普通
「フフフ」
思わず口から含み笑いが漏れてしまいます。マリと一緒に新人戦の練習をする許可を取ってあるので、なんと、お昼ごはんをマリと一緒に食べられるのです。
「ふふふ」
どうやら、オリヴィアさんもそれを楽しみにしているらしく、私と同じような含み笑いをもらしている。
「フレデリカさんとマリアンさんの練習も拝見できるなんて、とっても楽しみです。監督をやらせていただいたかいがあります」
その横でイサベルさんが少しいじけた目で、こちらを見る。
「本当にうらやましいです! でも、自分の組の皆さんのお世話が優先ですよね」
イサベルさんは小さくため息をつくと、お弁当が入った箱を手に、特別棟の方を指さした。残念ながら、イサベルさんの組は別の会場で練習になっている。普通に考えれば、別の組同士の私とマリアンが一緒に練習する方がおかしいのだけど、流石にそれは許してもらおう。
「でもイサベルさん、クレオンさんは相当にイケメンですよ!」
その代わりと言っては何ですけど、相手が留学生というのもあって、イサベルさんは男子生徒のクレオンさんの練習を一緒に見ると言う、普通ならあり得ないことになっている。
「確かにとてもさわやかな方ですね。それに他の男子生徒の皆さんとは少し違う気がします」
イサベルさんも、そう思っています?
「ですが、お二人はこちらへ来る前からお知り合いみたいです。幼馴染でしょうか?」
「お、幼馴染の留学生!」
思わず悲鳴のような声が出てしまった。
「それって、鉄板じゃないですか!」
「そ、そうなんですか?」
「どう考えてもそうです!」
「では、私は二人のお邪魔をしないようにするだけですね」
イサベルさんは苦笑いを浮かべると、廊下の角を曲がって中庭の方へと向かって行く。でもその二人の練習を見られるイサベルさんも、とってもうらやましい気がします。
私とオリヴィアさんはイサベルさんに手を振ると、剣技場の方へと進んだ。近づくにつれ、入学式当日の悪夢が脳裏に浮かんできてしまう。どうしてこのいたいけな女の子を、選手に間違えたりするんでしょう。
「間違いなく、誰かの陰謀です!」
「フレアさん、何かおっしゃいましたか?」
「心の声が漏れてしまっただけです。気にしないでください」
「はあ……」
オリヴィアさんが当惑した顔でこちらを見る。
「どうして新人戦の選手だなんて思うんですかね。普通の女の子ですよ!」
「普通ですか?」
何故かオリヴィアさんが、さらに当惑した表情でこちらを見ている。
「そ、そうですよね」
色々とやらかし続けているのは、重々承知しておりますが、もしかして、普通扱いしてもらっていないんしょうか? 私はここにまつわる記憶のすべてを心の中のごみ箱に放り込むと、剣技場の扉を開けた。その先では二人の女性がこちらを見て立っている。一人は私の練習相手のマリ。そしてもう一人は――。
「ローナさん、遅れてすいません!」
「ローナ様には荷物搬入まで手伝っていただきました。お手数をおかけして申し訳ありません」
そう言って頭を下げたマリに、ローナさんが慌てたように手を横に振って見せる。
「そんな大したことはしていません。少しでもお役に立ててなりよりです。それに様をつけるのはためてください。皆さんと一緒にさん付けでお願いします」
「そうですよ、マリも組は違いますけど同じ選手ですからね!」
「はい。一緒に戦う仲間です」
オリヴィアさんもマリに頷いて見せる。
「はい。皆様がそうおっしゃるのでしたら、団体戦の間はそのようにさせていただきます」
フフフ、それでこその団体戦です。
「フレアさん、コーンウェル家に用意していただいた、試合着と防具をお預かりしております。こちらへ着替えをお願いします」
マリが指さした先には、顔と胴を守る防具が置かれていた。それは薄い金属と厚布を張り合わせて作れており、とってもきれいな装飾までされている。試合着もただの白い衣装ではない。目立たぬ色でとってもおしゃれな刺繍がされている。
顔を守る金属の格子を外してしまえば、「新しい防寒着です!」と主張しても、全く問題ないくらいです。
「素敵ですね……」
それを見たオリヴィアさんの口からも、感嘆のため息が漏れる。流石はコーンウェル家、おそるべしです。でも、ここで着替えるんですかね?
