ほんのわずかなものを、一瞬だけ借りているに過ぎない。用が済めば、送り返して穴を閉じる必要もある。それを恒久的にこちらへ留めておくための仕組みだ。もっとも、装置だけがあっても動きはしない。それを維持する核となる器と、それに魂を集める必要がある」
「その贄になれと言う事ですね」
クレオンの言葉に、クレメンスは首を横に振った。
「それを為すのは我らではない。この国の者たちだ。彼らはその儀式を、明日の剣技披露会に合わせて行うはずだ。その贄にはここにいるものを使うだろう」
「ここにいる全員をですか?」
「体裁は異なるが、学園は我が国における薔薇の園と同じだ。先ずは器になるものを選抜し、そのものに必要な魂を集約するための儀式を執り行うはず。それには明日ここへ来るセシリー王妃様や、私たちも使うつもりだろう」
「開けっ放しの穴から取り出したもので、空いた穴を塞ぐと言うのは、全く意味がないように思いますが?」
「鍛冶屋が炎の温度をあげるのに使う触媒と同じだ。普通に穴を塞ぐには山ほどの、それも質のいい魂が必要になる。だが白亜の塔と器を使えば、少数の魂で大きな力を得ることが出来るのだ」
「兄上たちはその成果を横取りに来た。その楯になれと言うことですね」
「そうだ。お前たちがこの世界を救うために果たした役割については、私が責任をもって後世の者たちへ伝えよう」
「お断りしますよ」
クレオンはそう告げると、小さく肩をすくめた。
「世界の行く末など、私にとってどうでもいい話です。その前に逃げさせていただきます」
「だろうな。お前のその自由闊達な気風を父上は愛した。だがお前は逃げない」
「何でです? 穴は開いていますが、兄上自身がいるのは向こう側です。私には手を出せない」
「お前はカサンドラを置いて、一人どこかへ逃げるような男ではないからだ」
「はあ? なんで私が、カサンドラなんかの為に――」
「とぼけるのはよせ。母親こそ違うが、カサンドラが自分の妹で、同じ立場なのには気づいているだろう?」
「カサンドラを担いで逃げますよ。暴れたら、気絶させればいいだけです」
「残念ながら、カサンドラには芽が植えられている。どこへ逃げようが、それから逃れることはできない」
それを聞いたクレオンが、大きくため息をついた。
「これだから、権力者のやることはきらいなんです」
「力は常に代償を要求する。魔法職などと言う危険極まりない存在に対し、制御手段を用意するのは当たり前のことだ。同時に、次の世代の魔法職たちの役に立ってもらう」
「兄さんが、権力者の思考法にどっぷりなのはよく分かりました。逃げるのはあきらめることにします。望み通り、カサンドラの贄になりますよ。ですが、私からも兄さんへお願いがあります」
「なんだ?」
「私だけで済ませてもらえませんか?」
「それはお前の努力次第だ」
「可能な限りカサンドラを助けると言う事で、納得してもらったと思っていいいですよね。それともう一つ」
「まだあるのか?」
「明日は早いので、もう出て行ってください」
そう告げると、クレオンはベッドに戻って、掛布を頭から被って見せた。