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焦り

 ロゼッタはうなじの辺りに感じた違和感に目を覚ました。ゆっくりと寝台から上体を起こして辺りの気配を探る。どこかの連絡用の使い魔が近くを横切ったのだろうか? それとも屋敷の誰かに連絡用の使い魔が来た?


 気配を探ると西棟の二階の端に何か小さな気配を感じる。カミラ奥様のところだ。誰かから使いを受け取ったのだろうか? 時間が時間だが、ジェシカから来た連絡を考えると、夫であり、カスティオールの当主であるロベルトから連絡を受けてもおかしくはない。


「違う?」


 ロゼッタは首を傾げた。あの男からの連絡ならカスティオールの使いであることを示す符牒が、その使い魔を呼び出した呪文の刻印があるはずだが、それは感じられない。彼女の個人宛てに来た私信だろうか?


 ならば、自分が何かを詮索するような話ではない。私はフレデリカ・カスティオール付きの家庭教師だ。あの子に関りがない限りはこの家の何かに干渉するつもりもない。ロゼッタは床に半分落ちていた薄い掛布に手を伸ばすと、それを自分の体の上に戻して再び眠りに落ちようとした。


「ギー」


 だがロゼッタの耳に、外から微かに何かがこすれるような軋み音が聞こえた。こんな夜中に誰かが庭に居る。それにハンスの飼っている犬も反応している様子はない。外の者ではない。誰だろう?


 ロゼッタは寝台から降りると、窓の方へと進み、薄いカーテンを開けて外を見た。西の方には沈みつつあるが、まだ満月からそれほどたっていない二つの月が庭を明るく照らしている。


「フレア?」


 右手に見える温室の出口から庭の奥に向かって急ぎ足で進んでいく人影を見て、ロゼッタは声を上げた。あの子はこんな夜中に何処へ行こうとしているの?


 ロゼッタは、寝台の横の机の前の椅子にかけっぱなしにしてあった上着に袖を通して、そこに立てかけてあった杖を手に取ると、フレデリカの後を追うべく庭へと向かった。


「お、お母さま!」


 庭に降りると奥の方から微かに声が聞こえた。フレアの声だ。ロゼッタは庭の奥に向かったがそこで足を止めた。微かだが魔力の気配がある。


「罠?」


 誰かが木立の先に何かを仕掛けている。これはうかつに飛び込む訳にはいかない。フレアは、フレアはどうしただろう。ロゼッタは焦る心を抑えながら、木立の先にある東屋の方を見た。


 ロゼッタの視線の先の暗がりの中、地面に転がったランタンの明かりに照らされて、娘に向かって刃を下ろそうとしているカミラと、それを必死に受け止めているフレアが見えた。


「お母さま!」


 再びフレアの声が上がる。フレアが身を入れ替えてカミラの背後にうまく回ると、その背中を蹴り飛ばした。一体何が起きているの?


 カミラはフレアの事を邪魔だとは思っていただろうが、殺すまでは憎んではいなかったはずだ。それにアンジェリカのお披露目がうまくいったこの時に、フレアの事を殺そうとするなんてのはおかしい。ロゼッタの考えを肯定するように、フレアに突き飛ばされたカミラの動きは明らかにおかしかった。そこにも魔力の気配がある。


『紛れ?』


 ロゼッタは、カミラの背中の上にぼんやりとした黒い影があるのに気が付いた。誰かが魔力が露見するのを防ぐために、周りに内側に向かう魔力をもう一つ纏わせ、それで魔力が漏れ出るのを防いでいる。簡単に出来る術ではない。少なくとも同時に一つ以上の術を、それも常時展開できる者の仕業だ。


「殺す!」


 カミラの体が人の物とは思えない跳躍力で飛び上がったかと思ったら、フレアの方へと飛び掛かった。いけない!


