誇り
「フレデリカさん!」
「はい」
「貴方が今日のお披露目でしたことは、この家にどれだけ泥を塗ったのか、分かっているのですか!」
「はい、カミラお母さま。大変申し訳ございませんでした」
もう同じ台詞を何回聞いて、何回答えたのか分からない。途中からもう数えるのをやめてしまった。カミラお母さまは興奮のあまりか、肩で息をしている。
花壇の手入れをしている時に、西棟からアンをしかるカミラお母さまの声が聞こえて来たが、アンはこれに日々耐えていたのかと思うと、頑張り屋さんなだけでなく、私なんかより遥かに忍耐強い子だという事がよく分かった。
「ましてや王家の方々を前に、貴族の子弟としてあるまじき、はしたない事の数々をするなどと言うのは、一体どういうおつもりですか? 貴方はこの家を潰したくて、私達を路頭に迷わせたくて、あの様な事をして来たのではないのですか?」
「そんなことは思ってもいません」
カミラお母さま、それはさすがに濡れ衣です。そんなことは露ほども思っていません。
「きっとそうに決まっています。神殿に行くのが嫌になったので、いっその事、この家ごと潰せばいいと思ったのですよね。だから付添人の身でありながら、お披露目の参加者を殴ったりしたのでしょう?」
ですから、そんなことは思っていません。それに殴ってもいません。殴ってこようとしたから投げ飛ばしただけです。それに、いつから私が神殿に行く事が決定事項になったのでしょうか?
だけどお母さまの怒りの矛先が、どうも変な方に向かっている様な気がする。カミラお母さまの目は怒りと言うより、私を本気で疑い、恐れているように見えた。
「貴方の魂胆はよく分かりました」
「とても貴方を、この家に置いておくことはできません」
「どういうことでしょうか?」
思わず、カミラお母さまに聞いてしまった。
「貴方には、カスティオールとしての誇りも何もありません。勘当です」
カミラお母さまは腰に手をあてると、床に直接座って話を聞いていた私に向かって宣言した。
「勘当ですか?」
殿方で勘当されたという話は聞いたことがあるが、娘が勘当されたという話は聞いたことが無い。あるとすれば駆落ちだ。だけどそれはお話の中だけで、現実には殆ど聞かない。
「旦那様が不在の今は、私が貴方からこの家を守らなければなりません。この家に類が及ぶ前に貴方にはこの家から出て行ってもらいます。明日にも代理人として内務省に書類を出してきます」
「私はこの家には居られなくなる、という事でしょうか?」
「そうです。この家から追放します」
カミラお母さまは本気だ。そう気がついた時、私の目から涙がこぼれた。14歳のフレアの心が張り裂けんばかりの悲しみに打ちひしがれている。花壇ともお別れになる。
いや花壇だけじゃない。ロゼッタさんや、コリンズ夫人やハンスさんにトマスさん。みんなともお別れになってしまう。生まれてから今までの、全ての思い出の場所とお別れだ。
「カミラお母さま、すぐに相手のところに謝りに行きます。頭を床に擦りつけて謝って来ます。ですから、どうか勘当だけはお許し下さい」
私は床に頭を擦りつけて、カミラお母さまにお願いした。
「今更反省しても遅いのです!」
「お母さま!」
「これは貴方のした事から、この家を守る為です」
「失礼します」
誰かが部屋に入って来て、私の前に立つとカミラお母さまに頭を下げた。
「ロゼッタさん、誰も入っていいとは言っていません。これはカスティオール家の問題です。あなたの出る幕ではありません!」
「これはフレデリカお嬢様とは直接は関係がない件です。ジェシカお嬢様経由で私に送って来られた、ロベルト旦那様からの私信です。すぐに奥様にお見せするようにとの指示がありましたので、こちらにお持ちさせて頂きました」
ロゼッタさんはそう言うと、カスティオール家の家紋、薔薇の紋章が押された封書をカミラお母さまに差し出した。興奮のあまり肩で息をしているカミラお母さまが、ロゼッタさんの手から封書をひったくるように奪って、その署名を確かめている。
どうやらそれは、本当にお父様からの私信だったらしく、お母さまは私を置いて書き物机の前に行くと、ナイフで封書の封を切った。しばしそれに目を走らせていたカミラお母さまだったが、便箋を封書の中に戻すと、ロゼッタさんの方をふり返った。
「いつこちらに着くかについて、連絡はあったのですか?」
「私のところにはジェシカお嬢様から、間もなくとしか届いておりません」
