相方
「すいません、お待たせしました!」
私はお手洗いを出ると、剣技場前の中庭にいたオリヴィアさんとマリへ声を掛けた。すでにお弁当を広げていたオリヴィアさんが、私の方へ手を振って答えてくれる。だが私を見ると、すぐに怪訝そうな顔をした。
「フレアさん、大丈夫ですか?」
「えっ?」
「とても顔色が悪いように見えますけど……」
まずいです。さっきの件が、思いっきり顔に出てしまっています。
「だ、大丈夫です」
慌てて作り笑いを浮かべた。でもオリヴィアさんも、マリも、心配そうな顔でこちらを眺めている。
「あんなすごい試合を見たせいでしょうか? 今頃になって緊張してきたみたいです」
そう答えつつ、ローナさんの姿を探す。午後の試合を止めないように、彼女にお願いしないといけない。でもローナさんの姿はどこにもなかった。
「マリ、ローナさんは?」
「ローナさんは、午後の試合の打ち合わせがあるそうで、私たちとは別でお弁当を食べられるそうです」
「そうなんだ……」
「何か大事な用事でも、ありましたでしょうか?」
「いえ、試合の順番についての確認なので、大した用事ではありません」
よく考えれば、ローナさんが居ても、みんなの前でお願いする訳にはいかなかった。試合前に頼み込むしかない。
「フレアさん、お弁当になります」
立ったまま考え込んでいた私へ、マリがお弁当を差し出してくれた。薄く切ったパンに、レタスと鶏肉を挟んだ、私の大好物だ。でも今はとても食べる気にはならない。
「ごめんなさい。試合前に胃に何か入れると、やばそうな気がするから、試合が終わってから食べることにするわ」
そう答えた私の目を、マリがじっと見つめる。
「フレアさん、何かありましたか?」
やっぱり、マリにはバレバレだ。全てを打ち明けたくなるが、マリを巻き込む訳にはいかないし、時間もない。
「ただ緊張しているだけよ。試合に向けて、少し体を動かしてきます」
「お手伝いさせて頂きます」
そう答えた私に、マリがお弁当を片付けて、立ちあがろうとする。私は慌てて首を横に振った。マリには悪いが、今はともかく一人になりたい。
「体を動かすと言っても、少し散歩して、素振りをするぐらいよ。それに今日のマリはオリヴィア組でしょう。オリヴィアさんと一緒にいてください」
私は竹刀を手に取ると、二人に背中を向けて、逃げるように中庭を出た。試合着姿の私が、足早に歩いていくのを見て、何人もの生徒がこちらを振り返る。
その視線を避けて、ともかく人気のないところを目指して歩くと、いつしか迷路みたいな場所へと出た。私の背を少し超えるぐらいに、薔薇の茂みが切り揃えられており、赤い冬薔薇が、吹き抜ける風に揺れている。
「ここは……」
イサベルさんのお茶会をしたバラ園だ。立ち入りが制限されているはずの場所だけど、いつの間にか迷い込んでしまったらしい。
ブン、ブン、ブン。
その奥から、風の音とは違う、もっと低い音が耳に聞こえてきた。そっと垣根の向こうを覗くと、一人の生徒が竹刀を振っている。私と同じくらい収まりの悪いとび色の髪と、髪と同じ色の目をした男子生徒だ。
「イアン王子!」
思わず口から声が漏れる。その声に、男子生徒は竹刀振る手を止めると、こちらを振り返った。
「フレデリカ嬢?」
そうつぶやくと、私に向かって、大きなため息をついて見せる。
「まるで呪物でも見たような声を、いきなり上げないでくれないか?」
相変わらず嫌味しか言えない口ですね。
「誰もそんなことを言っていませんけど?」
「その目が語っているよ。それに事務方には、一人でここを使わせてくれと申請したはずだが、何かの手違いか?」
「違います。私が迷い込んだだけです」
「なるほど。南区の件といい、君はやっかいなところへ迷い込む天才だな」
やっぱり嫌味を言わないと、息が吸えないんですね。でも今は何も言い返す気にはらなない。今の私は、間違いなく出口のない迷宮に迷い込んでいる。
「試合に向けての練習かね?」
無言で立つ私に、イアン王子が怪訝そうな顔をして見せた。
「違います。散歩です。それに私のような者と一緒にいるところを見られると、ご迷惑ですよね」
無許可でバラ園に入り込んだ上に、男女二人でいるところを見られたりしたら、その時点で停学になってしまう。イアン王子のような立場の人間にとっては、ことさらあってはならない話だ。すぐに回れ右をして、ここから出ようとした時だった。
「待ちたまえ」
背後から声が上がった。もしかして、まだ嫌味を言い足りないのだろうか? そう思って振り返ると、イアン王子がこちらへ向かって歩いて来る。
「今回はローナ組として相方同士だ。君が体を動かすのを手伝うのも私の役目のうちだろうな。それに、単に体を動かしたいだけではない様に見える。それならば、私は君の格好の相手だと思うのだが?」
そう告げると、とび色の瞳で私の顔をじっと見つめた。その目は先ほどまでの人を小ばかにした態度とは違って、真剣だ。どうしてそれが分かったのだろう?
いや、中庭でもオリヴィアさんやマリにバレバレだった。今の自分からは間違いなく黒い何かがあふれ出ている。それを何かにぶつけたくて仕方がないのだ。
「そうですね。あなた相手なら、遠慮なくやれると思います」
「タァ――!」
私はイアン王子向かって竹刀を構えると、全力でそれを振り下ろした。