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つぼみ

「ロゼッタ教授殿、本日はどちらへ行かれるおつもりでしょうか?」


 学園の出口で、アルベールは日傘を持った女性へ声をかけた。


「それをあなたに告げる必要は、ありますでしょうか?」


「一応、学園の警備部長を仰せつかっております」


 そう言って頭を下げたアルベールを、女性が冷ややかな目で眺める。


「外出です」


 その答えに、アルベールは小さく肩をすくめて見せた。


「ロゼッタ、せっかく子供たちがうまく収めたんだ。それをわざわざ蒸し返しに行く必要はないだろう?」


「蒸し返す?」


「そうだ。大人たちだって、しばらくはおとなしくするはず」


「そうでしょうか? むしろ元を断たないと、子供たちの努力を、無駄にするだけだと思います」


「ものは言いようだな。でもせっかく無かったことにしたんだ。その意志は尊重すべきだとは思わないか?」


「アルベール警備部長殿。お言葉ですが、ここで私を見張っているより、他にやるべきことはありませんでしょうか? あんなものを、ここへ侵入させてもらっては困ります」


「その件については、返す言葉がない。ここだけの話だが、南区の件につながっているのか、厳重に口止めされている。詮索すらもご法度だ」


「そうでしょうね。皆さん、見て見ぬふりをするのは、得意なようですから」


「分かった。この件については君を信じることにする。そもそも俺には、君を止める権限も力もない」


 アルベールはそう嘆息すると、警備室横の通路を開けた。そこを通り過ぎようとしたロゼッタが、不意に足を止める。


「そう言えば、ダリアはどうしているの?」


「ダリアか? 執行長官として、日々忙しくしていると思う」


「思う?」


「ここへ来てからは、一度も顔を合わせていない」


「アルベール、あなたに一言だけ、言いたいことがあるの」


「改まってどうした?」


「私が知っている中では、あなたはかなりまともな方だけど、一つだけ大きな欠点があるわね」


「欠点?」


「昔も今も、女性からの視線に無自覚すぎる」


 そう告げると、ロゼッタは出口の先に止められた、見かけだけは立派だが、かなり古ぼけた馬車の扉を開けた。




「ふう――」


 大きなため息をつきつつ、グラディオスは読書室の椅子へ深々と体を鎮めた。傍らに置かれたテーブルからグラスを取ると、それを一気に飲み干す。


 そして本棚の上に掲げられた、大きな肖像画へと目を向けた。そこにはロストガル建国の英雄たちの、大きな肖像画が飾られている。


 左から女性が二人、細身の活発そうな赤毛の女性に、男性の理想像とも言える金髪の女性。続いて機敏そうな姿をした青年と、物静かで理知的な目をした男性に、筋骨たくましい大男の5人だ。


 そのうちの赤毛の女性には、あと少しで手が届く。グラディオスは空になったグラスをもて遊びつつ、ほくそ笑んだ。


 グラディオスは幼い時から、英雄譚が大好きだった。父親から常に物足りないと言い続けられた事への、抵抗だったのかもしれない。自分で金が自由になってからは、女にその姿をさせて、抱いてみたりもした。だが何をやっても物足りない。


「やはり本物が必要だ」


 そうつぶやくと、グラディオスは酒を持ってこさせるため、椅子の横にぶら下がっている紐を引いた。だが何も反応がない。もう一度、今度は強く引いたが同じだ。慌てて椅子から立ち上がる。


 グラディオスは、これを使用人の怠慢と思うほど、おめでたい人間ではない。目の前にある本棚へ飛びつくと、そこにある分厚い本を動かす。


 カチリという音と共に、本棚が横へ動いていき、黒い穴がぽっかりと顔を出した。この通路を抜ければ、誰にも見られることなく、ここから逃げることが出来る。


『なんて事だ!』


 その穴へ体をねじ込みながら、グラディオスは舌打ちをした。自分が一部の貴族たちや、大店から疎まれているのはよく分かっている。それ故にいらぬ金を使い、自分が成金趣味の愚か者に、必死に見せかけてきたのだ。


 それに一代子爵ごときをもらって、大喜びしているふりもした。しかし、それでは不十分だったらしい。


 カタン……。


 背後の本棚が、再び元の位置へと戻っていく。同時に、設置されたランタンへ明かりが灯った。ここを設計した時には余裕だったのに、何故か腹が引っかかる。


 グラディオスは服を壁に擦りながらも、短い通路を抜けると、その先にある小部屋へと進んだ。入るなり、鉄でできた頑丈な横引きのドアを閉める。


 これで少なくとも、背後からくる者たちは、なんとかなるはず。後は目立たぬ服へ着替えて、ここから出れば……。そう思って、部屋の奥へ視線を向けた時だった。


 隅に黒い服を着た、小柄な女性が座っているのに気付く。その手には金属でできた、細い棒を握っているのも見えた。


「魔法職!」


 グラディオスは大きな叫び声をあげると、辺りを見回した。身を守るために、大金を払って魔法職たちを雇い、ここを固めていたはず。相手の邪魔をする以外は、何の役にも立たないやつらだと言うのに、一体どこで何をしているのだ!?


