主人(あるじ)
「申し訳ございません。先ほどはつい口が滑ってしまいました」
謝罪するセシリーに対し、侍従服姿の男性が、わずかに口の端を持ち上げて見せる。
「兄でいい。お前から国王陛下と呼ばれると、自分の事ではない気がする」
スオメラ王はそう告げると、先ほどまでエドモントが座っていた椅子に腰を掛けた。
「とんでもございません。陛下の妹、この国の第三王妃セシリーは、私の仮の姿にすぎません」
「お前とリリアは二人で一人だ。どちらも私の妹だよ。それよりも、彼は問題ないのだろうな?」
顔を上げたセシリーが、スオメラ王へ頷く。
「夫には、最初に術をかけてあります。それに、誰もこの部屋をのぞく者はおりません」
「アンナ、お前の事だ。痕跡を残すようなこともあるまい」
スオメラ王はセシリーへ頷き返すと、テーブルの上にあるティーカップへ手を伸ばした。しかし、そこで手を止める。
「中身はただの紅茶です。ですが、こちらの新しいカップをお使いください」
セシリーは自分が座っていた椅子へ腰を掛けると、前に置かれたカップへ、ポットから紅茶を注いだ。同時に、柑橘系を思わせる香りが辺りに広がる。スオメラ王は懐かし気にその香りを嗅いで見せた。
「紅茶に関しては、我が国はロストガルに負けるな。この国へ行く理由の一つにしたぐらいに、リリアもこれが好きだった」
「リリア様が、王宮のバラ園で紅茶を楽しんでいたお姿を思い出します」
「あれは王都に咲くバラの様な娘だった。もっとも、かなりのおてんばでもあったが……」
「その点では、ご息女のフレデリカ様は、リリア様によく似ておられます」
「リリアと同じで、猪突猛進な性格だそうだな。クレメンスからの報告にも書いてあった」
セシリーがスオメラ王へ、苦笑いを浮かべて見せる。
「はい。一度決めたらそれを曲げない、リリア様そのものです」
「リリアとお前の献身が、見事に花開いた」
「私など何の役にも立っておりません。神殿でロベルト殿と婚礼を挙げられ、その身に器を宿されたリリア様のお力です」
セシリーの発言に、スオメラ王は首を横に振った。
「決してリリアだけの努力ではない。300年前のあの日以来、スオメラ国王は名を捨てた。そこから幾世代もかけての成果だ。あの者が神殿に封じられていることを突き止め、それを解くための鍵を求め続けた。それがやっと花開いたのだ」
そう告げると、スオメラ王はどこか遠くを見る目をした。しかし、前に座るセシリーへ視線を戻すと、首をかしげて見せる。
「何か気になることでもあるのか?」
「この国に来た時に、私はリリア様と入れ替わりました。セシリーと名を変え、影ながらリリア様をお守りしてきて、一つだけ気になったことがあります」
「なんだ?」
「リリア様は、フレデリカ様が器になることを、望まれていたのでしょうか?」
「リリアの忘れ形見だ。お前がそう思うのは仕方がない。だが私情は禁物だ。我らは300年前にそれで足元をすくわれ、この世界を再生するのに失敗した。それだけではない。その機会を永遠に失うところだったのだ」
「はい。肝に銘じておきます」
「アンナ、ロストガルが古い言葉で、『塔の国』を表しているのは知っているな?」
不意に話題を変えたスオメラ王に、セシリーが当惑した顔をする。
「はい。この国には黒曜の塔や白亜の塔、多くの古き塔がある為かと……」
「そうだ。どうしてこの国に、多くの塔があるかは分かるか?」
「存じておりません」
「この国も我が国同様に、クリュオネルの末裔が住む国だと思われているが、実は違う」
「何が違うのでしょうか?」
「我が国のある南の大陸は、かつてはクリュオネルの労働階級、実態は奴隷みたいなものだな。それが住む食糧生産地だった。一方、ここ北の大陸はクリュオネルの魔法職、当時は導師と呼ばれた者たちの、実験場だったのだ」
「実験場ですか?」
セシリーは思わず声を上げた。
「その成果を監視するために、多くの塔が作られた。この国で魔族と恐れられる化けものたちは、かつて穴の向こうから得たものを、この世界へ定着させようとした失敗作だ。神殿をはじめとする塔の力が弱まり、それが封じていた者たちが、この世界へ再びあふれ出ようとしている」
「それでカスティオールの地で……」
セシリーのつぶやきに、スオメラ王が頷く。
「いくら贄を使って穴を閉じても無駄だ。それだけではない。霧の向こうからこの地へ逃げてきた奴らが、裏でそれを操っている」
「クリュオネルの亡霊たちですね」
「奴らを決してあなどるな。それに踊らされている者たちも、我らの行く手を阻もうとするだろう」
「一つにまとまってくれていれば、面倒がなくて良かったのですが……」
「それをまとめて屠る為に、我らはかの地へ、学園へ赴く。だが不思議なものだ。我々も、それ以外の者たちも、世界が続くことを望んでいる。だがその手段と目的が、これほど違うと言うのは、まるで出来の悪い喜劇ではないか?」
「私には悲劇の様に思えます」
そう答えたセシリーへ、スオメラ王は再び首を横に振った。
「悲劇は喜劇なのだよ。その筋書きを描いた者は、陰でそれに涙する者たちを笑っているのだ」