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誤解

「愛人?」


 あっけにとられた顔をするイアンに、カサンドラが深く頷く。


「私をイアンさんの()()にしていただきたいのです。もっとも、正式な夫人にしてくださいとは言いません。それで、『愛人』と言う言葉を使わせて頂きました。それとも、私のロストガル語の使い方が、間違っていますでしょうか?」


『からかわれているのかもしれない……』


 イアンは一瞬そう考えたが、カサンドラの張りつめた表情からは、とても冗談とは思えなかった。


「その表現が適切かどうかはさておき、あまりにも突然の申し出ですね」


「決して思い付きなどではありません。前からこの胸に秘めていたことです」


 そう告げて、胸に手を当てるカサンドラに、イアンは面食らった。庶民ならいざ知らず、ある程度の家柄の女性が、自分から男性へ告白するなど聞いたことがない。


「訳を聞かせてください」


「イアンさんの事をお慕いしていますだけでは、信用していただけませんか?」


「残念ながら……」


 イアンのセリフに、カサンドラが少し寂しげな顔をして見せる。


「私たちは厄介者なのです」


「厄介者?」


「今回の全権大使であるクレメンス様は、スオメラの宰相で、クレオンの腹違いの兄にあたります。ですが、その父親はクレオンの母親の一族と反乱を計画し、死罪となりました」


 スオメラでは父親が反乱を起こしても、その息子が宰相になれる。その事実にイアンは驚いた。ロストガルなら、その宰相も弟のクレオンも、間違いなく罪に問われる事だろう。


 それでもカサンドラの言うように、兄の宰相にとって、反乱を起こした一族であるクレオンは、厄介な存在なのかもしれない。


「人目に付かない様、この国に送り込まれた……。カサンドラさんも、その件にかかわっているのですか?」


 イアンの問いかけに、カサンドラは苦笑いを浮かべた。


「私の家にはそのような力も、財力もありません。せいぜいが古い家柄というだけです。ですが、色々な殿方が実家に援助を申し出る様になりました。その理由は……」


 そこまでのセリフで、イアンはカサンドラの事情を察した。どこの国でも、権力者のやることは同じらしい。


「カサンドラさん、あなたですね」


「はい。私を差し出すことが条件でした」


「あなたを正式な妻に迎えたいという男性も、相当にいたと思いますが?」


「そのような申し出もいくつかありましたが、いずれにせよ、殿方が見ているのは私の外見で、中身ではありません。少しばかり珍しい物が、競りにかけられた様なものです」


 そこでカサンドラは、何かに耐えるように顔を伏せた。


「むしろ単なる競りの方が、よほどにましです。殿方同士の争いになり、その婚約者や、奥方たちからも恨みを買う事になりました」


「それで、害が及ぶ前に、ロストガルへ留学したのですね」


「留学の話が来たときは驚きましたが、今ではとても幸運だったと思っています」


 顔を上げたカサンドラが、イアンへ笑みを浮かべて見せる。


「イアンさんをはじめ、皆さんと一緒に学ぶ機会を得ることが出来ました。新しい術式により、スオメラとロストガルの間の交易も再び始まります。私はイアンさんのお側で、陰ながら両国をつなぐお手伝いがしたいのです」


 イアンはカサンドラが、なぜ愛人になりたいなどと言い始めたのかを理解した。つまるところ、スオメラには戻りたくないのだ。


 ロストガルの貴族や王族に正式に嫁げば、より反感を買う可能性もあるが、愛人であれば憐みの対象で済む。しかし、そこまで気を使う必要などあるのだろうか?


「カサンドラさん、あなたがスオメラに戻りたくない理由は分かりました。ロストガルでの後ろ盾が欲しい理由もです。それなら誰かの愛人などではなく、しかるべき男性の正式な夫人になるべきです」


 イアンが自分のさして高くもない鼻を指で叩く。


「私はこの国の第六王子にすぎませんし、何の力もありません。神殿に飾られている数多(あまた)の像と同じです」


「そうでしょうか?」


 今度はカサンドラが、イアンへ首をかしげて見せた。


「セシリー王妃様はスオメラの王妹(おうまい)でいらっしゃいます。そしてイアン()は、セシリー王妃様のご子息です。これからの両国関係を担う、重要なお立場だと思います」


「買いかぶりすぎですよ。それを担うべきは兄のキースですね。ご希望なら、キース兄さんを紹介します。兄は厳格な人間ですから、あなたを愛人になどしません。それにカサンドラさんなら、大いに兄を助けてくれると思います」


「私はイアンさんのお側にいたいのであって、キース様のお側にいたいのではありません!」


 その語気の強さに、イアンは驚いた。


「残念ながら、私には自分の伴侶を選ぶ自由はありません」


「よく分かっております。なので、愛人としてお側においていただきたいのです」


 カサンドラが、黒曜石を思わせる瞳でイアンを見つめる。だが、ふと何かに目を止めると、そのままイアンの方へ顔を寄せた。


「な、何を……」

 

「御髪に何かついています」


 カサンドラが半立ちの格好で、イアンの頭上へ手を伸ばす。その襟元から、より濃厚に漂ってくる甘い香りに、イアンはたじろいだ。


「埃の様です。お取りしますので、そのまま動かないでください」


 カサンドラの動きに合わせて、制服では隠し切れない胸のふくらみが、イアンの目の前へ迫ってくる。


 ガチャ!


 その時だ。どこかで扉の開く音がした。慌てて離れようとしたイアンに、カサンドラがバランスを崩す。その結果、イアンはカサンドラの胸元に顔をうずめつつ、その体を抱きしめる形になった。


「なななななな――!」


 女子生徒の当惑した声が上がる。釈明しようと、背後を振り返ったイアンの目に、赤い髪の女子生徒がこちらを指さしているのが見えた。その背後では、黒髪の女子生徒と、金髪の女子生徒が、驚きに満ちた顔で口元に手を当てている。


「フ、フレデリカ嬢――」


 イアンが何かを言い終える前に、赤毛の女子生徒が、手にした本を大きく振り上げた。


「この不埒(ふらち)者!」


 その叫び声と共に、分厚い本がイアンめがけて飛んでくる。だが本はイアンに直撃することなく、カサンドラの手によって叩き落された。イアンはカサンドラを跳ねのけるように立ち上がると、扉の方へ向かう。


 しかし、フレデリカの姿はもうそこにはない。隣の閉架書庫の先で、イサベルとオリヴィアが、フレデリカを追いかける後ろ姿だけが見えた。その背中も、すぐに本棚の向こうへと消える。


 イアンは小さくため息をつくと、足元に落ちていた本を拾い上げた。その表紙には「解剖学全集3 男性器・女性器」と書いてある。ちょうど開かれているページには、男性器が大きく図解されていた。


「もしかして、誤解されたでしょうか?」


 背後から、カサンドラが心配そうに問いかけてくる。


「間違いない。それも完璧にね」


 イアンは本のページを閉じると、カサンドラへ小さく肩をすくめて見せた。

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