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焦り

「メラミー、手は大丈夫か?」


 選手控えに戻ったメラミーは、ライオネルの呼びかけに小さく頷いた。


「大丈夫よ。少ししびれただけ」


 見かけは冷静を保っているが、腹の中は煮えくり返っている。赤毛たちが出来レースで勝ってくれたのはいいが、自分たちがここで負けてしまっては、何の意味もない。こちらの手の内を見せないで油断していたところを、初太刀で仕留めるつもりだったのに、相手の方が一枚上手だった。


「すぐに冷やすべきだ」


「大丈夫と言っているでしょう」


 メラミーはめんどくさそうに答えると、試合の準備をするヘクターの方へ足を向けた。今となっては、この男に頑張ってもらうしかない。


「ヘクターさん、申し訳ありません」


「惜しかったですね。木刀ならあなたの勝ちだったと思います」


 ヘクターの答えに、メラミーは口元に笑みを浮かべて見せた。


「ありがとうございます。ですが負けは負けです。それよりも、今後の戦い方について、少しご相談させていただけませんでしょうか?」


 それを聞いたヘクターが、不思議そうな顔をする。


「ヘクターさんが勝てば、延長戦になります。その場合は私がもう一度試合をするのか、ヘクターさんが連続で試合をするのか、決めないといけません。今のうちにご相談しておきたいのです」


 メラミーはそう言葉を続けると、ヘクターへ控室の扉を指さした。


「分かりました」


 メラミーはヘクターの開けた扉の先、うすぐらい控室へ進む。背後からライオネルの視線を感じたが、今はそれを気にしている場合ではない。


 バタン……。


 扉が閉まると同時に、メラミーはヘクターの胸へ自分の体を預けた。自分の胸の鼓動の先に、ヘクターの引き締まった体を感じる。


「大丈夫ですか?」


 そう声を上げたヘクターの顔を、メラミーは上目遣いに見上げた。


「どうか勝ってください。お願いします」


「もちろんです。全力を尽くさせて頂きます」


 ヘクターの当惑した声を聞きつつ、メラミーはさらに自分の体をヘクターへと押し付ける。


「これはただの試合ではありません。私の人生がかかっています」


「どういう意味でしょうか?」


「私の様な商家の娘は、家にとっては商品の一つみたいなものです。何一つ自由などありません。ですが、父はこの試合に勝てば、私の希望を優先すると約束してくれました。ヘクターさん、どうか私と、未来を共にしていただけませんでしょうか?」


 半分は本当で半分は嘘だ。この試合に勝たなければ父親との約束が果たされない。負けてしまえばその時点で希望は潰える。そこまでは真実だが、その先はあくまで自分とライオネルの為だ。


「未来をですか?」


「はい。私はあなたの事をお慕いしております。私とウェリントン家の未来を、ヘクターさんに託したいのです」


 メラミーは顔を上げて目を閉じた。そして自分から唇をそっとヘクターの唇へ押し付ける。目を開けると、薄明りの中にヘクターの灰色の瞳が見えた。その瞳は、まるで何かの生き物でも観察しているみたいに、こちらを眺めている。


 その瞳にメラミーは焦った。ヘクターを自分の虜にしないことには、自分の未来は絵に描いたもちだ。


「試合についてはご安心ください。メラミーさんの手が回復するには、少し時間がかかると思います。延長戦は続けて私が試合をしましょう」


 そう告げたヘクターが、メラミーの腰に手を回すと、力強く抱き寄せた。そしてヘクターの方からメラミーの唇を奪う。


『これでなんとかなる……』


 唇に熱い吐息を感じながら、メラミーは安堵のため息を漏らす。ヘクターはメラミーの体をそっと離すと控室の扉を開けた。その先ではライオネルが、メラミーをじっと見つめている。メラミーはその視線に耐えきれず、そっと顔を俯かせた。




「カサンドラさん、勝利おめでとうございます!」


「イサベル監督、ありがとうございます」


 カサンドラはイサベルの差し出した手を握ると、にこやかな笑みを浮かべた。そしてイサベルが差し出したタオルを手に、クレオンの横へ腰をおろした。イサベルは次の試合に向けて、主審のアーベルと何か話をしているのが見える。


「やりすぎだ……」


 小さなため息とともに聞こえてきたつぶやきに、カサンドラは額に浮かんだ汗を拭く手を止めると、隣にいるクレオンをにらみつけた。


「一振りで勝てるのを、わざわざ引っ張ってやったのよ。それのどこがやりすぎなの?」


「次の試合の事を考えてみろ。偶然を装って勝つぐらいでちょうどよかったんだ」


「ちょっと待って。次は負けるの?」


「そうだ。次の相手は王子に、あの得体のしれない赤毛だ。俺たちは善戦むなしく敗れるのが一番望ましい」


「役立たずだと思われたら困る、と言っていたでしょう!」


「見る人が見れば分かる。その程度でいいんだ。いくら家芸だからといって、あんなくるくる回って見せる必要はない。その程度の振る舞いも出来ないと思われたら、それこそ終わりだ。まあ済んでしまったことは仕方ない」


 次の試合へ向けて竹刀を手に立ち上がったクレオンが、肩をすくめて見せた。その視線の先では同じように竹刀を手に、メラミーと話をするヘクターの姿がある。


「それで、あんたはどうやって偶然装うつもり?」


「あのヘクターという男はそれなりに出来そうだから、真剣に手を抜かないと難しいだろうな」


「それよりも、次の試合では回ったついでにコケるのを忘れるな」


 それを聞いたカサンドラは、タオルの陰で忌々しそうに唇をかんで見せた。

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