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行末

「えっ! イサベルさんって、もう練習にいかれたんですか!」


 放課後のベルがなった瞬間、どこにを探してもイサベルさんの姿が教室に見当たらない。思わず悲鳴のような声が出てしまった。我に返ると、授業が終わって帰り支度をしているみんなが、一斉にこちらをガン見している。


「はい。すぐに練習へ行かれたみたいです」


 オリヴィアさんも私へ首をひねって見せる。私の中に新たな疑惑が芽生えてから、すでに数日が過ぎています。ですが、未だにイサベルさんを捕まえられていません。今日こそは何とかせねばと思っていたのに、一体いつ姿を消したのでしょう?


『マリと同じで、実は隠密使い!?』


 そんな考えが頭に浮かぶが、流石にそれはない。でも授業の合間の休み時間に話せる内容ではありませんし、なにしろ人目があります。


「ふふふ、もうこれは裏庭に呼び出し案件ですね……」


「フレアさん、何か気になることでも?」


 オリヴィアさんが、見てはいけないものでも見てしまった顔をして、私を眺めている。まずいです。心の声、それも邪悪な何かを漏らしてしまいました。


「いえ、なんでもありません。私たちも練習に行きましょう!」


 逃げられてしまったのは仕方がありません。とりあえず体を動かして、内に秘めた邪念を払うことにします。


「はい!」


 オリヴィアさんも元気よく返事をしてくれる。そう思って剣技場の方へ向かうが、心の奥底から、抑えきれない何かが湧き上がってくる。やはり私の心は煩悩にまみれているらしい。


 まっすぐ進めば私たちが使っている剣技場だが、右に折れれば、イサベルさんが使っている剣技場だ。せめてイサベルさんがどんな顔で、あの警備部長さんを見つめているか分かれば……。


「オリヴィアさん、剣技場はこっちでしたっけ?」


 道を間違ったふりをして、覗くぐらいしてもいいですよね? 私が右手へ向かって駆けだそうとした時だ。


「フレアさん、オリヴィアさん、本日もよろしくお願いします!」


 前方でローナさんが私たちへ手を振っている。この状況で道を間違ったふりをするのは、流石に無理です。


「あ~~~、イライラします!」


 思わず本音が口から洩れてしまった。それを聞いたローナさんがびっくりした顔をして私を見る。


「フレアさん、本日は練習をお休みした方がよろしいのではないでしょうか?」


「はい?」


「あれがはじまりますと、私も体が重くなって、少しイライラする時も――」


 ローナさんが恥ずかしそうに顔を赤らめる。もしかして、()()と勘違いしています?


「いえ、そっちではありません!」


「道の真ん中で奇声をあげるな。うっとうしい!」


 いきなり耳を疑う台詞が聞こえてきた。誰です、今の私の気分を、さらに悪化させる不届き者は? そう思って顔を上げると、渡り廊下の向こうから、男子生徒が二人、こちらへ向かって歩いて来る。


「あっ、嫌味男!」


「誰が嫌味男だ!」


「自分の事だと言う自覚が、あるじゃないですか?」


「君と話していると、本当にめまいがしてくる」


 男子生徒の一人、イアン王子が私に向かって、思いっきり苦虫をかみつぶしたような顔をして見せる。たまには朗らかに笑って見せるとか、出来ませんかね? ぜひ、クレオンさんの爪の垢を煎じて飲んでください!


「それはさておき、教務課へ出す書類に署名をする件について、事務室を通じて連絡したはずだが?」


「そんなもの、影も形も見ていませんけど?」


 そう宣言した私の袖を、誰かが引っ張った。見ると、オリヴィアさんが少し引きつった顔でこちらを見ている。


「フレデリカさん、今朝、事務員の方から封書が渡されていたと思いますけど……」


 そう言えば、そんなのがあった気もします。イサベルさんをいかに捕まえるかを考えるのに忙しくて、中身は全く見ていません。


「少しばかり立て込んでおりまして、見ておりませんでした」


「開き直るな!」


「忙しいと言ったのが、聞こえませんでしたか?」


 イザベルさんを捕まえて話を聞くのは、試合よりも、もとい、試合と同じぐらい大事な用事ですよ!


「あ、あのフレデリカさん、私もお手伝いしますので、先に事務処理を――」


「オリヴィアさん、私もお手伝いさせて頂きます!」


 仕方ありませんね。ここはオリヴィアさんと、ローナさんの顔を立てる事にします。


「では、ちゃっちゃと終わらせましょう!」


「それとこれは混合戦だ。一度ぐらいは一緒に練習をしたことにしないといけない。そのために職員方が来ることにもなっている。それも連絡したはずだが?」


「はあ?」


 なんで私があんたと一緒に、練習しないといけないんです。そう言えば後ろに立つお邪魔男(ヘルベルト)が、やたらとニヤついてる。分かりました。マリですね。マリの試合着姿が目的ですね!


「いやらしい!」


「何が、いやらしいんだ!」


 あれ? またも心の声が漏れていました?


 でも正直な感想だから仕方ありません。それにその後ろのでかいやつ(ヘルベルト)、なんでお前はオリヴィアさんに向かって、ガッツポーズなんて決めているんだ?




