はぐれ
トカスは「はぐれ」、ギルドに属していない魔法職だ。そもそもその手の組織には何も属していないのだから、最後に「職」を付けること自体がおかしいのだが、トカスの様な魔法を、他の世界に穴を開けてそこから力を引き出す者は全て、「魔法職」と呼ばれる。
トカスが何で「はぐれ」になったかと言うと、その師匠も「はぐれ」だったからだ。だから師匠が死んで、自分一人で飯を食っていかなくてはなくなった時に、初めて自分のやっている事が、「魔法職」と呼ばれる仕事だという事も知ったぐらいだった。
最初はギルドに所属してみようと思って、田舎にある魔法職ギルドの門を叩いてみた。だがその門番から受付まで、そこに居た全員が、自分の事を薄汚れたガキ扱いしたことに切れた。今そこには何も、何もないはずだ。「永遠の腐敗の息吹」を呼び出してやったのだ。今でも瘴気の沼が広がっているだけだろう。
そこからのトカスは、ある意味で「はぐれ」しか所属できない組織に身を置いた。そこでは自分の見かけも、年も態度も問題にはならない。ただ成果だけがもとめられた。トカスにとって、それは何の問題にもならない。だがそこで依頼をこなしていくうちに、トカスは自分の存在に何の意味も見いだせなくなってきた。
そもそも、その辺に居る単なるちんぴらみたいな奴を殺すのに、「昏き者のみ使い」とかを差し向ける意味などあるのだろうか? そんなものは暗がりから弩弓でも打って仕留めれば十分だ。手間もかからない。トカスは貴族や大店の店主、その家族と言った、そう簡単には殺せない相手だけを請け負うようになった。
魔法職が術を行うには、決められた思考の動きにより、異界との障壁を超えて、こちらの意思を、こちらの存在を向こう側に示す必要がある。魔法職とは己が魂を生餌に、他の世界から力を呼び出すことに他ならない。
寸分違わぬ思考の繰り返しを行うために、詠唱や呪文といった音楽的なものや、魔法陣といった視覚的な補助を使う。そして魔力を行使して呼び出した者を使役し、己が魂が相手に捕まらないうちに、それを穴の向こう側へ返してやるという仕事なのだ。
なので術の途中で、何か不測の事態が起きて中断でもしようものなら、下手な釣り師が餌だけを魚に取られるように、自分の魂は穴の向こうへと落ちる。呼び出した奴を向こうの世界に戻すのに失敗しても同じだ。そして術を行う為の思考の繰り返し、それによる精神集中及び、魔力の放出は、同じ魔法職同士から見れば、隣でラッパを吹かれているようなもので、それに気が付かないなんて事はあり得ない。
つまり術というのはそれを行うよりも、それを邪魔して排除する方が、確実かつ簡単に相手に死よりもひどい最後を与えることが出来る。だからその場で急遽、術を執り行うなんてのは、魔法職としてはよほどの緊急事態であり、相手が魔法職であるならばほとんど成功はしない。
それを覆すためには、仕掛ける側が入念に準備した罠に相手を誘い込めた時だ。結局のところ、魔法職同士の争いと言うのは相手との腹の読み合い、足の引っ張り合いに過ぎない。
トカスは魔法職同士の、それも貴族や大店に雇われるぐらいの奴の裏をかいて、そいつらを穴の向こう側に送り込んでやることに熱中した。彼に仕事を持って来る男達、その筋の者達がそうではない仕事、トカスから言わせれば、眠っていても出来る様な仕事を持ってきて、有無を言わせずにやらせようとした時には心の底から激怒した。
そして実際にその筋の連中の何人かを、穴の向こう側へ送ってやった。その筋は当然ながらトカスに激怒した。だがその中の一人がトカスの肩を持った。その男はそのような仕事をトカスに持っていった奴の方が悪いのだと結論付けた。
その男はトカスに、他の者がみたら到底無理と思われるような仕事のみを依頼した。トカスは男の依頼する仕事をほぼ完璧にこなして見せた。その男はその筋での地位を高め、受けるかどうかはトカスの判断に任せるとまでなった。
今回の仕事はトカスとしてはくだらない、話を持って来たこと自体が怒りの対象になるような仕事だった。侯爵家とは言え、落ちぶれまくったカスティオールの娘を殺せ? くだらない。男も手元の魔法職が一人欠けた為だと、トカスに申し訳無さそうに語った。だがトカスはその殺し方に関する依頼内容については、少しだけ興味を持った。
普通にやれば、誰がどう見ても依頼主の長い手にしか見えない。それを異なる結末に持っていく事は出来るだろうか。それに一応は侯爵家だ。魔法職の一人ぐらいもいるかもしれない。だがカスティオールだ。大した奴じゃない。それにまともな奴を雇えるのであれば、王都の屋敷ではなく、領地にあふれているやつらを何とかするのに使うだろう。