「フレア!」


 跳躍からの攻撃をフレアが間一髪で避けた。


「ロゼッタさん!」


 こちらの呼びかけにフレアが答えた。その顔に安堵の表情が浮かぶ。だが安心するには程遠い状況だ。これを仕掛けてきた術者に先手を打たれている。この先にも隠されているが術の気配がある。今はそれを探っている時間は無い。それを確かめるより、フレアにこちらに逃げてきてもらう方が早い。そうすればあの子を守るための術を展開する事が出来る。

 

「フレア、すぐにそこから離れなさい!」


 彼女を守るための術を展開しないといけない。手にした杖で地面に簡略化された魔法陣を描く。時間が無い。自分の力を信じて、これでやるしかない。


「逃げられないわよ」


 こちらに向かおうとしたフレアの背後からカミラの声が上がった。その背中にはカミラそっくりな黒い影が見える。どうやら「紛れ」の効果が失われたらしい。


「心の闇を操る者」!?


 先ほどのカミラの人とは思えない動きはこれ? あの女はこんなものに憑依されるなんて!


「心の闇を操る者」自体には大した力は無い。これは負の感情を餌に憑依先に力を与えているだけだ。だがこちらに向かおうとしたフレアの足が止まる。どうしたの? 早くこちらに来なさい。そう思ったロゼッタは息を飲んだ。フレアの姿が水面の向こうのようにゆらゆらと揺らめいて見えている。


「穢れなき水霊の守り手」!?


 先ほど感じた、この先にある何かの気配はこれだったのか。相手は一体何人いるの? いや、気配はほとんどなかった。何人もの人間で仕掛けてきたのなら、術を展開しようとした時点で、こちらが分からない訳はない。相手は少数で、しかも複数の術を「穢れなき水霊の守り手」まで展開できる魔法職だ。


「穢れなき水霊の守り手」、これ自体には何かを害する力は無い。だがこれが守っている物の先に行こうとする者を排除する力を持つ。


「さっさと死になさい」


 揺らめきの先から微かにカミラの声が響いてきた。その声と共に揺らめきがより大きくなり、視界の先に何も見えなくなる。時間が無い。私は一体何をしていたの。いや後悔するのは後でいい。「穢れなき水霊の守り手」を取り除くにはどうする?


 ロゼッタは足元に書いた簡易魔法陣を消すと、杖で素早く魔法陣を描き始めた。これを相手にするのであれば、簡易魔法陣など使えない。


「四界の守護者にて、東に座します日輪の担い手よ。その気高き炎を纏いし剣は何者も遮ることは能わず……」


 だがロゼッタの中にある、間に合わないのではないかと言う焦りと、これを呼び出した結果、「穢れなき水霊の守り手」だけでなく、その先に居るフレアまで吹き飛ばしてしまうのではないかと言う恐れが、術の展開の邪魔をする。


 小さく開き始めた穴は次第に広がっていき、そこから赤い何かが漏れ出てくるが、それはロゼッタが己が意志を反映しようとする前に、ロゼッタに向かってその魂を得ようと、まとわりついてこようとする。


『何をやっているの?』


 ロゼッタは、並行化した意識の中で自分に対して悪態をついた。こんな体たらくでどうする? 例え己の魂が穴の向こうへと落ちようが、フレアを、あの子を救わないといけない。あの子は私の魂などより私にとって大切なものなのだ。


「その御姿を我に現し、我が敵を打ち払い給え」


 ロゼッタはおのが精神と魔力を集中すると、穴から漏れ出てきた霞のようなものを魔力が作った檻、結界へと閉じ込めた。それはロゼッタの力に反発し、結界の中で荒れ狂っていたが、やがて一本の剣の形、ロゼッタが心の中で反復して描く形へと収まっていった。ロゼッタがゆっくりと目を開ける。「四界の守護者、日輪の担い手」はロゼッタの右手に、目に見えない剣となって収まっていた。


『ドン!』


 その時だった。ロゼッタの心の中にとてつもない轟音が響いた。誰だ。誰かが術をかけた? いや、術では無い。そんな気配は微塵も無かった。ロゼッタの目に「穢れなき水霊の守り手」の防壁の向こう側で、赤い光が一瞬光ったのが見えたと思ったら、「穢れなき水霊の守り手」の気配は何処にもなくなっていた。術が解除された? いや、どこかに戻った気配はない。消えたとしか思えない。


