表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
262/347

要請

「それじゃ、お父さんも気を付けてね!」


 そう声をかけると、カスティオール家の王都における会計係のモニカは、港の側にある小さなレストランへ背を向けて歩き始めた。今日はライサの港湾事務所に勤める父と久しぶりに会って、昼食を共に取ったところだった。


 もっとも会話と言ってもモニカから話すようなことは何もない。何か話すとすれば、カスティオールにいた時の思い出話ばかりになってしまう。それはその後で起こった、母の死を思い出させた。


 その代わりに、父親がモニカへ、カスティオール家での仕事ぶりについて聞いてきた。同時に気になる人がいないかとも聞いてくる。父としては自分の将来を心配しての事だろうけど、モニカにそんな人はない。いや、気になる人はいる。自分を鉱山から助け出してくれたその人、マリアンだ。


 モニカはライサ商会の経理担当だったが、王都におけるカスティオール家の会計係も兼ねており、普段はカスティオール家に詰めている。モニカがライサに、そしてカスティオールに努めるきっかけは、そのマリアンと言う名の少女のお陰だった。


 だが当のマリアンは、ここしばらくカスティオール家にも、ライサ紹介へも顔を出していない。コーンウェル家が学園でお茶会を催したらしいので、その準備などに忙しかったのだろう。カスティオールのカミラ夫人もそれに招待されたらしく、その準備で侍従たちは大忙しだった。


 でもあれほど大騒ぎして出かけてきたわりには、戻ってきた時のカミラ夫人の機嫌は最悪に近かった。きっと長女のフレデリカが、貴族の誰かに褒められるでもしたのだと思う。カミラ夫人が長女のフレデリカ嬢のことを疎ましく思っていることは、屋敷につめているライサの関係者にも知れ渡っている。


「ふう……」


 馬車駅へ近道になる道を歩きながら、マリアンと中々会えないさみしさに、モニカは小さくため息が漏らした。その時だった。黒塗りの立派な馬車がモニカの少し先で止まる。家紋は入っていない。誰かのお忍びだろうか? そんなことを考えなら、モニカは馬車の横を通り過ぎようとした。


「モニカさんですね?」


 いきなり自分の名前が呼ばれたことに、モニカは驚く。すぐに元来た道へと駆け戻ろうとしたが、その手を誰かに捕まれた。同時に黒い服に身をつつんだ御者が、モニカの前へ立ちはだかる。モニカは悲鳴をあげようとしたが、口をふさがれ、あっという間に馬車の中へと押し込まれた。


『油断していた!』


 モニカは真っ暗な馬車の中で身を固くした。カスティオールで自分の故郷の秘密に気がついて以来、ずっと気を付けていたつもりだったが、今日は父親との会食で気が緩んでいた。


 耳には御者が馬を追う音と、車輪が石畳を打つ音も聞こえてくる。窓が閉められ、内側に詰め物がされている馬車の中で声を上げても、誰にも気づいてもらえそうにない。もしかしたら、このまま自分は殺されてしまうのだろうか? モニカがそう思った時だ。


「驚かして申し訳ありません。少し手荒なご招待だったことも、お詫びいたします」


 落ち着いた男性の声が耳に響く。少しづつ暗闇になれてきたモニカの目に、前の席に一人の男性が座っているのが見えた。その手には杖が握られている。


『魔法職?』


 モニカはそう思ったが、男性から感じる雰囲気は魔法職のそれではない。モニカがあの悲惨な鉱山で、初めてマリアンと会った時に感じたものと同じく、触れれば手を切ってしまいそうな、雰囲気を漂わせている。モニカは目の前の人物が誰か分かった気がした。


「謎のオーナーですね?」


「謎?」


 モニカの耳に、わずかに当惑した声が返ってくる。


「はい。エイブラム代表が、うち(ライサ)の実質的なオーナーは、マリアンさんだと漏らしたことがありました。実質的と言う事は、マリアンさんとは別に、ライサの前代表とは別のオーナーがいると思っていたんです」


「なるほど。あなたは彼女から聞いていた通り、とても聡明な方らしい」


 モニカはマリアンが自分をそう思っていると知って、素直に喜んだ。それと暗さに目が慣れてきて、前の席に座る男性の姿が徐々に見えてくる。とても落ち着いた声をしているが、それほど年をとっている訳でもない。でもその目は鋭く、マリアンと同じで全てを見通してしまいそうな瞳をしている。


「ロイスと言います」


 そう告げると、男性が口元に小さく笑みを浮かべて見せた。その頬には長い刀傷らしいものがある。馬車への招待の仕方と言い、間違いなくモニカ達は住む世界が違う人間だ。でもその名前には聞き覚えがあった。モニカは食事の時に父親が、その名を口にしたのを思い出す。


