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 カミラは興奮して中々寝付けなかった。


 アンジェリカが、あの子がお披露目で王子様と踊ったのだ。それも何度もだ。金を渡しておいた王室付きの侍従から、その報告を受けた時の気持ちと言ったら、言葉で表すことなど出来ない。


 言葉など要らない。分かっている事は、私の努力の全てが報われたという事だ。これであの子は間違いなくカスティオールの娘だと、その一員だと周りに認められたのだ。それだけではない。あのフレデリカが他家の者を殴り飛ばしたという内容を見た時には、あまりにも出来過ぎた話に、自分は夢を見ているのではないかと思ったぐらいだった。


 付添人としてお披露目に出たことを周知できただけでなく、あの子はカスティオールの家門に泥を塗った。これであの子を神殿に送る理由としては十分な、出来過ぎなくらいの理由が出来た。


 いや、神殿すらいらない。勘当して家を追放するのにも十分な理由だ。出来れば自分の手で内務省に申請を出して、既成事実にしてしまいたかったのだけど、あの人がすぐにも戻って来るかもしれない状況では、流石にそれはできない。


 でもあの人(ロベルト)だって勘当は無理でも、これであの子を神殿に行かせて、アンジェリカを跡取りにする事に、反対する理由はないはずだ。私の長年の努力は全て報われるのだ。ああ、なんて長くてつらい日々だったのだろう。だがそれももう全ては過去の話だ。


 後は私とあの子の輝かしい未来だけが待っている。たとえカスティオールが凋落の一途をたどっていると陰口を叩かれようが、カスティオールが侯爵家であることは、四大侯爵家の一つであることは、紛れもない事実なのだから。


 これであの人も報われる。あの人の死も何もかもが報われるのだ。


* * *


「本当に大丈夫?」


 カミラは誰かのささやくような声に目を覚ました。いつの間に寝てしまったのだろう。天蓋からおりる薄布がかすかな風に揺れている。どこか窓が開いたままになっているのだろうか? それとも自分は未だに夢を見ている?


「本当に、あの子を追い出せるかしら?」


 再びささやくような声が聞こえた。カミラは自分の手を、窓から微かに入る月明かりにかざしてみた。それははっきりと見ることが出来る。これは夢じゃない。カミラは寝台から上体を起こすと辺りを伺った。そして枕の下にいつも隠し持っている、諸刃の小刀へと手を伸ばした。


「誰?」


 カミラは小さな声で問いかけた。だが誰も答える者はいない。窓にかかっている薄手のカーテンの向こうからの僅かな月明かりを頼りに、部屋の中を伺ってみる。すると天蓋から降りる薄布の先に、椅子に座っているらしい、低い人影が見えた。


 暗さと薄布のせいで、それが何者なのかははっきりしない。だがその人影が描く体の線を見る限り、それは女性の姿のように見えた。曲者だろうか? 枕の下で小刀を握る手に力を込める。


「誰なの!?」


 カミラはその人影に向かって、もう一度訪ねてみた。


「貴方が一番良く知っている人」


 影が答えた。良く知っている?


「何のこと?」


 この棟の侍従か誰かの、私に対する質の悪い嫌がらせ?


 カミラは影に向かって怒鳴りつけようと息を吸った。だがカミラは、口から何か言葉を発する代わりに息を飲んだ。いつの間にか開いていたらしい窓から入り込んで来た風が、天蓋の薄布をやんわりと持ち上げ、目の前にいる、小さな背もたれがない丸い椅子に座っている人物が誰なのか解ったからだ。


「私は貴方よ」


 やっぱり私は夢を見ているらしい。微かに茶色が入った黒い巻き毛に、白い寝間着を着ている姿。そこに座っているのは私だ。


「あの子をそのままにしておいて、本当に大丈夫なの?」


 私が少しばかり首を傾げて、私に向かって口を開いた。


「大丈夫?」


「あの子は、本当に神殿に行くかしら?」


「あれだけの事をしたのよ。もちろん行かせるに決まっている」


「そう思っているのは貴方だけじゃないかしら。あの子には味方が一杯いる」


「この家の、カスティオールの問題よ。家庭教師や侍従長は関係ない。私が決めるの!」


「本当にそうかしら?」


「当たり前でしょう。私はこの家の正室なのよ!」


「そう思っているのは、貴方だけでは無くて?」


「私だけ?」


「そう、肩書通りにあなたをこの家の正室だと思っているのは、貴方だけではないの? だから皆、あなたの言う事を聞かない。全てはあの子の物よ」


「そんなことはないわ!」


「あの子を排除しない限り、あの子が婿を取って、家庭を持ち、子をなしたら、貴方もアンジェリカもどこにも居場所などない」


 私が私に向かって宣言した。


「そ……そうなの?」


「全て分かっている。私は貴方よ。貴方の本心なのだから」


 そう告げると、私は私に向かって微笑んで見せた。


「どうすれば、どうすればいいの?」


「排除するの。あの子が一番大事にしているものは何?」


 あの子が一番大事にしているもの? 庭の薔薇だ。私は薔薇だけは、祖母に手解きしてもらったおかげで上手に育てられる。この家に嫁ぐ際の重要な決め手の一つだった。あの子は今、私のまねをして薔薇を育てていて、一季咲き性の品種の花がもうすぐ開くのを心待ちに、毎日花壇へと赴いている。


