当日
とうとう試合の日が来てしまった。
「マリ、本番ですね。頑張っていきましょう!」
マリに声をかけて、自分にも気合を入れる。さっさと試合の日になってくれと思っていたけど、こうしてみるとあっという間だった。もっとも体の方はぼろぼろを通り越して、ずたぼろです。
でもまめが出来た手や足を見ていると、少しだけ前世の自分に戻れた気もする。前世では毎日荷車を曳いてましたから、それなりに自慢できる手でした。そもそもこんな簡単に豆を作るようでは、世を渡ってなどいけません!
「さあ、出陣です!」
再び自分に気合を入れなおす。
「フレアさん!」
でも背後から、マリの慌てて声が聞こえた。
「それはお弁当ではなくて、裁縫箱です。それにまだスリッパですよ!」
「えっ!?」
下を見ると、確かにまだスリッパを履いている。手に持った箱も、間違いなくお弁当のそれではありません。ちょっと気合が入りすぎましたらしい。とりあえずは苦笑いでごまかします。それを見たマリが、小さくため息をついて見せる。
「本日は私もご一緒できるので、お弁当は私の方でお持ちいたします」
「それぐらい自分で持ちますよ。それに今日は、竹刀と防具も運ばないといけないでしょう?」
私は入り口横に置いた、巨大なきんちゃく袋へ目を向けた。いくらマリが私より力持ちでも、かさばりすぎです。
「防具については、オリヴィアさんの方で、お手伝いしていただけるそうです」
「オリヴィアさん?」
「はい。ご遠慮させていただいたのですが、是非にとのことでした。今日は付添人の方も臨席ですので、おそらくは、その方にお手伝いを頼まれるのだと思います」
「そうか。流石にオリヴィアさんが持つのは厳しいよね」
最近は病気だったことを忘れるぐらいに元気だけど、いくらなんでも、オリヴィアさんが防具を持つのは厳しい。
もっとも、オリヴィアさんが防具を運んでいたりしたら、男子生徒全員が飛んで来ますね。そして誰が手助けするかで、血を見そうな気がする。うん? ちょっと待ってください!
「今、付添人も臨席っていいました?」
「はい。そのように伺っていますが?」
「それって、ロゼッタさんも見学に来るという事ですよね?」
「そうかと思います」
マリが不思議そうな顔で私を見る。
『まずいです!』
今日何かやらかすと、マジで生死に関わります。
「フレアさん、大丈夫ですか? 顔色が少し……」
「なんでもありません。試合に向けて緊張しているだけです。それよりも――」
さっさと出かけましょうと、言おうとした時だ。トン、トンと、部屋の扉を遠慮がちにたたく音が聞こえた。
「フレアさん、おはようございます」
続けて、オリヴィアさんの声も聞こえてくる。マリがすぐに扉を開けると、廊下にオリヴィアさんが立っていた。その背後には、少し細身に見える男性も立っている。オリヴィアさんの付添人のトカスさんだ。まだ眠いのか、目を細めてこちらをじっと眺めている。
この目にはなんか見覚えがありますね。そうです。南区であったヤスさんもこんな感じでした。トカスさんも、ヤスさん同様にに目が悪いらしい。何はともあれ、先ずは挨拶ですね。
「トカスさん、オリヴィアさん、おはようございます。でも今日はライバルですね」
「はい、フレアさん。トカスさん、すみませんが、お二人の防具を運ぶのを、手伝っていただけますでしょうか?」
背後に立つトカスさんが、片手をあげて答える。
「私の分は自分で持ちます!」
マリはそう声を上げたが、トカスさんは部屋の入り口横におかれた、二つの巨大なきんちゃく袋を手に取ると、おもむろに両肩へと担ぎ上げた。一見細身だけど、体は相当に鍛えてあるらしい。
少し愛想がないですけど、よく見ればとっても渋い男性ですね。これが前世なら、肉屋の娘と大いに盛り上がれるのに残念です。
「申し訳ないが、竹刀はそれぞれで持ってもらえるかな?」
トカスさんはそう私たちへ声をかけると、階段を下へと降りていく。でも行先は分かっているんですかね?
「場所は大丈夫でしょうか?」
「はい。場所を知らずに行く方とは思えませんので、大丈夫だと思います」
そう言うと、オリヴィアさんがこちらをちらりと見る。私のことを、明後日の方向へ行く人間だと思っていませんか? この間はちゃんと南区までたどり着いていますよ!
私が何を考えていたのか分かったらしく、オリヴィアさんが小さく苦笑いを浮かべた。そして少しとまどった顔をして見せる。
「そう言えば、ローナさんはご一緒ではないのですか?」
「ローナさんからは昨晩お手紙をいただいていまして、今日は先に試合会場へ行かれるとのことでした。色々と作戦を練るつもりではないでしょうか?」
「作戦ですか!」
それを聞いたオリヴィアさんが、驚いた顔をする。実際のところ、ローナさんはおとといぐらいから、しきりに何かを考えているらしく、たまに呼び掛けても、返事をしないことがあった。
「きっと応援の仕方をどうするか、考えているんだと思います」
今までの新人戦は、試合前後の拍手ぐらいしか、応援が許されていなかったらしい。個人的には、「なんですかそれ?」です。推しに対する声援が出来ないだなんて、絶対にありえません。なので今回は事務方に対して、声援自由の原則を押し通してある。
当然ながら、最初は事務の方には全く相手にしてもらえなかったが、ハッセ先生に直談判したところ、あっさりと認めてくれた。私個人としても、選手ではなく、応援席から推し活をさせてもらいたかったところです。
「すいません。私は何も考えていませんでした……」
「何も心配はいりません。作戦オリヴィアですよ!」
「さ、作戦ですか!」
オリヴィアさんが、さらに驚いた顔をして私を見る。そんなに驚くことですかね?
「オリヴィアさんがいるだけで、男子生徒が束になって応援してくれます!」
そのための監督です。私の組もローナ監督なので、全く心配はいりません。でもよく考えれば、選手で良かったのかもしれない。もし監督なんてやっていたら、思い出したくもない黒歴史を、またしても作るところでした。
「本当に良かったです……」
「あの、フレアさん、何がよかったのでしょうか?」
いけません。またも心の声が漏れています。
「オリヴィアさんやローナさんに監督をしてもらって、本当に良かったです。今日はみんなで頑張っていきましょう!」
私はオリヴィアさんに向かってこぶしを握って見せた。オリヴィアさんも握ってくれる。
「マリも今日は一緒ですよ」
私の呼びかけに、マリも少し恥ずかしそうにしながらも、こぶしを握る。
「では皆さん、ご一緒に」
「エイ、エイ、オ――!」「エイ、エイ、オ――!」
試合会場へと続く小道を、二人の女子生徒が並んで歩いていた。まだ試合時間には早く、二人以外に道を歩くものはない。
「それで、私は何をすればいいの?」
少し小柄な生徒、ローナがもう一人の生徒、メラミーへ声をかけた。
「あの赤毛さんとの試合になったら、絶対に降参の旗を立てないで頂戴」
「でも本人が降参すれば、それで試合は終了でしょう?」
メラミーの台詞にローナが首をひねって見せる。
「あの赤毛よ。絶対に自分から降参するわけないじゃない」
「確かにそうね。でも単に痛めつけるだけ? それだと、あなたが損をするだけじゃないの?」
「怒らせるのよ」
「怒らせる?」
「赤毛の弱点をとっても怒らせるの。だからローナ、あなたもせいぜい一緒に被害者ぶって頂戴」
そう告げると、メラミーはローナへ、二人が最初に出会った時と同様に、にこやかに笑って見せた。