暗転
いつの時代も、小さき者たちの本質は変わらないらしい。己だけを見つめ、己の欲するままに、世界は動いていると思っている。自分の中の、赤黒い炎を解放しようとした時だった。
「フレデリカ嬢、十分だ!」
誰かの声が聞こえた。見上げると、とび色の目が私を見つめている。
バン!
その肩へ竹刀がめり込んだ。だが動じる事なく、私をじっと見つめ続ける。その瞳に、心の奥底から湧き上がっていた炎が、どこかへと消えていく。
「審判官殿!」
私を庇って、彼女の竹刀を受けたイアン王子が声を上げた。
「控え選手による、競技選手への支援は、いかなる理由によらず、反則負けだったと記憶しておりますが、いかがでしょうか?」
「イアン君、その通りだ。イアン選手による反則行為により、メラミー選手並びに、メラミー組の勝ちとする」
イアン王子は立ち上がると、床へ尻もちをついたままの私へ、手を差し伸べた。
「一体何を?」
会場からは、言葉にならないどよめきが上がっている
「あきらかに意識が飛んで錯乱していた。試合の続行は無理だと判断しただけだ」
「錯乱していた?」
呆気に取られている私に、イアン王子が頷いて見せた。そして私の被っていた防具を外す。頭が外気に触れ、少しだけ意識がはっきりしてくる。同時に、体中から、悲鳴を上げたくなる痛みが襲ってきた。
「間違いなく錯乱していた。すぐに医務室に行って、医者に診てもらった方がいい」
言われて見れば。鼻血をだしたところまでは覚えているが、そこから先の記憶がはっきりしない。まるで白日夢でも見ていたような気がする。
「錯乱? そんな言葉遊びで済ませるつもり?」
何とか立ち上がった私の耳に、怒りの声が聞こえてきた。防具を脱いで、竹刀を手にした彼女が、私を睨みつけている。
「穢れですって? 皆さんの前で、そんな屈辱的なことを言われて、黙っている訳にはいきません!」
「メラミー嬢、その件については、相方である私からも謝罪させていただく。おそらく意識を失って、夢の中の誰かと間違えたのだろう」
「イアン王子様、お言葉ではありますが、とてもそうとは思えません。それにこれは当家、ウェリントン子爵家の名誉にも関わる問題です」
「子爵家?」
「はい。先日国王陛下から、父グラディオスが、一代子爵の栄誉を賜りました。当家の名誉を守るべく、フレデリカ・カスティオール殿へ、決闘を申し込ませて頂きます」
そう告げると、彼女は試合着の懐から白いハンカチを取り出した。指を歯で嚙み切ると、そこから流れる血で月の印を描く。
どうやらそれがウェリントン家の家紋らしい。それを私の目の前へ突き出した。それを見た人々の口から、大きなどよめきが上がる。
「静粛に!」
アルベールさんの凛とした声が響いた。その声に会場内が静まり返る。
「メラミー嬢、どこでそんな古いしきたりを聞いてきたのかは知らないが、ここは学園で、君たちは学園の生徒だ。警備部長として、そのような行為を認めるわけにはいかない」
「アルベール警備部長、これは子爵家として認められた正当な権利です。ロゼッタ先生、そうですよね?」
そう告げると、彼女はロゼッタさんの方を振り向いた。彼女の視線を受けたロゼッタさんが、手にしていた手帳を膝へ置く。
「法律上はその通りです。ですが、あなたもフレデリカも、各家の長女です。決闘の当事者になることは、認められておりません」
「はい。存じております。ついては、代理人を立てさせていただきます」
彼女が背後を振り向く。そして紳士に対する淑女の礼をして見せた。
「ヘクターさん、ウェリントン家の名誉の為、私の代理人になっていただけませんでしょうか?」
それを聞いたヘクターさんは、控えの席で立ちあがると、ゆっくりと淑女に対する紳士の礼をする。
「お断りいたします」
ヘクターさんのきっぱりとした声が響いた。同時に会場からは安堵のため息が漏れる。その時だ。ロゼッタさんの背後で誰かが立ち上がった。見ればがっしりとした体つきの若い男性が、頭を下げているのが見える。
「メラミー様、それは付添人たる、私の役目だと思います」
「ラ、ライオネル……」
彼女の口から当惑の声が漏れた。だがすぐに大きく頷いて見せる。
「そうでした。ヘクターさん、申し訳ありませんでした。付添人の付添人たる理由を忘れておりました」
「では、この件については、カスティオール家の付添人たる、私がお相手させて頂きます」
剣技場にロゼッタさんの声が響く。一体何が起きているの?
「ちょっと待ってください!」
私は慌てて声を上げた。同時にやっと何が起ころうとしているのかを理解する。ロゼッタさんが私の為に、こんなくだらない事の為に、決闘するだなんてありえない!
「メラミーさん、大変申し訳ありませんでした。全て私の落ち度です。どうかお許しください」
「今さらやめてくれないかしら?」
彼女が感情を感じさせない声で、私に告げる。
「メラミー嬢、その通りだ。フレデリカ嬢の謝罪を受け入れ給え。それにロゼッタ教授、警備部長としての権限に基づき、君の代理人としての参加を一切禁止する」
「ならば、今この時点をもって、教授職を辞任させて――」
「お待ちください!」
試合着ではなく、侍従服に着替えたマリが、ロゼッタさんへ頭を下げている。
「世話役ではありますが、私もフレデリカ様の付添人の一人です。どうか代理人の役は、私にやらせて頂けませんでしょうか?」
マリが今度は私の方へ頭を下げる。
「マリ、何を言っているの?」
「これで決まりですね。では明朝、貴族法に従い、両家の遺恨の決着をつけさせて頂きます。立会人は、ローナさんにお願いいたします」
「わ、私ですか!?」
それを聞いたローナさんが、悲鳴のような声を上げた。
「はい。本試合の監督の一人として、立ち会いをお願いいたします」
そう告げると、彼女は身をひるがえし、足早に会場を去っていこうとする。私はその背中へ追いすがった。
「メラミーさん、待ってください。謝ります。謝りますから、こんな馬鹿げたことは止めてください!」
私は剣技場の床へ手をつくと、頭をこすりつけた。こんな事で、誰かが命の奪い合いをするなど、あり得ない。本当に馬鹿げている。
「何を言っているの? これはあなたが始めたことなのよ」
彼女はそう吐き捨てると、控室の向こうへと姿を消した。