予行演習
机に残された資料の束に、思わずため息が出た。流石はソフィア王女です。罰の選び方がただ者ではありません。その深謀遠慮に恐れおののいていると、淫乱男がおもむろに立ち上がった。
「あの~、先ほど息をしないでくださいと言ったのを、覚えていますか?」
動いたら、間違いなく息をしますよね?
「残念ながら、その要望には応えられないな。とりあえず、資料をこちらに関係がありそうなものと、なさそうなものに分けるので、しばし黙っていてくれないか?」
そう告げると、手早く資料の束をめくり始める。
「な、なにを偉そうに!」
私の抗議を無視して、淫乱男は恐ろしい速さでページをめくりつつ、そこから何枚か抜き出していく。とても中身を確認しているようには思えない。
「適当に分けているだけじゃないの?」
「昼食に出す料理のレシピが、僕らに関係あると思うかい?」
淫乱男が振り分けた先の一枚を私に差し出す。そこにはとっても難しい名前のスープの作り方が、事細かに書かれていた。これは私たちには関係のない話ですね。
「振り分けが終わるまで、おとなしくしてくれると助かる」
厭味ったらしく告げると、淫乱男は再び資料をめくる作業に戻った。関係ないのは分かるとして、関係ありの方は大丈夫なのだろうか? 抜き出した紙の束に目を向けると、名簿とおぼしきものがある。
「なにこれ!?」
そこで見つけた名前に、思わず声が出た。
「おとなしくしろと言うのが……」
「どうして剣技披露会の参加者の名簿に、ロゼッタさんの名前があるんです!」
「カスティオール家も四侯爵家の一つだ。その付き人のロゼッタ先生が、参加者に名前を連ねるのは、別に不思議ではないと思うが?」
「何を言っているんです。ロゼッタさんが剣を振り回したりする訳ないでしょう?」
「剣技披露会とはあるが、試合をするわけじゃない。一部の付き人が剣技だったり、踊りだったり、その技量を見せるだけだ」
ハッセ先生の言う通りです。私たち生徒が参加する意味は、どこにもない気がする。
「ちなみに剣技披露会への参加は付き人だけじゃない。生徒の参加も認められている」
そう告げると、イアン王子は名簿にある名前を指さした。
「お邪魔虫、もとい、ヘルベルトさん?」
よく見れば、ロゼッタさんだけじゃなく、トカスさんの名前もある。その横には、関係者としてオリヴィアさんの名前も添えられていた。
次のページをめくると、そこに並んでいるのはコーンウェル家をはじめとした、この国の有力な王族、貴族の一覧だ。コーンウェル家の横には学生関係者として、イサベルさんの名前も見える。
もちろん、落ちぶれまくっている我が家はどこにも書いていない。お忙しいお父様はさておき、カミラお母様はさぞがっかりしている事だろう。
「イサベルさんやオリヴィアさんも、学生関係者として出席するんですか?」
「そうだね。もっとも、僕ら生徒は添え物みたいなものだ」
私の質問に答えながらも、イアン王子は淡々とページをめくると、あっという間に書類の束を分け終わった。
「関係があるのは、当日の進行と段取りに関するもの。それに会場の見取り図。後は服装を含めた、細かい注意事項だけだな」
イアン王子が、かなり少なくなった資料の束を示す。ありがたいことに、資料の十分の一、いや、百分の一ぐらいになっている。
「では、行くとしよう」
かなり減った紙の束を手に、イアン王子が私の方を振り返った。
「行くって、どこへ?」
「ハッセ先生の話を聞いただろう。予行演習だよ。場所は中庭の先だ。ついて来たまえ」
そう告げるイアン王子の顔には、なぜか緊張の色が見える。あのですね。イサベルさんやオリヴィアさんと、毎日そこでお昼を食べてますから、私の方がよほど詳しいんですけど。そう思いながら、専門棟を出て中庭の方へ向かった。だけど、いつもなら薔薇のアーチがあるところに、重厚な壁と扉がある。
「いつの間にこんな壁が出来たんです!?」
「以前からあったと思うが?」
絡み合う薔薇の紋章が彫られた扉を指さす私に、イアン王子が不思議そうな顔をして見せる。そして一枚の紙を取り出すと、それを元に、慎重に薔薇の上へ指を置いた。
カチ!
小さな機械音と共に薔薇が沈み込んだ。同時に扉が両側へと開く。その先に見えるのはいつもの中庭だ。やっぱり、一晩の間に壁が作られたとしか思えない。ハッセ先生が寝る暇がないと言っていた理由がよく分かります。
「こっちですよ」
ここから先は、バルツさんが教えてくれた木戸をくぐればいいはず。先導しようとした私の手を、イアン王子が引っ張った。
「どこにいくつもりだ?」
「剣技披露会の会場ですけど」
「学園の行方不明者の名簿に名前を載せるつもりか? 白亜の塔はここが作られた時から術で守られている。決められた手順で行かないと永遠に迷子だぞ」
そう告げると、手元の資料へ視線を落とした。もしかして、あの無限に続く廊下は、その謎の術に巻き込まれた結果ですか? シモン学園長は私のご先祖様と、イサベルさんのご先祖様が作ったと言っていたけど……。
「なんてめんどくさい物を作ってくれるんです!」
「何を言っているんだ。白亜の塔は黒曜の塔と並ぶ、国の最重要施設だ。それを守るのは当たり前の事だろう」
「あれのどこが国の重要な施設なんです。目印になるので、便利なことは認めますが、それ以外は何の役にもたっていないですよね?」
それを聞いたイアン王子が、残念そうな顔をする。そして私の方へ顔を近づけてきた。
「やめてください。いやらしい菌がうつります」
そう声を上げた私に、イアン王子は口元に指を立てて見せる。
「これは噂にすぎないが、白亜の塔は異世界につながっているらしい」
「異世界?」
カサンドラさんにやられて、頭がピンク色になりました?
