妹
「こちらの蘭は、スオメラからわざわざ苗を取り寄せたものなんです」
「わが国では、スオメラの蘭を咲かせるのは難しいと聞きますが?」
「はい、それはもう手間がかかりまして――」
カミラはとある伯爵家で行われた、冬薔薇の庭園会に招かれていた。だがあいにくの悪天候で、この屋敷にいくつもある温室へと場所を移している。温室の中に響く伯爵夫人の自慢話と、客たちの追従の声を聞きながら、カミラはじっと温室のガラスを流れ落ちる水滴を眺めていた。
カミラは以前からこのような会に招かれることを、自分が侯爵家の夫人として正当に扱われることを待ち望んでいた。それに花を育てる事であれば、誰にも負けない自信もある。しかしこうしてその場へ訪れてみると、そこにあるのはただの疎外感だけで、自尊心の欠片も満たされることはない。
曇ったガラスの向こうに見える、冷たい雨に濡れる冬薔薇の姿を眺めながら、カミラは小さくため息をついた。
『自分と同じだ……』
誰にも振り替えられることなく、ただ散っていく。気付けば、鉢の一つ一つを自慢げに説明していた伯爵夫人の声も、客たちのざわめきもどこかへ消えている。
『別の温室へ移ったのだろうか?』
カミラはその後を追うと背後を振り返った。その視線の先で、一人の男性が温室へと入ってくる。そして後ろ手に温室のドアのカギを閉めた。
「相当にお金を使ったんじゃないの?」
男が貴族風に短くそろえた口髭の端を、持ち上げて見せる。
「この家にはちょっとした貸しがあってね。ここの貸切代も含めて、その一部を取り立てさせてもらっただけだ」
そう告げると、グラディオスは温室の中をぐるりと見回した。
「ただ数が多いだけだな。艶と言うものがない。君の育てた花とは大違いだよ」
「相変わらず嘘が上手ね」
「これについては心からそう思っている。なにより真実だ」
「本当かしら?」
そう言いながらも、カミラは顔をほころばせた。
「手紙で見たけど、一代子爵に叙されたそうね。おめでとう」
「ありがとう。素直に感謝する。でも所詮は一代だ。そう言えば、君が推薦してくれた宝石商だけど、なかなかの男だな。うちのものが大勢で後をつけたにも関わらず、あっさりと振り切られた」
「そのぐらいじゃないと、何の役にも立たないんじゃなくて?」
「その通り」
カミラの台詞に、グラディオスが小さく肩をすくめて見せる。その姿にカミラは20年近く前、まだ自分が若かった頃を思い出した。そして窓際から離れると、棚の陰に隠れるように立つグラディオスの方へ体を寄せる。
「グラディオス、あなたの計画はいい手だと思うわ。でも、あなたの娘さんにも傷がつくのではなくて?」
「メラミーか?」
「この間のお茶会で見たけど、とてもきれいな娘さんね」
それを聞いたグラディオスが、さもおかしそうに含み笑いを漏らす。
「あら、お世辞なんかじゃないわよ」
カミラはグラディオスの態度に当惑した。だがグラディオスはさもおかしそうに笑い続けて見せる。
「ハハハ、確かにそうだな。あの女に似て、見かけだけはきれいな娘だ」
「あなたと、あなたの奥さんによく似ていると思うけど……」
「俺に似ているか? まあ、似てはいるだろうな」
「どう言うこと?」
「カミラ、君と結婚したいと言ったが、親父は絶対に許さなかった。それにあの女との結婚を強硬に主張したのも親父だ。そしてメラミーが生まれると、まだ首も座るか座らないかの内から、この子がウェリントンの将来の跡継ぎだと宣伝しまくった」
それを聞いたカミラの顔色が変わる。
「グラディス、ちょっと待って。まさかとは思うけど――」
「そのまさかだよ。メラミーはは俺の娘じゃない。親父があの女に産ませた子だ。つまりあの子は年の離れた妹だな。だからそれなりに似てはいるだろうさ」
「なんてこと!」
カミラは悲鳴を上げそうになった口を手で押さえた。それが本当だとすれば、それこそが自分の運命を、そしてアンジェリカの運命を変えたことになる。
「俺が金を湯水のように使うのは、あのくそったれな男の残した金を使って、あの男が手に入れられなかったものを手に入れるためだ。そして君と本当の自分の娘を取り返す。そのためなら俺は何でもする」
そう告げると、グラディオスはカミラの目をじっと見つめた。
「カミラ、あの赤毛の娘と、君の夫がどこか遠いところへ行ってくれれば、俺たちの娘がカスティオール侯爵家を継ぐ。そしてカスティオール家に以前の四大侯爵家の栄光を取り戻す。その為には、ウェリントンなど使いつぶしても何の問題もない」
「グラディオス……」
「カミラ、あいつらが俺たちから取り上げたものを、全て取り返してやるんだ」
カミラはそっとグラディオスの胸に手を置く。そしてその唇へ口づけをした。
イサベルは剣技場で、クレオンとカサンドラが竹刀を合わせるのを、じっと見つめていた。だが外では冷たい雨が降っていて、どうしても手足が冷えてくる。イサベルは両手を合わせると、その指先へふっと息を吹きかけた。少しづつ春が近づいているはずなのに、今日はその息が真っ白だ。
「今日は一段と冷え込みますね」
その声と共に、イサベルの肩へそっと何かが掛けられる。皮で出来た男性物の長外套だ。イサベルは隣に立つ人物を見上げた。その男性はまっすぐに背筋を伸ばし、じっと剣技場で練習をする二人を見つめている。
「ありがとうございます。でもアルベールさんこそ、寒くはありませんか?」
