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 剣技場内の小部屋で、教務担当の若い職員が、混合戦の組み合わせのくじを箱の中へと放りこんでいた。今回は世話役の生徒たちが参加者なので、職員までもが雑用をやらないといけない。


「今年は厄年か?」


 思わず口からぼやきが漏れる。いつもなら入学時の新人戦、その後の運動祭が終われば、一休みできるところなのに、今年はコーンウェル家のお茶会に混合戦と、行事続きで休む暇がない。


 さらには何十年ぶりかの剣技披露会まで予定されている。剣技披露会に至っては、セシリー王妃やスオメラからの大使まで参加する予定なので、間違いなく残業続きになるだろう。


 王女、王子の入学に、年かさの職員たちが天を仰いだのを見て、何がそんなに大変なのかと思っていたが、その意味がやっと分かった。


「こう言うことだったのか……」


 そう再びぼやきつつ、箱を持って部屋を出ようとした時だ。


「お忙しいところ、申し訳ございません」


 誰かが扉の向こうから、こちらを呼びかける声が聞こえた。職員が首をひねりつつ扉を開けると、侍従服姿の女性が立っている。


「ん、ジャネットじゃないか?」


 職員は自分がこっそりと遊んだことがある、侍女の姿に驚いた。


「何をしているんだ? ここは立ち入り禁止だぞ」


「はい。それはよく存じております」


 そう答えたジャネットが黒い瞳でこちらを見つめる。その表情に職員は当惑した。最近より色っぽくなったと聞いてはいたが、その瞳に宿す妖しい光は、もはや別人だ。


「お前、本当にジャネットか?」


 職員の台詞に、ジャネットが口の端を持ち上げた。


「流石は学園だ。下っ端でも意外と鋭いね」


「誰だ――」


 そう声を上げようとした職員の口を、ジャネットが押さえつける。職員は抽選箱を放り出して、両手でそれを振りほどこうとしたが、まったく外すことができない。


「今日は男がいらないぐらいに、楽しみなんだ」


「はい」


 職員の腕が力なくぶら下がり、生気の失せた目でジャネットに頷く。


「だから、もっと楽しくなるような組み合わせに、私がしてやるんだよ」


 再び頷いた職員が、床に落ちた抽選箱を手に、部屋を出ていく。


「小娘達はどんな顔をするかね」


 その後姿を眺めながら、アルマは乗っ取ったジャネットの体で含み笑いを漏らして見せた。




「あれ?」


 三人で楽しくおしゃべりをしながら剣技場へ向かうと、中からざわめきのようなものが聞こえてきた。でもまだ試合開始には少し時間がある。そう言えば、宿舎を出た時も、剣技場への道筋も誰の姿も見ていない。


『もしかして、遅刻したのだろうか?』


 思わず背中を冷たい汗が流れそうになるが、マリにオリヴィアさんも一緒なのだから、それはない。


「マリ、試合開始までまだ時間があるよね」


 一応は確認してみた私に、マリも首をひねって見せる。


「はい。まだ時間は十分にあるはずです」


 まさか、集団寝坊とかじゃないですよね? 少しドキドキしながら控室側の扉を開ける。そう言えば、入学した時も、三人でこの扉をくぐったことを思い出す。あの時はオリヴィアさんが車いすに乗っていたなんて、信じられません。


 それにまさか選手としてもう一度この扉をくぐることになったことも、全くもって信じられない。何がどうしたこらこんな事になるのでしょう?


 そんなことを考えながら扉の先へ進む。あの時は他の生徒さんたちが一杯で、ビビりましたけど……。


「えっ!」


 思わず口から声が漏れた。まだ試合開始までは一時間以上あるはずなのに、観客席が生徒で埋まっている。入学式の時に時間が巻き戻ったのではないかと、勘違いしそうなぐらいだ。


 でも入学式の時とは何かが違う。私たちを見た生徒たちから、大きなざわめきが上がる。


「マリアンさんよ!」

「見て、試合着を着ていらっしゃいますよ!」

「なんて、かっこいいのかしら――」


 女子生徒の数人が声を上げた。


「キャ――!」

「マリアンさ~ん!」


 次の瞬間、剣技場が黄色い歓声に包まれた。隣をみると、試合着姿のマリが、今まで見たことがない顔で立ち尽くしている。


「す、すごいですね……」


 オリヴィアさんも、呆気にとられた顔で辺りを見回した。私と言えば、感動のあまり、目が潤みそうだった。


「これですよ、これ! 見事な推し活です!」


 完璧です。出来る事なら私もあちら側で、マリに心から声援を送りたいところです。でも今日はこの感動を共有できただけで、我慢することにします。


「オリヴィアさ~~ん!」


 会場の一角から男子生徒のそろった声も聞こえてくる。それを聞いたオリヴィアさんの顔は真っ赤だ。もうなんてかわいいんでしょう。将来、この無敵な恥じらいを独占する男は誰でしょうか? 世間の大半を敵に回すこと間違いないなしですね。