実際、情報屋に調べさせると貴族の家らしく、後妻と長女の間には色々とあるらしい。だがギルドの記録を見る限り、魔法職を雇っているらしい形跡は無かった。侯爵家だと言うのにつまらない奴らだ。
トカスは今回の仕事にまつわるあれやこれやを頭から振り払うと、地面に魔法陣を描き始めた。その広さはさほど大きくはなく、街の子供達が路地裏で描く絵の様にすら見える。だがトカスは満足そうに頷くと、杖を前へと持ち上げ、それで調子を取るようにしながら呪文を、彼の師匠が「真言もどき」と呼んでいたものを唱え始めた。
トカスの心の中の呼びかけに応じて、世界に小さな、豆粒の様な穴が開いた。その豆粒の様な穴を通じて、目の前の魔法陣の上に小さな黒い灰の塊のようなものが浮かび上がる。やがてそれは尻尾と羽を持つ、建物の屋根の上に飾られる魔よけの石造の様な姿になった。
「行け!」
トカスは自分が召喚した「心の闇を映す者」に対して命じた。使い魔はその小さな黒い羽根を僅かに羽ばたかせると、屋敷を囲む煉瓦造りの壁の先へと消えて行った。自分だけじゃなく、これにも「紛れ」はかけてある。余程の事が無い限りは屋敷の者には気付かれないはずだ。
「さて」
それを見届けたトカスは小さくため息をついた。そして上着の内側から小さな細縄を取り出すと、それを壁の向こう側にある立ち木へとひっかけて、壁から煉瓦がおちて出来たくぼみに足をかけた。
たかが壁を超えるのに、わざわざ術を使うような馬鹿は居ない。
* * *
「あはは。これだから貴族連中と言うのは扱い易くていいね」
トカスの口から思わず声が漏れた。使い魔を通じて流れ込んでくる心像には、この屋敷の奥方らしき人間が、寝台の上で使い魔に向かって懇願している様子が映っている。カミラとか言う名前の後妻だ。情報屋が言う通り、この女は今回の対象の事を心の底から疎ましく思っているらしい。
この女から流れ込んでくる負の感情たるや、本当にただの人間かと思うぐらいだ。「心の闇を映す者」はそれを食らい、この女の心の奥底へと見えない手を伸ばしていく。
「なるほどね。前からずっと毒殺しようと思っていたと言う訳か。これはこちらからの入れ知恵なんかいらないね」
トカスはほくそ笑んだ。「心の闇を映す者」はこの女の負の魂の共鳴を受けて、「心の闇を操る者」へと変容しつつある。
「おいおい、まだ送ってからほんの30分もたっていないぞ?」
これ以上膨らませると、屋敷の誰かに気付かれる。「心の闇を映す者」自体は普通の貴族や商会、街の通信屋の魔法職が使役する、連絡用の使い魔なんかより遥かに弱い力しか持たない。だからこのような場所にも容易に侵入出来るのだ。
普通は人の意思と言うのは意外と強く、この程度の使い魔ではそう簡単に操れるものではない。特に送り込んだ側の意に従わせるのは、普通はとても無理だ。しかし、このような場合は簡単だ。相手が心からそう願っている事の背中をちょっと押すだけなのだから。
トカスは「心の闇を操る者」に成長した使い魔を女の前から隠すと、その背後に張り付かせた。女はそれと気が付かないまま、庭の片隅にそっと植えていた毒に使える植物、おそらくはトリカブトを取りに行くのを、使い魔を通じて眺めていた。女の足取りは早い。これは相当にやる気まんまんだな。
「ちっ!」
トカスは口の先を丸めると舌を鳴らした。こんな簡単な仕事では何の面白味もない。自分が最後に全身の血が逆流したかと思うような恐怖や、緊張感を味わえたのは、一体いつだっただろうか?
女が屋敷の温室らしきものから出てくる。その手には庭道具らしき革の手袋と、どう言う訳か小刀を握っていた。それでトリカブトの根か葉を採取するつもりだろうか? くだらない仕事だが、早く終わってくれる分にはどうでもいい。トカスはそう呟くと、木立の陰から女が向かった奥の東屋の陰の方へと向かおうとした。
「ギー」
背後で扉が開く音がした。赤毛の女の子が外を伺うようにしながら、温室の扉を開けて庭へと出てきた。
「おいおい。勘弁してくれ」
これなら俺なんかじゃ無くて、ナイフ使い辺りでも簡単に殺れるじゃないか。トカスは一瞬そう思って白けたが、今回の依頼はいかにあのくそ親父の手ではないように見せかけるかが主旨であることを思い出すと、ニヤリと笑った。どうやら明日まで待つ必要はないらしい。
しかし、夜中に侯爵家のご令嬢が庭へ出てきたのだ。護衛役が後を追いかけてくるかもしれない。一応念の為だが、保険はかけておいた方が良さそうだ。もっともこれを使う心配はほとんどないと思うが、使う羽目になったら、せっかくのこの絵が台無しだ。
「穢れなき水霊の守り手にして……」
トカスは東屋の先にいる女の背中に、「心の闇を操る者」がしっかりと張り付いているのを確認すると、思考を並行化して、小さく呪文の言葉を唱え始めた。