警告
情報屋のロニーは下町の飲み屋街の狭い通路を抜けると、背後から聞こえる喧騒に耳をすました。誰かが自分を追ってきている気配はしない。入り組んだ建物の間に、ぽっかり開いた空地へ足を踏み入れる。
ここから先は隠れる所が何もない。仮に 誰かが後をついて来ても、追うのを諦めるか、姿を見せる危険を冒すかの二つしかないだろう。誰も姿を見せないことに、ロニーは安堵のため息をついた。
「上からのぞいている連中には、何の効果もないけどな……」
そうつぶやくと、空き地の奥にある、これと言って特徴のない倉庫の半地下へと降りる。続けて脇にあるレンガを動かすと、扉が半回転して、ロニーの体はその向こうへ移された。目の前には侍従服姿のまだ幼い少女が立っている。少女はいきなり現れたロニーに慌てることなく、丁寧に頭を下げた。
「すぐにご主人様にお取次ぎいたします」
そう答えて、奥の通路を示した少女の顔に、ロニーは見覚えがあった。前にここへ来た時に、悲鳴をあげていた少女だ。どうやら、裏口から来る同業者の存在には慣れたらしい。
ロニーは少女に頷くと、その後に続いて通路を進んだ。やがて、多くの書類棚を備えた、巨大な書庫が姿を現す。その真ん中に置かれた机で、分厚い眼鏡をかけた老人が、書類に何かを書き込んでいるのが見えた。
「ロニーか?」
ペンを机に投げ出した老人が、顔を上げる。
「ポンシオじいさん、元気にしていたかい?」
それを聞いた老人が、不機嫌そうな顔をした。
「これだけ若い子に囲まれているんだ。元気に決まっている」
そう告げると、老人は書庫の中で忙しそうに働く、若い侍女たちへ視線を向ける。
「俺みたいに、外をうろついてなんぼの奴からしたら、うらやましい限りだよ」
「そんな口をきいている風では、まともに外を出歩ける事が、どれだけ幸福なことか分かっていないな」
ポンシオのセリフに、ロニーは肩をすくめて見せた。
「それよりも、頼んだ結果を教えて欲しい。これ以上ほったらかしにすると、穴の向こうへ送られちまう」
ポンシオは長く伸びた顎髭を手でしごくと、ロニーを案内してきた少女の方を振り返った。
「エリカ、左2の棚の上から二番目にある書類を、全部持ってきておくれ」
「はい、ご主人様」
少女がパタパタと足音を立てながら走り去っていく。同時に、何人かの侍女たちが、机の上にうずたかく積まれていた書類の束をどこかへと運び去り、純白の白磁でできたティーセットを運んでくる。
ロニーがそれに口をつけようかつけまいか、考えているうちに、ゴロゴロと言う音が聞こえてきた。
「お待たせしました!」
先ほどの少女が、書類の束が山ほど積まれた荷車を、机の前へと運んでくる。そのあまりの多さに、ロニーは面食らった。
「お前の指示通りのものを集めた結果がこれだ」
「多いとは思っていたが、まさかここまでとは……。スオメラのせいか?」
ロニーの問いかけに、ポンシオが長いあごひげをしごきつつ頷いて見せる。
「有力な家や、商家、組織に新しく所属した者の一覧だ。スオメラの件で、海運関係者や魔法職が大量に動いた。流石にこれは多すぎる。昔の友人のよしみで、わしの方でいくつか条件を追加した結果がこれだ」
ポンシオは荷台の一番上に置かれた書類袋を取り上げると、それを机の上に広げた。
「移動元や先の情報がない、または不確かなものを抽出した」
ロニーは雇先ごとに一覧化されている名簿へ目を通すと、その筆頭にある家の名前に、首をかしげて見せる。
「カスティオール? あの貧乏貴族の家が、こんだけ新しく雇い入れたのか……。しかも出自不明なやつらを?」
「ドブネズミだよ」
「ドブネズミって、南区の親なし連中か?」
「そうだ。それがカスティオールの海運部門にやとわれた。実際の所、資金を出しているのはライサ商会だろう」
「海運って、組合を通さないで……。そうか。商家ではないから、組合の範疇の外か。それにライサのケツ持ちは川筋衆だから、海運組合にはにらみが効く。うまい手だな」
そうつぶやくと、ロニーは名簿の先へ視線を移した。
「次はコーンウェル。やはり金と力があるところは違う……」
そこでロニーが、再び首をかしげて見せる。
「ちょっと待ってくれ、雇っているんじゃなくて、首を切っているのか!?」
ロニーはそこにある名前を見て驚いた。ロニーが知っている名前がいくつも並んでいる。そのほとんどが、他の家から紐として、コーンウェル家に入っていた者たちだ。次には王宮魔法庁が、その次には王立学園が続いている。
そのどれもが、どこかの家や大店の息がかかっていた者たちの首を切っていた。その先には、筋者の組織の名前がいくつかあり、ロニーの本命はこのどこかにいると思われたが、今はそれどころではない。
「これって……」
そう声をもらしたロニーに、ポンシオが目配せをした。それを見たロニーの背中を冷たい汗が流れる。
代々犬猿の仲だった二つの塔の責任者、学園長のシモンと宣星官長のレオニートが、裏でつながっていると言う噂は本当だったらしい。その背後にいるのは間違いなくコーンウェル家で、その標的は……。
「爺さん、お願いがある。あんたの学園にいる紐を貸して欲しい」
「お前さんが紐?」
ポンシオが当惑した顔でロニーを眺める。
「もちろん金は払う。そこにいる男に警告したいんだ」
「坊、お前さんは私の友人と呼べる、たった一人の男の忘れ形見だ。父親と同じ間違いはするな」
そのセリフに、ロニーは首を横に振った。そもそも、人の人生が正しかったかどうかなんて、寿命の長さ程度で測れるものだろうか?
「爺さん、人生の正解ってなんなんだ? 親父は情報屋として間違った事をして、命を落としたかもしれない。だけど、それで俺がこの世に生まれたんだ」
ポンシオは長い顎髭をしごくと、大きくため息をついた。
「それで、何を伝えたいんだ?」
「一言でいい。『逃げろ』だ」
「エリカ、右6の棚の上から6番目。その左から4冊目だ」
「はい、ご主人様」
少女が再び、パタパタと足音を立てながら走り去っていく。その後ろ姿を眺めながら、ロニーは手にした紅茶の中身を飲み干した。
一度暗くなった書庫に、再び明かりが灯った。侍従服に身を包んだ少女たちが、書庫の中央へと集まってくる。
「ご主人様はよく寝られていますか?」
その中で一番年かさの少女の問いに、一人の少女がうなずいた。
「龍泉花の花びら入りの紅茶で、ぐっすりお休みになっています」
そう告げると、書架の横にある長椅子を指さす。そこでは小柄な老人が、軽いいびきをかきながら眠っていた。
「では皆さん、私たちの本当のご主人様のための仕事に戻ります」
「はい、お姉様」
「それと、エリカさん」
侍女姿の少女たちが、一斉に書庫の中へ散っていく中、年かさの少女は、その中の一人へ声をかけた。
「書棚のほこりに手の跡を残すなんて失敗は、もうやめてくださいね。その様なことが続くと、不良品として処分されますよ。気をつけてください」
「も、申し訳ありません」
慌てて頭を下げたエリカへ、少女はにっこりと微笑んで見せた。