 声援を送る男子生徒の視線を遮るかのように、背の高い男子生徒が進み出てきた。そしてオリヴィアさんに向かって、淑女に対する紳士の礼をして見せる。


「オリヴィアさん、お待ちしておりました」


「ヘルベルトさん、遅くなりまして申し訳ありません」


「とんでもありません。私の方が早すぎただけです。本日の控室は組ごとだそうで、こちらになります。フレデリカさんの控室はあちらで、イアンもすでに控室に入っています」


 そう告げると、観客席の一団に向かって勝ち誇った顔を向けた。それに答えるように観客席の男子生徒たちが殺気のこもった視線を返してくる。お邪魔虫(ヘルベルト)君、自ら敵を作りすぎです。これは闇討ちされても、文句は言えない奴ですよ。


「ヘルベルト様、ちょっと待ちください。フレデリカ様、お弁当は――」


 マリが慌てて私の方へお弁当を差し出した。どうやら控室は一緒だと思っていらしい。


「マリ、預かってもらってもいいかな。オリヴィアさん、お昼はみんなで一緒に食べましょう」


「はい、フレアさん」


 心配そうにこちらを振り返るマリに、手を振って答えると、私も自分の控室へ向かった。そこでは外の熱気とは関係なく、イアン王子が椅子に座りながら本を読みふけっている。相変わらず乗りの悪い男だ。でも今日は混合戦の相方です。挨拶ぐらいはしないとだめですね。


「イアンさん、本日はよろしくお願いいたします」


 私が丁寧にあいさつをしてやると、イアン王子は本から顔を上げて、私の方へ顔を向ける。


「こちらこそよろしくお願いする」


 ちょっと待ってください。それだけですか? ヘルベルトさんの爪の垢を煎じてと、言いたいところですが、こちらとしても話しをするつもりはなので、これで良しとします。でもイアン王子以外、部屋の中には誰もいない。


「あれ、ローナさんは?」


「監督同士の打ち合わせにいっている」


「えっ!」


 もしかして、さっきのマリへの声援について、語り合う相手がいないんですか!? それにこんな狭い部屋で、この嫌み男と二人きりです。


「それについては、私のせいではないし、私としても不本意なところだよ。だけど君の正直さについては感心する。ちなみにこれはお世辞ではない」


 イアン王子が本へ視線を向けながらつぶやいた。まさかと思いますが、心の声が漏れていました? でも正直な感想だから仕方がありません。それに普通は心配するとか、安心させる言葉をかけるとかしません?


 でもローナさんの為にも、ここは我慢です。今日はこの男にも頑張ってもらわないといけません。


「イアン王子様、勝利を目指して頑張りましょう。私も、背一杯がんばらせていただきます」


 とりあえずは、紳士に対する淑女の礼をしてやる。それを見たイアン王子は、手にした本をおもむろに閉じると、大きくため息をついた。


「不要だ」


「はああああ?」


「経験上、君が頑張るとろくなことがない。今回の件だって、君が頑張って南区へ行った結果だよ。そもそも、一人で飛び出す必要なんてなかったんだ」


 な、何をほざいているんですか、この男は!?


「そっちが、イサベルさんとこそこそ会いたがって、何も教えてくれなかったからです!」


「こそこそ!?」


「その通りじゃないですか。でも残念ですね。イサベルさんは――」


「何が残念なんだ?」


 あぶない、あぶない。アルベールさんと出かかった口を、慌てて押える。それにもっと残念なのは……。


「その態度です」


 イアン王子が面食らった顔でこちらを見る。よく考えれば、この男には危ないところを救ってもらってもいる。本当なら素直に感謝するところだけど、この男を前にすると、そんな気分にはならないのはなぜだろう?


「君にだけは言われたくない!」


 やはり天敵としか思えません。天敵どころじゃありませんね。私にとっては(やく)そのものです。いつか必ず祓ってやります!


「あの――」


「なに!?」「なんだ!?」


 振り返ると、ローナさんがとっても困った顔をして立っている。またしてもやってしまいました。とりあえずローナさんに思いっきり頭を下げます。


「ご、ごめんなさい!」


「ローナ嬢、申し訳ない!」


 流石まずいと思ったのか、嫌味男もローナさんに向かって頭を下げて見せる。


「組み合わせ抽選会があるそうなので、一緒に来ていただけませんでしょうか?」


 ローナさんはそう告げると、少し引きつった顔をしながら、苦笑いをしてみせた。

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