羅刹
キャ~~!
メラミーさんとカサンドラさんの、激闘の興奮冷めやらぬ剣技場に、悲鳴のような声が上がった。私たち女子生徒の上げる歓声だ。主審を止めるアルベールさんも、驚いた顔で辺りを見回している。
個人的にも同じような声を上げたいところですが、ぐっとこらえてその声援を受ける二人を見た。一人は明かり窓から入る日差しに灰色の髪を銀色の輝かせており、もう一人は、その全てを飲み込む黒髪と浅黒い肌をしている。二人ともイケメンという台詞すら陳腐に思えるほどの存在だ。
「すごい声援ですね!」
オリヴィアさんも驚いた顔をして、観客席の方を眺めている。聞こえてくる声援は、ヘクターさん7割に、クレオンさん3割というところでしょうか? この学園へ来たばかりのクレオンさんの人気ぶりも、すごいものがあります。
イサベルさんも含めて、どちらが好みか観客席で意見を交わしたいのが、とっても残念です。でもオリヴィアさんの意見は、ぜひ聞いてみたい!
「オリヴィアさんは、どちらを応援されますか?」
「わ、私ですか!?」
「はい。ぜひとも忌憚なきご意見をお聞きかせください!」
「正直なところ、殿方についてはよく知りませんし……」
そう言って考え込むオリヴィアさんの背後で、誰かが聞き耳を立てている。おい、そこのお邪魔虫。これは女子同士の話です。盗み聞きをするんじゃない。私の視線を受けて、お邪魔虫が慌てて背筋を伸ばして見せる。
「そうですね……。私の一番は、やっぱりフレアさんでしょうか?」
「はあ!?」
「フレアさんやイサベルさんと一緒に、こうしていられるのが一番の幸せです!」
「あ、あの、そういう意味ではなくてですね――」
「フレアさん、試合が始まりますよ。一緒に応援しましょう!」
「は、はい!」
気が付くと、大声援の中、二人が竹刀を持って剣技場の中で向かい合っている。その姿はその辺にいる王子様なんかより、よほど貴公子に見える。さらには主審を務める、超いけオジのアルベールさんもいます。ある意味、この試合場は世の女子の夢みたいな場所になっている。
「試合開始!」
アルベールさんの声が響くと同時に、会場がシーンと静まり返った。皆さん推しの心得をよく分かっている。
静寂の中、二人の竹刀がゆっくりと動いた。クレオンさんは竹刀を下段に構え、円形の試合場の中を左手へと動いていく。ヘクターさんはと言うと、片手にもった竹刀をだらりとぶら下げたままだ。
二人の表情や動きは何気ないが、私のような素人から見ても、試合場に張り詰めた緊張感が漂っているのが分かる。まるで時が止まったように思えた時だった。
カタン……。
緊張に耐えきれなかった誰かの手から、何かが落ちた。その瞬間だ。
「タァ――!」「ヤァ――!」
大きな掛け声とともに、二人の体が交差した。だがすぐに先ほどと同様に、二人はゆっくりと円を描いて回り始める。どうやら両者の腕は拮抗しているらしく、簡単に勝負はつかないらしい。
動きながら、ヘクターさんが竹刀を上段へと構えなおした。それを見たクレオンさんも下段におろしていた竹刀を正眼へ構える。
「タァ――!」
ヘクターさんの気合が入った声と共に、クレオンさんに向かって竹刀が次々と打ち下ろされた。それをクレオンさんが小さく竹刀を動かしながら弾き飛ばしていく。
パン、パン、パン、パン!
両者の竹刀の立てる乾いた音が会場へ響き渡った。早すぎて、二人の動きは全く見えない。やがて二人は試合場の両端へと飛びのくと、互いに突きの構えで突進する。
バン!