「間もなく?」
「はい。おそらく用心の為かと思いますが、送られてきた使い魔も、どこから来たのかについては、はっきりしたことは答えませんでした。近くであることは間違いないようです。連絡が突然だったことを考えると、とても近くまで戻っていらっしゃると考えるのが自然かと思います」
カミラお母さまが、ロゼッタさんの「近い」という言葉に反応して、考え込むような表情を見せた。
「フレデリカさん」
「はい」
「こんな遅くまでカミラ奥様のお手を煩わせるとは、どういうことですか? 貴方には、貴族の子弟としての振る舞い方を、最初から全て教えなおす必要があるようです」
「はい、ロゼッタさん。申し訳ありません」
「カミラ奥様、この件につきましては、普段の私の力不足につき、大変申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます」
ロゼッタさんはそう告げると、カミラお母さまに向って深々と頭を下げた。
「もしロベルト旦那様へご返信があるようでしたら、私の方で使い魔を送らせていただきますので、その際はお声をかけていただけませんでしょうか?」
「分かりました。今のところ返信の予定はありません」
「了解しました。ではフレデリカさん、これ以上カミラ奥様のお時間を頂くのは、私としても大変心苦しくあります。コリンズ夫人共々、カスティオール家の者としての在り方について、フレデリカ様の考えをお聞きしたいと思いますので、私と一緒に東棟まできて頂けませんでしょうか?」
「はい、ロゼッタさん」
「カミラ奥様。今晩は、これにて失礼させていただきます」
ロゼッタさんはそう告げると、床に座り込んでいた私の手を取って、引きずる様に廊下へと引っ張っていった。そして無言のまま東棟へと向かう廊下を歩いて行く。
私はロゼッタさんの後について、西棟の廊下を抜け、東棟へと続く渡り廊下へと入った。周りは真っ暗だ。空に光る黄色い月と赤い月だけが私達の足元を照らしている。必死にそれを止めようとしていたが、嗚咽が口から漏れてしまう。その音だけが、廊下の石の壁に反射して、とても大きな音を立てていた。
前世の記憶を思い出した時に、私はこんな窮屈な生活なんて、すぐにも辞めて出ていきたいと本気で願った。だけど自分がここから追い出されるかもしれないという事態に直面して、私がここをどれだけ愛しているのかを理解した。
14歳のフレアの心だけではない。19歳のフレアの心にも、この家での思い出の一つ一つが目に浮かんでくる。アンナお母さまが生きていた時に一緒に植えた花壇。服を泥だらけにして、ロゼッタさんやコリンズ夫人に怒られた事。私にとってはどれも大切な、忘れる事などできない大事な思い出がたくさん詰まっている。
渡り廊下の半ばを過ぎた辺りで、ロゼッタさんが立ち止まって、私の方をふり返った。月明かりを浴びたその姿は、授業をしている時のように冷静で威厳に満ちて見えた。
「フレデリカさん」
「パン!」
ロゼッタさんの掛け声が耳に届くと同時に、私の左の頬にするどい痛みが走った。
「今日のお披露目の件については、カミラ奥様の言う通り、侯爵家の子弟としてはあるまじき行為です。反省しなさい」
「はい」
「ですが貴方のしたことは、一人の姉が妹を守る為にした行動としては、十分に称賛されるべきものです」
そう言うと、ロゼッタさんは私をそっと抱きしめてくれた。私の目からさっきまでの悲しみの涙とは違う、もっと温かい涙が留めなく流れ落ちていく。
「私は貴方を誇りに思います」
私はなんて幸せな人間なんだろう。こんな私なのに、こんなにも私の事を大事に思ってくれている人達に囲まれている。
ロゼッタさんと、みんなと離れるなんてのは絶対にいやだ。その為ならあの少年のところに行って土下座でもなんでもして許しを請う。誰かのところに謝りに行けと言うのなら、その全てのところに行って頭を地面に擦りつけてくる。
「ロゼッタさん、私は、私はこの家から出て行かないといけないのでしょうか?」
ロゼッタさんが私に向って、ゆっくりと首を振って見せた。
「フレデリカさん、何を言っているのですか? 貴方はカスティオール家の長女なのですよ。カミラ奥様が何と言おうが、誰もあなたを追い出したりは出来ません。それに、そんなことは私達が許しません」
「アアーーーン!」
私はロゼッタさんの胸の中で、赤子のように泣き声を上げた。