 何も無くなった気配の先で、フレアがカミラの身を守るかのように覆いかぶさっている。カミラの背には「心の闇を操る者」の姿は無かった。


「フレア!」

 

 ロゼッタは辺りに警戒しつつ、フレアのところまで走った。


「ロゼッタさん!」


 良かった。フレアは無事の様だ。彼女が覆いかぶさるようにしているカミラにも息はあるらしい。背中がむき出しになっているが、特に傷もない様に見える。


 私は何を油断していたのだろう。警戒しているつもりだけになっていた。しかし、仕掛けてきた者はほとんど暗殺に成功していたと言うのに、何故術を解いたのだろう? そもそも「穢れなき水霊の守り手」が消えたのは術を解いたものなのだろうか? それにあの赤い光は?


 考えるのは後だ。ともかく相手が次の手を打つ前に、二重詠唱になろうが何だろうが、こちらに攻撃して来ようとするもの全てに報いを与えてやる。


「術を詠唱します。カミラ奥様を抱えて、私の足元から絶対に離れないで下さい」


「はい、ロゼッタさん」


 フレアがカミラの背中を抱きかかえながら私の足元にすり寄ってきた。私はこの子を絶対に守るのだ。


「暁を告げし絶海の鳳よ。その赤き翼の羽ばたきはあらゆる魔を打ち払わん。その鋭き嘴は我が敵の心臓を撃ち抜き……、」


* * *


『気付かれちまったか?』


 トカスは心の中で舌打ちをした。あの小娘は本当にただの貴族のご令嬢なのか? カスティオールは武門の誉れ高きとか言う家じゃないはずだ。小娘はおぼつかなくはあるが、的確にあの女の攻撃を回避している。


 まあ襲っている方も、ど素人のおばさんだから仕方がないと言えば仕方がない。そのせいで、どうやら家のものに気付かれたらしい。さっさと終わりにしないとせっかくの絵が台無しになる。


 だがトカスは出てきた女が手に杖を持っているのに気が付いた。魔法職? 調べた限りではこの家に魔法職はいないはずだ。だとすればこいつは『崩れ』、元魔法職という事か?


「ちっ!」


 トカスは今度は実際に舌打ちをした。あの崩れのせいで保険が発動してしまう。せっかくの絵が台無しだ。先に術を放って殺ってしまうか? だが派手な術を使えば、王都での術を監視している警備庁や王宮魔法職の連中に嗅ぎつかれてしまう。


 トカスは「心の闇を操る者」を心像に捉えると、それに対して、女の体を操ってさっさと娘にとどめを刺すように命じた。崩れらしい女がこっちに走ってくる。


「あ~~あ」


 これで全ては台無しだ。あのおばさんだけじゃなく、魔法職が絡んだことがばれてしまう。トカスは俯いて溜息をついたが、女がこちらの罠が発動する手前で止まったのを視界の隅に捉えて、頭を上げた。


「まさかな?」


 だが女が杖で地面に向かって素早く陣を、それも簡易陣らしきものを書いている。


『何者だ?』


 俺が紛れをかけておいた罠の存在を見抜きやがった。それだけじゃない。簡易陣で即行の術の展開をしようとしている。簡易陣なんてものはその辺の二流共が扱えるものじゃない。焦ってとち狂いやがったか? しかし、トカスは女のその動きから相手が的確にそれを行おうとしているのが分かった。


 東屋の横では、まだ女が小娘に止めをさせずにいる。それどころか、こちらの注意がそれたせいで、一瞬だけ使い魔への制御が弱まってしまっていた。おばさんの意識が戻りそうになる。トカスは「心の闇を操る者」への使役に力を向け直すと同時に、並行化した思考で、術を展開しつつある女の方へ意識を向けた。