そう声をかけたイサベルへ、アルベールが小さく口元へ笑みを浮かべた。
「少々やせ我慢ではありますが、年上の男としての矜持ですよ」
その台詞に、イサベルは先ほどまでの寒さを忘れた。いや、自分の中で火が燃え盛っているみたいに思えてくる。それを隠すため、イサベルは剣技場で練習する、クレオンとカサンドラへ視線を向けた。こうして横に居られるだけでも、なんて幸せなんだろう。
でもこの幸せな時間も今日で終わりだ。剣技場を使った練習は今日までで、明後日には試合を迎えてしまう。自分がずっと聞きたいと思ったことを聞くには、今日が最後の機会かもしれない。イザベルはそう決心すると、アルベールの顔を見上げた。
「アルベールさん、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい。なんでしょう?」
「ロゼッタ先生とは、昔からのお知り合いでしょうか?」
「ロゼッタ教授ですか?」
アルベールが少し驚いた顔をしてイサベルを見る。それを見て、イサベルは自分の発言を後悔したが、もう手遅れだ。
「実は専門棟の中庭でお二人がお話しているのを、偶然耳にしてしまいました」
「そうですか……。気を付けていたつもりでしたが、油断していましたね。詳しくはお話出来ませんが、ロゼッタ教授とはここに来る前からの知合いです」
「とても親しいご関係のように聞こえました」
イサベルの指摘に、アルベールが苦笑いをして見せる。
「そうですね。こうしてイサベルさんを見ているのと同じ気持ちでしょうか? 本当の妹の様に思っていました。本人からすれば、迷惑なだけだったかもしれませ」
「そ、そうですね。そう思っていただけるのはとても光栄です」
イサベルはそう答えると、再び顔を伏せた。
『やっぱりだ……』
心の中でそう思う。それに女としての感が、先ほどの発言は嘘だと告げていた。妹みたいな関係なら、あのロゼッタ先生があんなに感情的になったりするはずがない。
パチパチパチパチ!
イサベルの耳に拍手の音が聞こえた。クレオンとカサンドラの練習が終わったらしく、アルベールが二人に向け拍手をしている。この寒さの中でも、二人の額にはたくさんの汗がにじんでいる。イサベルは慌ててクレオンとカサンドラへタオルを手渡した。
「ありがとうございまます」
それを受け取った二人がイサベルへ丁寧に頭を下げる。
「お二人の練習を拝見させていただきましたが、実に見事です。それにスオメラの剣技もなかなか興味深い。まさに舞をおどっているようです。こうしてみると、私たちロストガルの剣がかなり無骨に思えますね」
「ロストガルの剣の方が、実戦向きと言う事だと思います」
クレオンの答えに、アルベールは満足そうにうなずいた。そして控室の方を指さして見せる。
「今日はとても冷えますので、お二人ともすぐに着替えをした方がいいと思います。本番前に風邪をひかれると大変です」
そう告げると、アルベールは剣技について話をしながら、クレオンと共に男子の控室の方へと歩いていく。それを横目で見ながら、イサベルは逃げるように、カサンドラと共に女子の控室へ向かった。そしてカサンドラの防具の紐へ手を掛ける。
「カサンドラさん、お手伝いいたします」
「お願いしても、よろしいでしょうか?」
「もちろんです。もっともこれぐらいしかお役に立てませんけど」
露になったカサンドラのうなじに光る汗を見て、イサベルはどきりとする。女性の自分でもそう思うのだから、男子生徒たちからみたら、間違いなく色気を感じることだろう。
「ありがとうございます。助かりました」
そう礼の言葉を述べたカサンドラが、怪訝そな顔をする。
「イサベルさん、何かありましたか?」
「えっ?」
「少し、お疲れの様に見えます」
「やはり女性の目はごまかせませんね。先ほどとある方に失恋いたしました」
それを聞いたカサンドラが、驚いた顔をする。だがすぐに何かを悟ったらしく、更衣室の扉へと視線を向けた。
「確かに、とても素敵な方ですね。あこがれるのはよく分かります」
「はい。ですが、あの方からすれば、私はまだまだ子供みたいです」
「そうでしょうか? イサベルさんはとても魅力的な方だと思います」
イサベルは心の中で首を横に振った。自分の容姿がいくら整っていても、所詮は見かけにすぎない。本当に魅力があるのは、フレデリカの笑顔のような、もっと生き生きとしたものだ。それに女性としての魅力についても、目の前にいるカサンドラの方が、よほどにあふれているように思える。
「カサンドラさんほどではないかと思います。スオメラでは、殿方から引く手あまただったのではないでしょうか?」
「たとえそうだとしても、その価値が分からない男もいたりします」
そう告げると、イサベルへ小さく肩をすくめて見せる。その姿に、イサベルは思わず含み笑いをもらした。練習を見ていた分かったが、カサンドラとクレオンの間柄は、フレデリカとイアン王子の関係によく似ている。そうだ。自分も一つぐらいは彼女に勝ってもいい気がする。
「カサンドラさん、お願いがあります」
「なんでしょう?」
「勝ち負けは二の次と思っていましたが、とある方には絶対負けたくなくなりました。どうかよろしくお願いいたします」
頭を下げたイサベルへ、カサンドラがニヤリと笑って見せる。
「赤い髪の方ですね。イサベルさん、承知いたしました」