「薔薇?」


「きれいな薔薇にはとげがある。それに貴方は知っているでしょう、何を使えばあの子を排除できるか」


 薄布の向こうの私が私に告げた。


 トリカブト。庭の片隅にあるニリンソウに交じって生えていた。危険だから引き抜くように言おうと思ったが、いつか何かで使えるかもしれないと、そのままにしておいた。それの葉から抽出した液を、開花間近の蕾の棘に塗っておけばいい。あの子は絶対にそれに手を伸ばす。


「でも私だとすぐにばれる」


 それでは意味がない。私もあの子も殺されてしまう。


「そうかしら? 誰も私だとは思わない。グローヴズ伯爵の仕業だと思うでしょう」


「そうね……確かにそうだわ!」


 そうだった。グローヴズ伯爵は間違いなくあの子を殺したいぐらいに憎んでいるに違いない。今なら、何があっても伯爵がやったと思うだろう。


「後はやるだけよ。早く、なるべく早く。」


 月が雲にでも隠れたのだろうか。目の前が暗くなっていく。私は何処? まだ色々と相談することがある。何処……。


 目が覚めた。頭の上には天蓋と、それから垂れる薄布が見える。


 カミラは寝台から飛び起きると、目の前の薄布をはねのけた。そこに私が座っていたはず。だがそこには誰も居ない。あれは、あれは、全て夢だったのだろうか? でもとても夢の様には思えない。全てがはっきりと感じられた。


 あれが夢だとすれば、やはりそこで会ったのはもう一人の自分、自分の心の奥にいる自分だったに違いない。それが私に真にやるべきことを告げたのだ。今、今なら、あの娘を排除しても自分だと思う者はいない。だから今すぐにやらねばならない。


 カミラはそう決意すると、寝巻の上に薄いカーディガンを羽織り、枕の下から小刀を取り出して廊下へと進み出た。そっと階下に降りて温室の方へと進むと、そこから外へと抜け出る。まだ夜明けには早く辺りは暗い。だが、西の空に沈もうとはしていたが、まだ月明かりがある。


 そのぼんやりとした月明かりの元、カミラは一人ほくそ笑むと、温室から持ち出した庭用の道具を持って、庭の奥へと向かった。


* * *


「ギーー」


 何かが開くような小さな音を耳にして、目が覚めた。何の音だろう。


 前世でも冒険者になってから急に耳が良くなった様な気がしたが、変なものが混じったフレアも同じように耳が良くなったような気がする。音は外から響いてきたようだ。少しばかり胸騒ぎがした私は、寝台から起きると窓際に行って、そこにかかっていた薄いカーテンの隙間から窓の外を伺った。


 外は西の方にある二つの月によって、明るく照らし出されている。そこを女性らしき薄着姿の人が、庭道具らしきものを片手に芝生の上を横切っていくのが見えた。誰だろう。背中まで届く軽くカールした髪。間違いない。


「カミラお母さま?」


 その意外な人物に、思わず口から声が漏れた。まだ朝にはとても早い。こんな真っ暗な時間に、あんな薄着姿で庭の奥の方へ向かうなんて、一体どうしたことだろう。カミラお母さまが寝ぼけて歩き回るという話は聞いたことが無かったが、昨晩は私のせいであれだけ怒っていた事を考えると、そのせいで寝ぼけているのかもしれない。


 ともかく夜中にあんな薄着で外に出るなんてのはおかしい。後を追いかけないといけない。それに寝ぼけていたりしたのが使用人の皆さんにばれたりしたら、お母さまだって恥ずかしく思われるはずだ。


 私はそう決意すると、上着を肩にかけて、扉に向かって足音を立てないように駆けた。お母さまは既に芝生を横切って、庭の立ち木の先へと向かわれている。追いかけるのなら急がないといけない。


 どうやらお母さまは東棟と西棟の間にある、温室の扉から庭に出たらしい。そっと階下におりて、温室へつながる廊下へ向かう。廊下にはわずかな常夜灯が有るのみだが何の問題もない。温室も勝手知ったる場所の上に、月明かりもある。


「ガチャ」


 やはり温室からの出口は開いたままだった。カミラお母さまがここから出たのは間違いない。木立の中に居ると月明かりは届かない。私は出口の横においてあったランタンを手に外へ出た。夜風はまだ冷たいが初夏だ。凍えるような事はない。芝生の上を抜けて、お母さまが向かったであろう木立の先へと進んだ。


「ザク、ザク」


 木立の先、奥の花壇の前の方から何かを掘るような音がした。木立から漏れる月明かりの先に、白い寝間着に肌色の部屋着の上着を羽織ったカミラお母さまが見えた。手には庭仕事用の、肘まである革の手袋をしている。こんな夜中に一体何をしているのだろう?


 カミラお母さまは草の間に慎重に手を入れて、何かを掘り出そうとしている。一体何を掘り出そうとしているんだろう。その手元はさすがに真っ暗で何も見えない。私はそれを見ようと、木立の陰から体を少しだけ前へ出した。


「パキ!」


 一歩だけ小さく踏み出した足の下で、小枝が音を立てた。その音にカミラお母さまはこちらの方をふり返ると、私が居る辺りをじっと見つめる。その手にはスコップではない、何か光るものが握られていた。


「そこに居るのは誰!?」


 小さくはあったが、鋭い、叱責するような声が上がった。ここで振り返って逃げても意味はない。私はさらに一歩木立の陰から進み出ると、カミラお母さまに向かって口を開いた。


「フレデリカです。お母さま」

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