 この商売では、単に使い魔を呼び出すだけではせいぜいが3流だ。少なくとも複数の術を同時に展開できる技量がないと務まらない。警備庁や王宮付きの魔法職のように、複数で事に望むなどと言う事が出来ないからだ。そもそも、それでは目立ち過ぎる。


 それが出来ても一流とは呼べない。一流と呼べるには常に相手の裏をかけると同時に、不測の事態にも対処できるだけの想像力が必要なのだ。


 トカスは自分にはそれがあると思っていたが、今夜に限って言えば、それはどうやら勘違いだったらしい。小娘一人を片付けられず、相手にこちらの手の内を気付かれ、そして……


「まじかよ!」


 トカスは相手が呼び出そうとしているものが何かに気が付いて声を上げた。四界の守護者の一つ、「日輪の担い手」を呼び出そうとしている。この女はこのあたり一帯を全部吹き飛ばすつもりか!?


 もう絵がどうのこうの何んて言ってられない。本当にこの女は単なる「崩れ」か? 情報屋は何を見落としたんだ。こうなっては、こちらの身を守ることが第一だ。


 ここで自分以外のナイフ使い、いやそんな大層なものはいらない。弩弓を持つ護衛の一人でもいれば何の問題もない。それであの女を撃てばいい。大した術ではないが、すでに紛れを含めて四つもの術を展開している。今の俺にはナイフの一つも投げてやる余裕はない。やるとしたらこちらも術で、「日輪の担い手」に対抗するだけの術を用意しないといけない。


 トカスは自分の腰の伸縮式の杖を手にし、それを前に振り出して伸ばした。


「何だ?」


 トカスは自分の左手に、強烈な赤い光が上がっているのを見た。


「ドン!」


 それに注力する前に、それはトカスの心像に大きな衝撃を与えると、天空の彼方へと消え去っていった。まずい、今のでいくつかの並行思考で維持していた集中が途切れた。使い魔がこちらの魂へと向かってくる。「反魂封印」の術を掛けないといけない。それも今すぐにだ。


 トカスは自分の背中に冷たい汗が流れるのを感じた。間に合うだろうか? たかが没落貴族の娘一人をやるだけだと思って油断していた報いか?


 だがトカスはそこで、自分の呼び出した使い魔達が全て消え去っているのに気が付いた。


「どういう事だ?」


 呼び出した者を戻すことはあっても、消え去ることなどないはずだ。あれらはこの世界の者では無いのだから……。だが心の中の心像で辺りを見回しても何も感じられない。自分の眼で辺りを見回すと、小娘がおばさんの背中に覆いかぶさるようにその身を守っているのが、女が手に「日輪の担い手」を纏わせつつ、そこへ向かっているのが見えた。


 女が小娘に何かを話しかけている。そして新たな術を展開しようとしているのが分かった。


「暁を告げし絶海の鳳よ。その赤き翼の羽ばたきはあらゆる魔を打ち払わん。その鋭き嘴は我が敵の心臓を撃ち抜き……」


 魔法職としての耳に、女の詠唱が聞こえてきた。この女は「日輪の担い手」を維持したまま、さらに「暁の大鳳」を呼び出そうとしている。この女は気が狂っているか、化け物かのどちらかだ。


 トカスは身を翻すと、全速で庭の奥の屋敷を囲む壁へと向かった。今は逃げることが、生き残ることが最優先だ。生き残って自分が何を見たのか、そこで何が起こったのかを確かめなければならない。


『あの赤い光』


 それが放たれるまで、魔法職としての自分の耳も、心像も、何も捉えては居なかった。何もだ。あれは、あれはもしかしたら、師匠が生涯をかけて追い求めていたもの……。師匠が「真言」と呼んでいた「無詠唱」では無いのか? もしそうだとするならば、それは伝説なんかではなく、実在することになる。


『これがそうなのかどうか、はっきりさせてやる。そして必ずこの借りは返す』


 トカスは細縄を手に、壁を飛び越えながら心に誓った。そして黒い革の服を纏ったその細身の体は、闇の中へと消えて行った。

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