私はあたりをきょろきょろと見回した。更衣室らしきものはどこにも見えない。でも男性がいるわけではなないですし、時間もないのでとっとと着替えることにします。
「マリ、お弁当は後にして、とりあえず着替えましょうか?」
「承知いたしました」
ローナさんが私の脱いだ制服の上着を受け取りつつ、私に試合着を差し出してくれた。こんなかわいい人をお嫁さんに出来る男性は、間違いなく超のつく幸せ者です。どこかのエロ爺などに囲われる、なんて事があってはいけません。私が男だったら、命がけでも奪いに行きます。
そんなことを考えながら、私は試合をローナさんから受け取った。よく見ると、試合着に描かれている刺繍は、巨大な空を飛ぶ生き物の文様になっている。
「これって、竜?」
「あ、そうですね。試合着だからでしょうか? 珍しいですね」
それを見たイサベルさんも不思議そうな顔をして見せる。この世界にも竜はいるのだろうか? そんなことを考えながら、反対側で着替えるマリをちらりと見た。
「えっ!」
予想よりはるかに大きな胸に思わず声が出てしまった。それでいて、無駄な肉がなくすらりとしていて、女の私が見てもほれぼれするぐらいです。そう言えば、南区へ行く時に借りた侍従服の胸に、タオルを詰めましたね。なのに腰回りは相当にきつかった。
「うううう……」
これも出来れば無かったことにしたい思い出です。
「フレデリカさん、どうかされましたか?」
「何でもありません。単に心のうめきが漏れただです」
こちらはとても人様に誇れるような体はしていませんので、さっさと脱いでさっさと着替えるだけです。
『あれ?』
でも誰かの視線を感じて、脱いだブラウスで胸元を隠した。もしかして、どこかの男子がのぞいていたりします!?
慌てて辺りを見回すと、オリヴィアさんがじっと私の方を見つめている。そして私の視線に気づくと、慌てて視線を外した。あのですね。マリと違って、何も見せるものなどありません。見るなら、マリを見てください!
かなり恥ずかしい気分で試合着に着替えてみたものの、防具については洗練されすぎて、着け方がよく分からない。先に防具を着け終えたマリと、ローナさんやオリヴィアさんに手伝ってもらって、やっとつけることが出来た。
思ったよりは軽いけど、それでも体が重く感じされる。前世ならいざ知らず、普段ほとんど運動をしていない身としては、これをつけたまま動き続けられるのか、ちょっと心配になってくる。
続けてマリが私に竹刀を差し出した。こちらも私が適当に思い描いたものとは違い、持ち手やつばは、薄い金属で補強されており、一見すると細身の剣そのものに見える。いや、これはちょっとした工芸品ですよ。
「フレアさん、木刀よりは軽いですが、やや太いのと独特のしなりがあるので、扱いには少しコツが必要かと思います」
「分かった。とりあえず準備運動はするとして、そのあとはどうする?」
「そうですね。試合まで時間もありませんので、実戦形式で慣れていく方がよいかと思います」
「了解、先ずは準備運動ね」
竹刀を肩にして、腰を回してあちらこちらの筋肉を伸ばす。その姿をオリヴィアさんが何かを必死にこらえる顔で見ている。もしかして、かなりおっさん臭かったですかね?
視線の先ではマリが軽く竹刀を振りながら、体を動かしていた。その姿は私とは比べ物にならないぐらいに優雅だ。まあ、マリと比べられたら、私は沼に沈でいく鶏みたいなものですね。
「ご準備をお願いします」
マリの呼びかけに、竹刀を手に剣技場へ進む。私の身長に合わせてあるらしく、竹刀のバランスは悪くない。だけど木刀とはやはり違った。太さがあり、振りぬくにはかなりの力と瞬発力が必要そうに思える。
「では、始めます!」
剣技場の反対側に立つマリが、竹刀を片手持ちつつ、じりじりとこちらへ間合いを詰めてきた。そこから感じるのは、この世界のマリではなく、前世でマ者たちを相手にしていた時の実季さんそのものだ。
正直なところ、マリに勝てる気は全くしないのだけど、試合にはローナさんの意地もかかっている。無様な姿をさらす訳にはいかない。せめてマリに一太刀浴びせるには、どうすればいいだろうか?
マリが得意とするのは、相手の意表を突く変化自在な剣だ。特に地面を回転しながら相手の懐に潜り込み、下半身を狙うのを得意としている。どうやったらそれを防げるか思いつかない。
『相手に先手を取られた時点で負けですよ』
頭の中になつかしい声が響いた。前世で私に剣を教えてくれた世恋さんの台詞だ。イサベルさんと同様の無敵種でけど、人見知りでかなりの現実主義者という、ちょっと変わった人だった。でも世恋さんの言う通りだ。全てに劣る私がマリの攻撃を待っていても無意味です。
マリがこちらの間合いに入り込む前に、こちらから行くべきだ。でも上から剣を振り下ろしても、私の速さではマリには届かない。先に下をかいくぐられてしまう。
では横手からではどうだろう。弾かれてそのまま懐に入り込まれる。下から振り上げるのは? こちらから相手の間合いに入ることを考えれば、その手は使えそうにない。そんなことを考えている間にも、マリはさらにこちらへの間合いを詰めてきた。おそらくあと少しの距離でマリの間合いになる。
それに私が何を考えているかくらい、マリは十分に分かっているだろう。その裏をかくには、こちらが初太刀にかけると見せかけて、マリの竹刀を狙って、下から上へ振り上げる。そうすれば、少なくともマリに懐へ入られるのは避けられるし、先手が打てるかもしれない。
「たあぁああ――」
私は気合を入れると、両足で一気に床を蹴った。予想通り、マリは私の下半身へ向けて、体を低くして突っ込んでくる。マリの竹刀が私の竹刀を払いのけようと上へ動く。その竹刀めがけて、私は袈裟懸けに竹刀を振るった。
だがマリの竹刀は、私の竹刀を受けるのではなく横へと動く。同時にマリの体も、竹刀を振り下ろした私の右側へと流れるように移動した。全力で竹刀を振り下ろしている私の体は、それについていくことはできない。私の無防備な脇腹へ、マリの竹刀が叩き込まれる。
ドン!
