後付け
カサンドラは鼻歌を歌いながら、女子校舎と男子校舎をつなぐ渡り廊下を歩くと、男子校舎の裏手へと姿を消した。その先にある用具入れの前で足を止める。そして辺りに人の気配がないのを確認すると、おもむろに扉を開けて、床でうごめく巨大な芋虫の前へしゃがみ込んだ。
「元気にしてた?」
そう声をかけると、床の上で縛り上げられた人物の口から、さるぐつわを外す。
「元気なわけないだろう。お漏らししたら、お前が片付けてくれるのか?」
「そんな汚いもの、どうして私が触るのよ。それよりも、誰にも見つからなかったでしょうね?」
「そんな心配をするくらいなら、縛り上げたりするな。さっさとほどけ。この姿の俺といるのを見られたらやばいぞ」
「それもそうね」
カサンドラが、その辺にあった箒で、床の埃の上に複雑な文様を描く。同時に、クレオンの体を縛り上げていた紐がどこかへ消えた。
「俺の代わりに図書館へ忍び込むとはね。骨抜きにするとか、大言壮語を吐いた手段がこれか?」
立ち上がったクレオンが、不満の声を上げる。
「あら、あなたに見せられなくて残念。ちょっと前に、骨抜きにしてきたところよ」
「どこが。単に自分から尻尾を振りにいっただけだろう。しかも、あのお嬢さんたちが来るのに合わせてやるとは恐れ入る」
それを聞いたカサンドラの顔色が変わった。
「あんたこそ、何を悠長にしているの? 王妃様やあんたの兄さんがここへ来るのよ。何の成果もなくて、顔を合わせるつもり?」
「その通りだから仕方がない」
クレオンが折れた右手を、カサンドラへ振って見せる。
「女の尻を追いかける時とは大違いね」
「追いかけているんじゃない。勝手に来るだけだ」
クレオンのセリフに、カサンドラは大きくため息をついた。だがすぐに真剣な顔つきへ戻る。
「この前のじじいの話だけど……」
「あの赤毛のお嬢さんが、スオメラの王女だったかもしれないというやつか?」
「不用意に口にしないで頂戴。いきなり消されたらどうするつもり?」
慌てた顔をするカサンドラへ、クレオンは首を横に振った。
「カサンドラ、お前は口が悪いが腕はいい。紛れぐらいは張ってあるんだろう?」
「それと用心するのは話が別よ。それよりも、色々と考えた結果、二つの結論が出たの。聞きたい?」
「聞きたくないと言っても、聞かせるつもりだろう?」
「残念だけど、ここにはあんたしかいないの」
うんざりした顔をするクレオンに、カサンドラが肩をすくめて見せる。
「じじいの話が本当なら、私たちの牽制とスオメラを混乱させるためと言うことになる。いわゆる時間稼ぎね」
「なるほど。それで嘘だとしたら?」
「セシリー王妃は、まごうことなきスオメラの王家の血を引いた後継者よ。しかも、足の引っ張り合いの元になる、余計な血も引いていない」
「そうだな」
カサンドラの話に、クレオンが素直にうなずく。
「陛下は未だに世継ぎを設けていないし、それって、とっても大事なことじゃない。私がとあるところから聞いた話では、陛下は女性すら近づけていないそうよ。その理由は……」
「セシリー王妃の王子の誰かを、世継ぎにするためか……」
「大当たり。長男を連れて行くのは色々と面倒だし、三男は幼すぎて、まだ海の物とも山の物とも分からない」
「連れて行くとすれば、次男のイアン王子だろうな」
「そうよ。だから私は彼に乗るの。彼がスオメラの王太子になったら、正式な夫人にはなれなくても、大した価値もない家柄を鼻にかけるだけの連中を、思いっきり見返せるじゃない。あんたも私に乗りなさい」
「見返すね……。いやと言ったら、消すつもりか?」
「そうよ。邪魔者は消えてもらうだけ」
次の瞬間、杖を振り上げたカサンドラの視界から、クレオンの姿が消えた。代わりに、ポケットにあったペンの先が、喉元で銀色に光っている。
「お前の杖なんかより、俺の一刺しの方が速いぞ。それにせっかく顔を合わせているんだ。俺の結論と言うやつも、喋らせてもらってもいいかな?」
「そうね。せっかく顔を合わせているんだから、特別に聞いてあげてもいいけど」
「じじいの話が嘘だったら、カサンドラ、お前と結論は同じだ。だがそれが本当だった場合は、単なる時間かせぎとは思えない。あまりにも突拍子すぎる」
「こけおどしそのものじゃない」
「いや、事実そのものだよ。俺のおふくろの実家をはじめ、いくつかの家が取り潰されている。すべてリリア様、今のセシリー王妃様の近くにいた者の家だ。あのじじいの言う通り、スオメラ国内にいる関係者は、みんないなくなっている」
「話の筋に、自分の私情を押しつけていない?」
カサンドラの問いかけに、クレオンはフンと鼻を鳴らして見せる。
「俺はもともと私生児扱いで、父親や母親ともほとんど顔を合わせていない。だから、それほど感傷的な話じゃないぞ」
「そうだったの。妙な所だけ私と同じね」
「それと、各家が取り潰されたのは、赤毛のお嬢さんの母親が死んでからだ。リリア様の侍女兼、通訳役だった母親こそが、本物のリリア様だったとすれば、全てのつじつまが合う」
「それで、あんたはどうすべきだと思うの?」
「お前と同じだよ。だが相手が違う。俺が近づくのは赤毛嬢の方だ」
「私と同じ手を使うつもり!?」
クレオンが、驚いた顔をするカサンドラへ頷く。
「お前みたいに、自分から尻尾を振りにいくつもりはないけどな。これならどっちが本当でも問題ない。つまり、俺とお前は手が組める。どうだ? 俺の話に乗るか?」
「あんたの話は分かった。でも手を組むんじゃない。あの赤毛はもともと邪魔者だから、あんたに相手をしてもらう。それと、いざという時の保険ね」
そう告げると、カサンドラは素早く体を入れ替えて、クレオンの首元へ小さな針を突き付けた。
「あんたの剣とは違う種類だけど、我が家の本業は杖じゃないわよ。それで、乗るの、乗らないの?」
「全く始末に負えないやつだな」
「それが駆け引きと言うものでしょう?」
唇の端を持ち上げて見せたカサンドラへ、クレオンは苦笑いを浮かべた。
「そこじゃない。素直にあの男に惚れたと言えばいいのに、後付けの理由をあれこれ言うからだ」
「な、なななな……」
カサンドラの口から、言葉にならない声が漏れる。
「おい、手が震えているぞ。俺じゃなかったら、針の先の蟲毒でもうあの世いきだ!」
「死ね!」
「本音を当てただけだろう。暗殺者が金にならない殺しなんかするな!」
「死ね、死ね、死ね!」