脅迫
「何はともあれ、お昼休みですね!」
「はい、フレアさん!」
私の台詞に、オリヴィアさんが元気よく答えてくれた。あんなすごい人たちを相手にすると思った時点で、相当に頭が痛いですが、考えたところで何かが変わるわけではありません。ともかくご飯を食べて、元気をつけるのが一番です。
「その前に、お手洗いにいってきます」
緊張しすぎて、行くのを忘れていました。そう言えば、前世でも何かやばいことの前には、お手洗いに行けと言われていましたね。誰だっただろう?
そうです。初代嫌味男です。どうして私の周りにいる(いた)男たちは、人畜無害というか、基本役立たずの白蓮以外は、みんながみんな、嫌味男ばっかりなんでしょう。神様はいつも私に意地悪です。
「では、先に中庭へ行っていますね!」
「はい、よろしくお願いします!」
私はオリヴィアさんとマリに手を振ると、控室の先の廊下へと出て、その突き当りにあるお手洗いへ入った。控室には関係者のみの立ち入り可なので、扉の先には誰もいない。手洗いの鏡に、赤い髪の女が一人映っている。
「なにこれ!?」
思わず悲鳴のような声が出た。そこに見える髪は寝起きですか、と言うほどボサボサだ。私の髪の毛は、マリしか手なずけられないほどのくせ毛だ。試合中にそれが、全開になっていたらしい。
後でマリに整えるのを手伝ってもらうとして、このまま人前に出るなんてのは、いくらなんでもひどすぎです。せめて前髪ぐらいは何とかしたい。そう思って髪に手を伸ばした時だ。
ギィ――!
背後で扉の開く音がする。
「ごめんなさい!」
おしりを突き出すようにして、鏡に向かっていた私は、慌てて後ろから来た人へ、場所を開けようとした。
「あら、午後の試合の前に、今から化粧直し?」
鏡の中に、試合着を着た女性が立っている。
「メラミーさん?」
「あら、お邪魔だったかしら? それとも誰かと、こんなところで待ち合わせ?」
「いえ、誰もいないと思って、びっくりしただけです」
そう答えた私に、メラミーさんが口の端を持ち上げて見せる。そして私の隣に立つと、もう一つの鏡を覗き込んだ。鏡に金色の髪を持つ、美少女の姿が映し出された。私なんかより激しい試合をしたはずなのに、髪は全く乱れていない。やっぱり神様は不公平です。
「誰かに似ていると思わない?」
不意に鏡をじっと見つめるメラミーさんが、私に問いかけた。誰だろう? 同じ金髪だし、どっちも美人ですから、イサベルさんでしょうか?
「本当に鈍感なのね……」
首をひねった私を見て、メラミーさんが大きなため息をついた。そして、私の方を向くと、そのサラサラの髪を、頭の高い位置で片手で二つに分けて見せる。
「髪の色は違うけど、あなたの知っている人に、よく似ていない?」
私は謎の笑みを浮かべるメラミーさんの顔を、じっと見つめた。その切れ長の目、通った鼻筋。確かに見覚えがある。それにその髪型――。
「アン?」
「やっと気が付いてくれた?」
そうだ。年は違うけど、アンによく似ている。いや、似ているなんてものじゃない。同じ年になったら、瓜二つになるとしか思えない。
「やっぱり、アンは私と違いますね。メラミーさんと同じで、きっとモテモテになると思います」
「そうよ。あんたとは違うの」
そうあからさまに言われると、ちょっと悲しいですが、事実だから仕方がありません。
「だって、彼女は私の妹ですもの」
「えっ!」
「正しくは異母兄弟ね。彼女と私の父親は同じよ」
「いくら美人は似るからと言って、冗談はやめてください」
苦笑いを浮かべた私を見て、メラミーさんが不思議そうな顔をする。
「こんな事を冗談で言うと思う? あなたの継母のカミラさんは、私の母親にも隠れてつきあっていたの。しかも子供を身ごもった。それを隠してあなたのお父様の後妻に入った……」
そう告げると、無言の私に向かって含み笑いを漏らして見せる。
「それが大人の世界らしいわよ」
「関係ないわ……」
「どういう意味?」
「血がつながっているかどうかなんて関係ない。アンジェリカ、アンは私の大事な妹よ」
「ローナの件もそうだけど、あなたは頭の中にお花畑が咲いているのね。少しは現実を見たらどうなの?」
「それが私の現実よ。私にはお姉さんが一人いる。父の落とし子という事になっているけど、本当に血がつながっているかどうかは分からない。そんなことは私には関係ない。ジェシカ姉さんも、アンも、私にとって大切な家族よ」
「やっぱりお花畑ね。あなたがそう思っても、世間はそうは思わない。それにあなたの家は侯爵家よ。大変なことになるわね」
「知ったことじゃない」
「あなたの頭はお花畑だから、何も気にしないかもしれない。でも私とあの子を見れば、すぐに世間は事実を知る。そしたらあの子はどうなるかしら? 自分がカスティオールとは縁もゆかりもない、母親の不義の娘だと知っても、彼女はそれに耐えられる?」
彼女の台詞に、私は心臓が握りつぶされるような思いがした。アンはまだ幼い。自分がどんなに寄り添っても、彼女がそれに耐えらるとは限らない。
「あなたたち貴族は、規則を自分たちの都合よく変えて、私たちからなんでも取り上げるのが得意だけど、大切なもにを取り上げられた気分はどう?」
彼女が頭の上でつかんだ髪を、小さくゆすって見せる。
「でもフレデリカさん、あなたが私との約束を守ってくれれば、これを私だけの秘密にしてあげる」
「それで、何をすればいいの?」
彼女の台詞に私は覚悟を決めた。アンが自分の運命に耐えられる様になるまで耐えよう。土下座して靴をなめろというのなら、いくらでもなめてやる。私は目の前に立つ女をにらみつけた。
「そんな怖い顔をしないでちょうだい。とりあえずは次の試合で決して『負けた』と言わないで」
「それだけ?」
「ええ、それだけ。ちなみに手は抜かなくていいわよ。全力できて。ほら、今ならとってもやる気になれるでしょう?」
そう告げると、私に対して再び含み笑いを漏らして見せる。その顔を見ながら気が付いた。彼女が本当に打ちのめしたいのは、この世界そのものなのだ。自分たちを商品のように扱う大人たちに、自分たちの勝手なルールを押し付け、すべてを奪っていく貴族達。その全てに怒っている。
ローナさんや彼女を見ればわかる。家の期待を一身に受け、血のにじむような努力をしてこの学園に入ってきた。イサベルさんたちも貴族の家の娘として、陰では相当な努力をしてきたのだろう。アンだってそうだ。日々踊りやマナーなど厳しい訓練を受けている。
何の努力もせずに、特権があるというだけでここへ入ってきたのは、私ぐらいだ。だから彼女から見れば、私は許せないのだろう。前世での城砦での因果と全く同じ。
「分かったわ。絶対に負けたとは言わない」
「それじゃフレアさん、午後はよろしくね」
そう告げると、彼女は私を残して、廊下へと出て行った。