 確かメナド川の川筋を抑えている顔役で、そこで働く労働者たちを仕切っている。海運を主にするライサとしては、本来はやっかいな相手のはずだが、父親はむしろ頼りになる存在だと言っていた。その人がマリアンの知り合いなら納得がいく。


「川筋の親分さんが、私に何の御用ですか?」


 モニカは思い切って、自分からロイスに問いかけた。


「モニカさん、あなたがカスティオールで調べている件について、私どもの方で、その調査を引き継がせて頂きたいのです」


「ちょっと待ってください。親分さんがですか?」


 その言葉にモニカは驚いた。モニカがマリアンに告げた内容は、そう簡単に他の誰かに漏らせるようなものではない。モニカもそれを告げたのはマリアンだけだ。つまりマリアンはこのロイスと言う顔役を相当に信用していると言う事になる。


 モニカは目の前のロイスの顔をじっと眺めた。マリアンとは相当に年が離れている。でも権力者や金持ちが山ほどいる王都では、年齢が上の男性が、とても若い娘と結ばれるのは珍しいことではない。


「あの子の母親とは、昔からの知合いです。それで親代わりみたいなことをしています」


 そう告げると、男性はモニカに苦笑して見せた。どうやらモニカが何を考えているのか分かったらしい。


「もっとも私のようなものが表に出ると、あの子の迷惑になってしまうので、こっそりとですがね」


 ロイスの台詞にモニカは頷いた。この男性が嘘をついているようには思えない。でもマリアンは、なぜこの男性に調査を依頼したのだろう?


「それはマリアンさんの希望なのでしょうか?」


「あの子はあなたがこれ以上調査を続けるのは危険だと思っています。ついてはその資料を、私へ渡していただけませんでしょうか?」


「無理です」


 マリアンは迷うことなく即答した。


「無理?」


 モニカの言葉にロイスが首をひねって見せる。


「はい。資料は全て廃棄しました」


「どうしてですか?」


 そう問いかけるロイスの視線に、モニカはおののいた。理由がなければ許さないという目だ。


「あまりにも危険だからです。集めれば集めるほど、誰かに気づかれる可能性は高くなります。なので全て記憶して、元の資料は廃棄しました。あるのは私の頭の中だけです」


「困りましたね」


 それを聞いたロイスが嘆息する。


「私の方で安全な場所を確保します。そこでその内容を――」


「それもお断りします」


「あなたにはご協力していただけると思っていたのですが?」


「もちろんです。なので、私もその調査に、神殿へ連れて行っていただきたいのです」


 モニカはそう宣言すると、ロイスの瞳をじっと見つめ返した。

 



 事務所へと戻る馬車が不意に止まった。馬車の扉が開いて、白髪の目立つひげ面の男が馬車へ飛び込んできた。モニカは既に目立たぬ場所で馬車からおろしてある。


「何かあったか?」


 ロイスは馬車に乗り込んできた右腕のマインズへ声を掛けた。


「姐さんが私どものところへ顔を出しました。旦那にお会いしたいと言っていましたが、こちらの件があると伝えたところ、後日でよいと言って学園に戻られました」


「あの子にしては妙だな……」


 ロイスは首をひねった。マリアンが何かをしようとして、それを途中であきらめるというのは珍しい。


「何か悩みを抱えていらっしゃるようでした」


「あの年でこんな目にあっているんだ。悩みなど山ほどあるだろう」


「そうだと思います。気になるのは、自分もアルマみたいな女になるかもしれないと、つぶやかれました」


「アルマみたいな女?」


「一度会ってお話を聞いた方がいいかもしれません」


「あの子が会いたいと言ってきたら会おう。それまではこちらから何かを言うべきものではないな。それにあの子はアルマみたいな女になったりはしない。俺はそう信じている」


 ロイスの台詞に、マインズもうなずいた。だがロイスを見て少し心配そうな顔をする。


「どうかされましたか?」


「こちらも問題が出た。ライサのお嬢さん(モニカ)が自分も調査に行くと言っている。そうでなければ情報をこちらに渡すつもりはないそうだ」


「カスティオール領ですよ! 地元とは言え、素人の行くところじゃありません」


「どうやら神殿もだ。そちらの方が重要らしい」


「もっと大変なところです」


 それを聞いたマインズが呆れた顔をする。


「神殿に向かう船へもぐりこむ段取りを頼む。それに腕のたつ護衛役も必要だな。それも魔法職がいる」


 そう告げると、ロイスは馬車の窓を上げた。馬車はメナド川の土手沿いの道を走っている。夜の帳が下りる中、ロイスは黄色い光を灯し始めた灰の街を、じっと眺めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