裸の付き合い
三人で入学した頃の思い出話をしているうちに、前方に小さな灯りが見えてきた。どうやら、もう旧女子寮の裏手に出たらしい。さらに近づくと、灯りの周りで湯気が立っているのも見える。
肝試しの時はあんなに遠く感じたのに、実は今の宿舎からとっても近かった。あの時はおっかなびっくり進んでいたから、そう感じただけなのかもしれない。
「フレアさん、大変です!」
灯りの先に進もうとした私の耳に、イサベルさんの悲鳴が聞こえた。
「目玉おばけですか!?」
慌てて辺りを見回すが、何の気配もない。それに何かあれば、マリが警告の声を上げるはず。
「まだ工事中みたいです。壁がありません」
イサベルさんが湯気の先を指さした。そこにあるのは、東屋づくりの屋根を持つ、黒曜石で作られたとても大きな湯舟だ。真ん中におかれた噴水からは、かけ流しでお湯が流れている。
「完璧です。完璧な露天風呂です!」
「露天風呂とはなんでしょうか?」
オリヴィアさんが、当惑した顔で私にたずねる。
「空を眺めながらお湯に浸かれる、とっても素敵なお風呂です!」
流石はウォーリス侯。風流と言うものをよく分かっています。酒を持ち込めないのが、本当に残念でなりません。
「ですが、外から丸見えです!」
「イサベルさん。夕刻以降、女子寮からこちら側は、付き人だろうが職員だろうが、男子禁制です。なんの問題もありませんよ」
そう告げたが、イサベルさんは来た道の方へ、後ずさりしようとしている。ここで逃げられては困ります!
「早速入りましょう!」
イサベルさんとオリヴィアさんの手を引きずる様にして、脱衣所へと進む。侍女のシルヴィアさんとイエルチェさんも、慌てて私たちの後ろに続いた。そうだ。上級生なしの貸切風呂なんて、こんな機会はもうないかもしれません。
「イエルチェさんとシルヴィアさんも、ご一緒にどうですか!」
「えっ、私たちもですか?」
シルビアさんがびっくりした顔をする。
「もちろんです。みんなで一緒に楽しみましょう!」
そう言えば、マリはどうしたのだろう? 辺りを見回すと、大きな杉の木の陰で、完全に気配を消している。
「マリも一緒に入ろうよ!」
「私は結構です」
もう、本当に意固地ですね。ともかく、みんながしり込みしないうちに、さっさと服を脱いでお風呂へ突撃です。
ザブン!
大きな水音とともに、何とも言えない暖かさが、じんわりと体に染みてくる。手にしたタオルでぬれた顔を拭くと、木立の間から黄色く輝く大きな月と、血のように赤い小さな月が見えた。
「極楽、極楽……」
思わず、酒場のおやじのようなセリフが出てしまいます。
「熱くはないですか?」
タオルで体を隠しながら、イサベルさんとオリヴィアさんも湯舟へと入ってきた。その後ろから、イエルチェさんとシルビアさんも遠慮がちに続く。
「ああ、やっぱり広いお風呂はいいですね」
イサベルさんの口から感嘆の声が上がった。月の光を浴びるその姿は、まさに女神さまそのものだ。両手を合わせて、拝みたくなるくらいです。
「叔父上にお願いして、本当に良かったです」
オリヴィアさんも喜んでいるらしい。だけど、早くもピンク色に染まっている肌が、妙に色っぽすぎる気がします。体の回復だけでなく、女性らしさにも磨きがかかっていませんか?
「こうして皆さんと一緒のお風呂に入っていると、コーンウェル家の人形ではない、本当の自分に戻れた気がします」
イサベルさんが、昇る月を見上げながらつぶやく。
「イサベルさん?」
「本当の事ですよ」
シルヴィアさんが心配そうに声をかけたが、イサベルさんは言葉を続けた。
「おじい様をはじめ、色々な人が望む姿を演じる。糸はついてなくても、操り人形そのものです」
「イサベルさんのお気持ちはよく分かります」
オリヴィアさんがイサベルさんに同意した。
「私も母の人形、いや、愛玩動物みたいな存在でした。母は私をいかにも心配しているようにしていましたが、自分で世話をする訳ではありません」
そう告げると、少し離れた場所でお湯に浸かる、イエルチェさんの方を振り返った。
「実際に世話をしてくれたのは、イエルチェをはじめとした侍女の皆さんです。母は私を心配する自分に酔っていただけなんです」
二人の言葉に胸が痛む。アンと同じ様に、二人とも日々見えない何かと戦ってきた。私はどうだろう。アンに全てを押し付けて、庭のバラの前で涙を流していただけだ。
「見えますか?」
イサベルさんが首の後ろを指さした。うなじの下に、薄いピンク色をした紋章のようなものが見える。小さくはないし、場所も急所に近い。
「私がまだ生まれて間もない時に、馬車の事故で負った傷です。その事故で両親が亡くなりました」
「ご両親がイサベルさんを守ってくれた証なんですね」
「はい。おじいさまの前では、この傷のことも、両親の事も口にはできません。でも皆さんの前では、何のわだかまりもなく話すことができます」
「イサベルさん、私もです。皆さんとこうしていると、心の中にしまっていた母のことも、素直に言える気がします」
「何も身に着けてないからこそ、語り合えることもあるんですね」
「それが裸の付き合いですよ!」
「フレアさんがお風呂にこだわった理由が、やっと分かりました」
二人が私ににっこりとほほ笑んでくれる。その笑顔に、汗ではない何かが、目から流れ落ちそうになった。そうです。私たちは親友です。楽しい時だけじゃなく、つらい時や、悲しい時も一緒なんです。
学園を出た後も、こうしてみんなで、一緒の時間を過ごす機会はあるのだろうか?
「オリヴィアさん、イサベルさん。結婚して子供ができても、またみんなでお風呂に入りましょう」
「よろこんで。でもその時は、ちゃんと壁のあるお風呂がいいです」
イサベルさんが少し恥ずかし気に答える。個人的には、露天風呂が最高なんですけどね。温泉って、他にもあるのかな? 無かったら、私が掘り当てて見せます!
「オリヴィアはフレアさんとご一緒できれば、他には何もいりません。お風呂でもどこでも、一生フレアさんについていきます」
全身をピンク色に染めたオリヴィアさんが、マリ並みに訳の分からないことを言ってくる。それだけではない。完全に私の体へ身をあずけてきた。いくら裸の付き合いとはいえ、近すぎです。
そう思って声をかけようとした時だ。オリヴィアさんの顔ががくんと揺れた。そのまま、私のたいしたことはない胸に顔をうずめる。
「オリヴィアさん!」
私の呼びかけに、オリヴィアさんからの返事はなかった。