「学園には色々な術が張り巡らされているが、どこかの魔法職がそれを維持している訳ではない。異世界から絶えることなく力を得ている。その中心が白亜の塔と言う噂だ」
そう告げると、辺りを慎重に見回した。
「元ネタはどこです?」
「ヘルベルトだ。君だってやつが魔法職なのは知っているだろう? 魔法職の間では有名な話らしい」
それが本当なら、「私を前世へ連れ戻して」と言いたいところですが、元ネタが元ネタなので、都市伝説決定ですね。
肩をすくめた私を無視して、嫌味男が一枚の書類を手に中庭の奥へと歩いていく。
「予行演習参加者は、裏口から入れか……」
そう告げると、バルツさんとくぐった木戸の前へ立った。
「なんだ、やっぱりここじゃないですか」
「やっぱり?」
私のセリフに、嫌味男が不思議そうな顔をする。まずいです。会場に迷い込んだ事がばれてしまいます。
「ま、前に、学園長の私的なお茶会に呼ばれたことがありまして……」
「ここには仕掛けはなしか」
私の言い訳を聞き流したイアン王子が木戸を開けた。その先には、例の真っ白な石で作られた試合会場が見える。
「こんなものがあったのか……」
それを見たイアン王子の口から、感嘆の声が漏れた。
「試合会場と言うより、神殿みたいですよね」
「白亜の塔が出来た時に、一緒に作られた建造物に違いない」
嫌味男が試合会場へと駆けていく。
『お前は、レディファーストと言う言葉を知らないのか?』
心の中でその後ろ姿を罵倒しながら、その後を追う。嫌味男は白亜の塔を背に、一段高くなった場所で足を止めた。そこからすり鉢状になった会場を眺める。
「ここが閲覧席で、向こうが来賓席、その反対側が参加者の席になる。僕らはここで、大使と母上の側に四人で控える感じだな」
イアン王子が、会場を指さしながら私に説明した。でも四人?
「案内役は僕らのほかに、クレオン君とカサンドラ嬢も務めるそうだ」
留学生の二人がいるのは心強い。何せスオメラ語で話しかけたら、何を言っているのか、チンプンカンプンです。だが次の書類に目を通したイアン王子が、複雑な顔をして見せる。
「踊り?」
「踊りがどかしましたか?」
「スオメラ大使や母上に来場の感謝の言葉を告げた後で、それぞれが踊りを披露することになっている」
「えっ、それを私たちがやるんですか?」
「そうらしい。クレオン君とカサンドラ嬢、私と君の組み合わせだ」
「ちょっと待ってください。誰がそんなものをつっこんできたんです」
「伝統と言うやつらしい。困ったな……」
互いに顔を見合わせる。この男との踊りが最悪な事は、お披露目の時にすでに証明済みです。それに相手はクレオンさんとカサンドラさんです。絶世の美男美女の組み合わせが相手だ。それと比べられたら、私たちは完全なイモです。
「予行演習だ」
うろたえる私の前に、イアン王子が手を差し出した。
「ハッセ先生の指示にあっただろう。事前の動きの確認だよ」
そう告げると、嫌味男は淑女に対する紳士の礼をしてみせる。
「音楽はどうするんです?」
「それぞれの頭の中で流せばいい。因みに曲は『歌の翼』だ」
楽団の音楽があっても合わないのだから、それで十分かもしれない。私はイアン王子の手を取ると、紳士に対する淑女の礼を返した。そして、頭の中で歌の翼の前奏を奏でながら、「1、2、3」と数えてステップを踏み出す。
歌の翼に 乗せた想いが
空を越えて あなたへ届く
歌の翼が こころを結び
ひとひらの夢を 空へとはこぶ
イアン王子の足と私の足が交差し、二人の体が円を描いて回る。なぜだろう。アンのお披露目の時にはあれほど互いに足を踏みまくったのに、今日は何の問題もなく踊れている。私はイアン王子のとび色の目を見ながら、その理由に気づいた。あの時は音楽に合わせることばかり考えていた。今は互いの目を見ながら踊れている。
歌の翼に 祈りをのせて
ひとひらの夢を 明日へ運ぼう
ふたりの舞が 時をほどけば
めぐり逢えた日が よみがえる
もしも朝が 夢をさらっても
このぬくもりは 消えはしない
私の頭の中で曲が終わった。イアン王子の手が腰に回される。私はその手に体を預けた。
「どうやら問題はなさそうだな」
「そうですね」
私の答えに頷くと、イアン王子は私の体を抱き起こした。いやらしい菌が移りそうですが、仕方がありません。でも、前にもこんなことがあった気がするのはなぜだろう。