自首
イアンとヘルベルトの二人は、林の中の道なき道をかけ続けた。明かりはないが、空に昇った二つの月が、十分に足元を照らしてくれている。やがて二人の前に、女子寮と男子寮を分け隔てる小川が見えてきた。
二人は川を一気に飛び越えると、やっと足を緩める。ここまでくれば、もう誰かに見つかっても、問題になることはない。
「旧女子寮はぶっ壊れて、誰も使っていないんじゃなかったのか!?」
ヘルベルトの問いかけに、イアンがうんざりした顔をする。
「ヘルベルト、何も言い訳をするな。いや、何もしゃべるな。何を言っても今さら遅すぎる」
「だけどイアン、どの面下げて、オリヴィアさんに会えばいいんだ。オリヴィアさんだけじゃない。イサベル嬢やフレデリカ嬢にも、合わせる顔がない」
「それよりも傷は大丈夫か?」
イアンがヘルベルトの胸元を指さす。黒色の冬服は胸元でざっくりと避け、白い肌着が見えていた。肌着には赤い染みも浮かんでいる。
「これか? 薄皮一枚程度のかすり傷だ。俺が負った心の傷に比べれば、大したことはない」
「あの一撃をよく避けられたな。普通の太刀筋とはまるで違う」
「俺はお前の護衛役だぞ。とは言え、マジでやばかった。お前の思った通りだ。あの侍女殿が、単なる灰の町出身と言う線は消えたな。そんなことより、彼女たちにどうやって謝る?」
そう声を上げたヘルベルトへ、イアンが首を横に振って見せる。
「それよりも、この件を報告する方が先だ」
「まさか、自首するつもりか?」
「そうだ」
「ちょっと待て。どうして報告する必要があるんだ? 流石の赤毛嬢でも、この件を口外しない程度の分別はあるはず……」
「俺が王子だからか?」
「そうだ。王子のお前に覗かれただなんて、誰かに言いふらしたりはしない」
「ヘルベルト、あそこにいたのは誰だ?」
「お前もいただろう。なんで俺に聞く?」
「答えろ!」
「イサベル・コーンウェル嬢に、フレデリカ・カスティオール嬢、オリヴィア・フェリエ嬢の三人と、それぞれの侍女だ」
慌てて答えたヘルベルトに、イアンが頷く。
「俺たちも含めて、全員が南区の件に関わった面子だ」
「確かにそうだが、俺たちを覗いている奴はいなかった。それに今も紛れは張ってある」
「俺たちを覗いていなくても、あの三人の誰かを監視していれば、俺たちがあの場にいたのも見えたはずだ」
イアンのセリフに、ヘルベルトはうろたえた。
「か、仮にそうだとしても、イアン、お前は王子だ。それを表ざたにしたがる奴なんているか?」
「逆だ。退学にしてくれた方が、よほどにあと腐れがない。俺が恐れるのは、どこかの誰かが、この件を彼女たちを学園から追い出す口実に使うことだ」
「ちょっと待て。向こうは被害者だぞ。正直に言わせてもらえば、今後一生何かには困らない気がする」
「絶対に思い出すな!」
イアンの怒声に、ヘルベルトが肩をすくめて見せる。
「でも、どうして彼女たちを追い出す口実になるんだ?」
「さっきも言った通り、俺が王子だからだ。俺を悪者にするのは、色々な点で差しさわりがある。それを逆手にとって、彼女たちの誰かが、俺を誘ったと言う筋書きを描く奴が出るかもしれない」
「いくら何でもそれは……」
ヘルベルトは「ない」と告げようとして、その言葉を飲み込んだ。イアンの方が覗きにきたと反論するのは、たとえそれが真実であっても難しい。確かに罠として使える。何より、使えるものはすべて使うと言うのが、足の引っ張り合いの原則だ。
「自首するにしても、さっきまで女子風呂を覗いてましたと、学生課へ告げに行くのか? それこそ、表向きには握りつぶされて、裏で変な所へ広まるだけだ」
「俺が自首しに行くのは学生課ではない。この件を絶対に握りつぶしたりしない人の所だ。もちろん、お前にも付き合ってもらう」
「ま、まさか!?」
ヘルベルトの顔色が変わる。
「そのまさかだ。今すぐ、ソフィア姉さんの所へ自首しに行く」