叱責
控室で汗を拭いて剣技場へ戻ると、剣技場ではイアン王子とヘルベルトさんが、既に互いにあいさつをしているのが見えた。どうやら試合はすぐにはじまってしまうらしい。慌てて控えの列の椅子に座ろうとした時だ。
「ローナ監督、本日はイアンの付添人の代理として、こちらへお伺いさせて頂きました」
背後から落ち着いた声が聞こえた。振り返ると、背の高い男子生徒が立っている。その横ではローナさんがスカートの裾を上げて深々とお辞儀をしているのも見えた。銀色の髪に切れ長の目、性別こそ違うが、とある女性を思い出す。このソフィア王女そっくりの姿は……。
「キース王子様!」
私も慌てて、紳士に対する淑女の礼をした。
「フレデリカ嬢、勝利おめでとうございます。先ほど会場の袖から拝見させて頂きましたが、みごとな剣でした」
「ありがとうございます」
そう告げると、キース王子は、付添人席の方へ顔を向けた。そこにはロゼッタさんと、ローナさんの付添人のバルツさんが座っている。
「ロゼッタ先生、本日はイアンの付添人代理として、こちらへお伺いさせて頂きました。相席させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
ロゼッタさんは手帳から顔を上げると、キース王子に小さく頷いた。流石はロゼッタさんです。いきなりの王子様登場にも、顔色一つ変えることはない。その隣に座るバレツさんはと言うと、帽子をとって小さく会釈をしてみせただけだ。この人も相当に人見知りな人か、心臓に毛が生えているかのどちらかに違いない。
私と言えば、嫌味男とは似てはいるが、まったく違う光を讃えた瞳に見つめらただけで、思わず頬が赤らみそうになる。
「では、失礼させて頂きます」
キース王子はそう答えると、おもむろにロゼッタさんの隣の席へ腰をおろした。その背筋を伸ばして微動だにせず座る姿は、まさに本物の王子様そのものだ。どこかの王子様とは違います。
私はすぐ側にキース王子が座っていることに緊張しながらも、試合会場へ視線を向けた。そこではイアン王子と、ヘルベルトさんの二人が、竹刀を手に、試合開始を待っている。
「試合開始!」
アルベールさんの声が響くと同時に、ヘルベルトさんがすっと前へ進んだ。その動きは私の目でとらえきれないほどに早い。イアン王子は横に動いて、相手の間合いを外していくが、ヘルベルトさんに比べると、その動きは瞬き一つ分くらい遅く感じる。
一度だけ申し訳程度の行った合同練習で、二人が竹刀を合わせるのを見た。素人目にみても、剣の腕はヘルベルトさんの方が上だ。何よりヘルベルトさんの方が、動きに無駄がなく早い。
私の知っている中では、前世の歌月さんの太刀筋に近い。一歩一歩の踏み込みが早く、その剣先は常に相手の急所を狙い続ける。たとえ相手がどこを狙ってくるのか分かったとしても、それを交わし続けるのは至難の業だ。
イアン王子は、横に動き続けながら相手の間合いを交わし続けてはいたが、次第に剣技場の端へと追い詰められていた。このまま捉えるられる。私がそう思った時だ。
いきなりイアン王子が、体をくるりと回転させるのが見える。そしてそのまま手にした竹刀を、ヘルベルトさんへ向かって投げつけた。これって、新人戦の時に、私がエルヴィンさんに使った手じゃないですか!?
イアン王子はそのまま体を低くすると、回し蹴りの要領で、ヘルベルトさんの足を払いに行く。ヘルベルトさんは、上体をひねって竹刀を避けつつ、さらに後ろに飛び下がってその足を避けた。流石は鍛えられた動きだ。しかしその予想外の攻撃に、体勢を僅かに崩す。
その下半身へ向けて、イアン王子が低い姿勢のまま飛び込んだ。そのままヘルベルトさんの体を押し倒そうとする。ヘルベルトさんは竹刀を投げ捨てると、倒れこみつつもイアン王子の腰に手を回して、背後へ投げ飛ばそうとした。
イアン王子はその動きに逆らうことなく、ヘルベルトさんの体の上を、回転する様に飛び越していく。二人の体がもつれ合うように剣技場の上を転がった。気づけば、イアン王子はその間に、ヘルベルトさんの右手をがっしりと掴んでいる。
そして床を転がった勢いで、ヘルベルトさんの左手を右腕から外すと、足でヘルベルトさんの体を押さえつけた。ヘルベルトさんの左腕が伸びきり、ヘルベルトさんがイアン王子の足を叩くのが見えた。
「そこまで!」
そう声を上げたアルベールさんが、イアン王子の手からヘルベルトさんの右腕を外す。イアン王子は素早く立ち上がると、ヘルベルトさんに向かって手を差し出た。だが、ヘルベルトさんは腕を手で押さえたまま、立ち上がれずにいる。
「本試合の勝者は、イアン君!」
アルベールさんの宣言に、会場から声にならないどよめきが上がる。
「なんたることだ……」
隣からキース王子の吐き捨てるような声が聞こえた。キース王子は苦虫をかみつぶしたような顔をして、ローナさんが差し出したタオルを受け取りつつ、こちらへと戻ってくる、イアン王子をにらみつけている。
「イアン!」
その声に、タオルで顔を拭いていたイアン王子が、顔を上げた。そして驚いた顔をする。
「キース兄さん?」
「イアン、王家のものとしての誇りも、恥もない試合は何だ? 後で私の部屋まで顔を出せ!」
キース王子はそう一方的に告げると、席を立って会場の袖へ向かって歩いていく。私はその後ろ姿を茫然と見送った。
どうやらキース王子は、イアン王子に戦い方が相当に気に入らなかったらしい。でも勝ちは勝ちだ。混合戦のパートナーとして勝利のお祝いぐらいは言わないといけない。そう思って辺りを見回すと、イアン王子の姿はどこにもない。
「イアン王子様なら、汗を拭くとおっしゃって、控室に行かれました」
辺りをきょろきょろと見回した私に、ローナさんが教えてくれた。そして少し怪訝そうな顔をする。
「ローナさん、何かありました?」
「はい。大したことではないのですが、先ほどイアン王子様に『おめでとうございます』と言ったら、大人げないと答えられたんで、ちょっと気になっただけです」
「大人げない?」
「はい。そう答えられました」
「ローナさん、ちょっとイアン王子と話してくるから、あとはよろしくお願いします」
私はそうローナさんへ答えると、控室の扉へと向かった。