鈍い音が自分のわき腹から響いた。同時に激しい痛みが全身を駆け巡る。その痛みに息すらできない。私は竹刀を投げ捨てると、そのまま地面へ両手をついた。
ゼエゼエゼエ――。
自分の激しい息の音が聞こえる。口から洩れたよだれが、床を濃い茶色に染めていく。もしこれが本物の剣だったら、私は床へ内臓をぶちまけて、すでにこと切れていたことだろう。
「フレアさん、大丈夫ですか!」
背後から、オリヴィアさんの悲鳴のような声が聞こえた。
「だ、大丈夫です」
必死に息を整えようとする私の視線の先に、竜の刺しゅうのされた裾が見える。
「フレアさん、あんな大振りをしたら、脇ががら空きになります。それに相手の間合いもろくに測らずに、飛び込むなんてのは自殺行為です」
「そ、そうでした」
私は震える両足を手で叩いて立ち上がった。マリに言う通りだ。マリはこちらの間合いを完璧によんでいる。その時点で私の竹刀はマリに当たることはない。
「マ、マリ、もう一本いきます」
「はい、フレアさん」
私は再び剣を手に立つマリをじっと見つめた。まだ冬だと言うのに、したたり落ちる汗が目に入る。だがそれをぬぐっている暇などない。動きも竹刀を振る速さも、マリの方が私よりずっと上だ。だから竹刀を振り下ろしたり、払ったりしてもマリの竹刀の方が先に私をとらえる。
先にマリを捉える可能性があるとすれば、突きしかない。それもマリがこちらの間合いへ入った瞬間、それに合わせて突き出す。でもマリはそれを読んでいるだろう。
それでも間合いの駆け引きに全てをかける。私はじりじりとマリとの距離を詰めながら、そのタイミングを計った。マリが竹刀を右手から左手へ持ち変える。前世で歌月さんが告げた、マリが突きに来るときの癖だ。
『今だ!』
足から腰、そして腕、その先の竹刀へとすべての力をぶつけた。だけど私が竹刀を突き出し始めるより早く、目の前にマリの竹刀が迫ってくる。私がその癖を読むと分かって、その裏をかかれた!
必死に頭を後ろへそむけたが、竹刀の先端が私の顔面へ迫ってくる。そして顔を覆う金属の金具へと突き刺さった。裏側が厚い布で覆われてはいるはずなのに、顔が金具に激しくぶつかり、目の前を白い光が飛び交う。その衝撃に体が後ろへと跳ね飛ばされた。
『まずい……』
受け身をとろうとしたが、体が全く言うことを聞かない。このままだとまともに床に落ちる。そう思った時だった。背中が何か柔らかいものにぶつかり、そのまま一緒に倒れていく。
「いたたた」
体の下から声が聞こえた。見ると、私の体を受け止めたローナさんが、私の下敷きになって床へ倒れている。
ゲホゲホゲホ!
大丈夫ですかと声をかけようとしたが、口の中へ温かい液体が流れ込み、思いっきりむせる。どうやら鼻血を出してしまったらしい。
「フレアさん!」
オリヴィアさんが驚いた顔をして私を覗き込む。そして慌てて防具を止める紐をほどき始めた。その先ではマリが蒼白な顔でこちらを見ていた。
「ロ、ローナさん。お怪我はありませんでしたか……」
「私は大丈夫です。それよりもフレアさん、血がいっぱい出ています」
「だ、大丈夫です。単なる鼻血ですから、す、すぐに止まると思います」
「オリヴィアさん、フレデリカさんの頭を高くして、布で鼻をおさえてください。私は事務室へ行って人を呼んできます」
ローナさんはそうオリヴィアさんに声を掛けると、全速で剣技場から駆け去っていく。
「フ、フレデリカ様、申し訳ございません。わ、私はいったい何を……」
マリが震える声で告げた。
「マ、マリは何も謝るようなことをしていないでしょう。わ、私が試合をなめすぎていただけ。もっと、れ、練習しないと……白蓮や百夜に呆れられるよね……」
あれ、マリはどこへ行ったんだろう。それにまだ昼だよね。どうしてこんなに、暗いの……かしら……。