ひと際大きな音が会場に響いた。見ると伸ばした竹刀が、交差するように、防具で守られた互いの喉元を突いている。
「相打ちか……」
イアン王子のつぶやきが聞こえた。やっぱり二人の腕は拮抗しているらしい。
「相打ちにつき、いったん休憩とする」
アルベールさんが両者の間に割って入ると、二人は汗を拭くために、試合場から控えの列へといったん下がった。イサベルさんがクレオンさんにタオルを差し出すのも見える。やっぱりイケメンと美女は絵になります。
その反対側では、メラミーさんが手にしたタオルで、ヘクターさんの汗を直接拭いていた。その姿に、一部の女子生徒が殺気のこもった視線を送っている。皆さん、それはやめましょう。これは監督の特権と言うものですよ。
「では両者前へ!」
アルベールさんの声に、ヘクターさんが試合場へ足を進める。だけどクレオンさんは、イサベルさんとまだ何か話をしていた。「あれ?」そう思った時だ。イサベルさんがアルベールさんの方を振り向くと、首を横に振って見せる。
「クレオン君。負けを認めると言う事でいいのかね?」
「はい」
クレオンさんはアルベールさんに答えると、ヘクターさんと会場へ一礼した。その後に会場からはどよめきが上がる。
「延長戦についても、辞退させて頂きます」
イサベルさんの声に、再び会場からどよめきが上がる。やっぱりクレオンさんはけがをしたらしい。
「相打ちじゃなかったのか?」
イアン王子の問いかけに、ヘルベルトさんが頷く。
「ああ、相打ちじゃない。信じられないことだが、喉元の一撃の前に、手と胸元へ剣先を叩き込んでいる」
それってマジですか? 私もやばいけど、ヘクターさんの相手をする嫌味男も、相当にやばくないですか?
思わずイアン王子の方へ視線を向けると、せっかく心配してやっているのに、私の視線に気づかず何かを考え込んでいる。まあ、心配しても今更手遅れですね。
なにはともあれ、これで午後の決勝戦の相手は、私たちローナ組とメラミーさんの組に決まった。
「ふ~ん。あの赤毛のお嬢さんも、なかなかやるじゃないか。剣はど素人だけど、気合だけは十分だ」
観客席のカーテンの袖から、試合を見ていたドミニクは、そうつぶやくと、口元に笑みを浮かべて見せた。そして背後を振り返る。
「こっそりのぞかせてもらった甲斐が、あったと言うもんだ。そう思わないかい?」
ドミニクがそう問いかけた先では、小柄な少女が、完全にカーテンの陰へ体を隠している。
「ミカエラ、木刀持っての試合なんて、道場で飽きるくらい見ているだろう。何をそんなに怖がっているんだい?」
「おかしいんです」
「何がおかしいんだい?」
「ヘクターさんの剣がおかしいんです」
ミカエラの言葉に、ドミニクが驚いた顔をする。
「流石はエルヴィンの妹だ。よく見ているね。あの子の太刀筋が、以前とは変わっているのは確かだ。前よりも一振り一振りが重くなっている。でも木刀ではなく、竹刀とかいうもののせいだろうさ」
ドミニクの台詞に、ミカエラは大きく首を横に振った。
「違います。動きとかじゃなくて、遠慮と言うか、思いやりと言うか、言葉には出来ませんが、以前にはあった何かが欠けているんです」
そう告げると、ミカエラは小刻みに体を震わせた。
「どう言うこと?」
控え室に下がるや否や、カサンドラは小声でクレオンに問いかけた。
「見ての通りだ。俺の負けだよ」
「何を言っているの? あんたにできるのって、女をたぶらかすのと、剣を振り回すことだけでしょう? これが背一杯の手抜きの結果な訳?」
「手抜きなどしていない」
クレオンはそう告げると、手に付けた防具を外して見せた。その手首から腕の先が紫色にはれ上がっているのが見える。
「何これ?」
「少なくともひびは入っているな。それにあれは人じゃない。羅刹だ」
「いくらなんでも、負け惜しみにすらなっていないわよ!」
そう告げたところで、カサンドラの顔色が変わった。こちらを見つめるクレオンの目は真剣だ。
「いくらここが蛮族の地だと言っても、ここは王都でしょう? なんでここに羅刹なんかがいるの!?」
「さあな。かつて世界の全てを支配していたクリュオネルの末裔の地だ。何があってもおかしくはない。だけど――」
「だけど何?」
「この学園に張り巡らされている力といい、俺たちが予想もしなかった場所なのは確かだ」
そう告げると、クレオンはカサンドラの瞳をじっと見つめた。