「いくらで雇われた?」 


 なるべく冷静を装いつつ、グラディオスは女性へ声をかけた。金で雇われたのなら、金でなんとか出来るかもしれない。


「残念ながら、長い手の者ではありません。今日はあなたとお話に来ました。なので、そちらの椅子へおかけになってください」


 グラディオスは女の言葉に頷いた。話があると言う事は、少なくとも交渉の余地がある。それに、相手はこちらを待ち受けていた。既に何らかの術を張っているだろう。ここで抵抗しても意味はない。


「あなたの最近の行動は、目に余るものがあります。看過する事は出来ません」


 その台詞に、グラディオスはどこの手のものかを、必死に考えた。それによって、交渉すべき内容は変わってくる。貴族との間の契約で蹴落としてやった、いくつかの大店のどれかだろうか? それとも自分たちの権益が失われるのを恐れた、大貴族の一人か?


『グローヴズ伯が急死してしまって以来、あの子の味方になりそうな人が……』


 不意にグラディオスの脳裏に、カミラが漏らした台詞が浮かんだ。グローヴズ伯テオドルスは、野心家で知られた伯爵家の当主で、当然敵も多かった。


 カミラとの接点は偶然としか思えなかったし、その死はカミラとは関係ないと思っていたが、実はカミラとのからみが原因だったとすれば……。全身から冷たい汗が噴き出してくる。


「君はカスティオールの関係者なのか? カ、カミラ奥様とは昔馴染みで、その愚痴に付き合っていただけだ」


 そう告げると、グラディオスは恥も外聞もなく、床へ頭をこすりつけた。


「神に誓って、もう二度と会わないし、連絡も取らない!」


「そんなことは、私にとってはどうでもいいことです。ですが、あなたは触れてはいけないものへ、手を伸ばそうとしました」


 女の杖が動き、床へ複雑な紋様が描かれた。グラディオスは背後の扉へ逃げようとしたが、体がいう事を聞かない。いつの間にか、地面から黒い泥のようなものが湧き出し、自分の足へまとわりついている。


 それはグラディオスの体を這い上ると、全身を闇で覆いつくした。




 何の変哲もない家の裏口を出ると、ロゼッタは日に日に強くなる日差しを手で遮った。その前へ、作りは立派だが、かなり古ぼけた馬車が止まる。ロゼッタは馬車の扉を開けると、詰め物がだいぶヘタっている座席へ、腰をおろした。


 裏通りのあまりよくない石畳の道を、ギシギシと音を立てながら、馬車が動き始める。同時に、カスティオール家で御者を務めるハンスが、覗き窓から顔を出した。


「片は付きましたか?」


「ええ。あなたのおかげで、何の邪魔もなく終わりました」


「遠いところへ?」


 そう問いかけたハンスへ、ロゼッタが首を横に振る。


「あの子の意向を汲んで、命まではとっていません。ですが、しばらく人前には出れないでしょう。それよりも、あの男の意識には、何かが仕掛けられた痕跡がありました」


「心の闇を映す者の類ですか?」


「確証はありませんが、どうも術ではないようです」


 ロゼッタの答えに、ハンスが険しい顔をする。


「やっかいですね」


「それに今朝の件も、単なる決闘騒ぎではなかったようです。やはりあの子の周りには、色々と問題があります」


「個人的な意見を言わせて頂ければ、あの子(マリアン)を排除するのは、あまり気が進みませんが……」


「そうするのが一番です。でも難しいでしょうね。あの二人の結びつきは、明らかに宿命的なものです。私たちに手が出せるものではない気がします」


「こちらも問題ありまくりでしたよ。腕が鈍ったなんて台詞では、とても追いつきません」


「あれだけの人数を、短時間に無力化したのです。鈍っているとは思えませんが?」


「いえ、何者かに襲われた気配を残すなど、駆け出し以下の仕事です。無能もいいところですな」


 ハンスがひげ面の顔に、苦笑いを浮かべる。


「ハンス、それは私が受けるべき台詞です。アンナとの約束は、とても守れそうにありません」


「ですがロゼッタさん。つぼみを、つぼみのままにしておけるものなのでしょうか?」


「それでも、アンナも私もそうあって欲しいと望んでいた。花はどんなにきれいに咲いても、いずれは散ってしまうのだから……」


 ハンスが、のぞき窓をそっと閉める。ロゼッタは馬車の窓を開けると、次第に大きくなっていく白い塔を、じっと見つめ続けた。

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