「ふ、ふ~~ん」


 ローナは宿舎へ向かって歩きながら、少し調子はずれの鼻歌を歌っていた。今は父親から手紙を受け取って以来、ずっと胸につかえていたものも、どこかへ消えている。


 それよりも、フレデリカのイアン王子とのやり取りを思い出すたびに、腹がよじれそうで辛い。二人のやり取りを聞いていた時は、祭りの喜劇でも見ているようで、ローナは笑いをかみ殺すのに必死だった。


 ローナからすれば、イアン王子は雲の上の人であり、口を利くことすらおこがましいぐらいに思える。なのにフレデリカと言えば、全く遠慮がない。いや、遠慮する気もないのだろう。


『そう言えば……』


 ローナは黄色組の生徒たちの噂話を思い出した。イアンの相手がフレデリカではないと言う噂だ。


 イアン王子のお相手が誰かは、黄色組の生徒たちの間ではよく出る。おそらく自分がイアン王子の相手だったら、誰もが一度はそんな事を考えるからだろう。黄色組にいる生徒たちは、自分たちには絶対にありえないと分かっているからこそ、それをネタに出来た。


 その中で一番多かったのは、コーンウェル家の一人娘のイサベルだ。だが、運動祭が終わった後から、フレデリカではないかと言う声が急に上がってきている。


 確かに二人の関係を見る限り、それが本当だとしても不思議ではない。二人は決して認めないと思うが、ローナから見れば、実は仲がとってもいいように思える。


「ふふふ……」


 ローナは再び今日のやり取りを思い出して、含み笑いを漏らした。やっぱり彼女(フレデリカ)といると、退屈することがない。そんなことを考えながら、宿舎の玄関へ入った時だ。


「ローナさん」


 不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。玄関の先へ目を向けると、メラミーが自分の取り巻きたちを連れてこちらを見ている。


「今日の練習は終わったの?」


「ええ」


「それなら、少しお話に付き合ってもらえないかしら?」


「洗濯物もあるし、今日は遠慮しておく」


 ローナは手にした籠をメラミーへ持ち上げた。中にはフレデリカの使ったタオルが入っている。ローナはそれを自分で洗っていた。そうすることで、自分もフレデリカたちと一緒に、試合へ臨んでいる気分になれる。

 

「洗濯物? そんなの侍女にやらせればいいでしょう?」


「これは自分でやりたいの」


「相変わらず変わっているのね。でも私たちは監督でしょう。試合についての意見の交換をしない? それにあなたの婚約者についても、一度お話を聞きたいと思っていたの」


「婚約? 違うわよ」


 ローナの返答に、メラミーが首を傾げて見せる。


「あれ? 後妻じゃないの?」


 メラミーの問いかけに、背後で取り巻きたちがざわつく。


「もしかしたら、あれじゃないの」「ああ、あれね……」


 彼女たちは、自分がどこかの貴族の愛人だと言いたいらしい。


「言いたくないのね。それじゃ、こうしましょう。私があなたの組に勝ったら、それを教えて頂戴」


「いいわよ。でもメラミー、私からもお願いがあるの」


「なに?」


「私の組が勝ったら、二度とこの話題に触れないで」


 それを聞いたメラミーが、ローナに向かってニヤリと笑って見せる。


「いいわよ。では皆さん、談話室でお茶にしましょう」


 メラミーは取り巻きたちを連れて談話室へと去っていった。ローナはメラミーたちに背を向けると、階段を駆け上がって一番奥にある自分の部屋へ入る。そこでは自分なんかより、余程に貴族の奥様みたいに見える女性が、タオルをたたんでいた。


「ジョナさん」


 やっとローナの存在に気が付いたらしいジョナが、慌ててローナに向かってお辞儀をした。


「はい、お嬢様。なんでしょうか?」


「バルツさんに、当家への出資者の件で、お話があると伝えてください」


 ある意味でメラミーは正しい。これは他の誰でもない、自分の問題だ。それを知らずに、今を過ごすことなど出来ない。



 

 侍従服を着た若い女は、手にした瓶を夕刻の日の光にかざして眺めていた。そばかすが目立つ顔は、少しやぼったくはあるが、いかにも素朴そうに思える。だが瓶を見つめる瞳は全くの別物だ。瞳孔のない真っ黒い瞳で、瞬き一つすることなく、瓶の中でうごめく黒い泥をじっと見つめている。


 ガチャ。


 部屋の扉が開く音に、女性は窓のそばを離れると、エプロンに手を添えて深々とお辞儀をする。いつの間にか、瞳は薄い茶色に変わっており、瞳孔もあった。


「イェルチェ、戻ったわ」


「お嬢様、お帰りなさいませ」


 そう返事をしたイェルチェが、そのそばかすが目立つ顔に、「おや?」という表情を浮かべて見せる。


「あら、ずいぶんと機嫌が悪いのね。いや、本来のあなたへ戻っただけ?」


「その両方よ。でも本来と言うのは正しくないと思うけど。私は私よ」


 イエルチェが侍従らしからぬ態度で、オリヴィアに向かって肩をすくめて見せる。


「それはそうね。それじゃ、どうして機嫌が悪いの? 今日もあのお嬢さんと練習をしてきたのでしょう。それともあの侍女さん(マリアン)に妬けた?」


「それはそれで妬けるけど、今日は違う。イアン王子に全部もっていかれたわ」


「あら、それは残念ね」


「イェルチェ」


「あらたまってなに?」


「もし、フレアさんの婚約者が決まったりしたら……」


「決まったら?」


「あなたの力を使って、それを邪魔してくれないかしら?」


 そう告げると、オリヴィアはイエルチェの手にする瓶の中を、興味深そうに眺めた。

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