国王
「子供達はずいぶんと楽しんでいたみたいだが」
女性の乳房を上から見た形をした、南北に連なる双子の大陸。その北の乳房、ノースランドの7割近くを国土とする「ロストガル国」の国王エドモンド二世は、私室で侍従長から紅茶を受け取ると、そう問いかけた。
「実際はどうだったのかな?」
「大変楽しまれておいででした。近年まれに見る良きお披露目だったと思います」
王家付きの侍従長を務めるマイルズが、果実から作られた蒸留酒を、ティーカップに垂らしながら答えた。エドモンドはこのこじんまりとした私室には、家族も含めて誰も入れない。その唯一の例外がマイルズだった。彼の父親も王室付きの侍従で、マイルズとは父親からの付き合いだ。
「セシリーの子供達の事だ。好き勝手にやっていたのだろう?」
「はい、ご想像の通りです。ですが、お披露目は若者同士の無礼講の場ですので、それが正しい在り方のような気がします」
「それはそうだが、王家の威厳という物は大事なのではないのか?」
「それについては他のご兄弟が、十分にされているかと思います。愛される王家と言うのも、必要不可欠なのではありませんでしょうか?」
「もともとは遊牧の民だったロストガルがこの地に国を持ってから500年近く、このノースランドに覇を唱えてからもかれこれ300年近くだ。今更、愛される王家も何もないだろう」
「ですが、この手のものにはさほど金はかかりません。費用対効果としてはよろしいのではないでしょうか?」
「マイルズ、私のような平凡な男では無くて、お前のような男こそ王家に生まれてくるべきだな」
「エド様、ご冗談を」
「いや、冗談ではないさ」
エドモンドは自分が凡庸であることぐらいは理解できる、その程度の人間だと思っている。少なくとも今まで成し遂げられなかった何かをするような人間ではない。だがエドモンドとしては、それで十分だと思っていた。
自分が歴史書を当たった限りにおいて、優秀とか偉大とか言われていた人物ほど、最終的には国を滅ぼしている例が多い。もっともその多くは、国を亡ぼす前に、自分自身を滅ぼしている。
むしろ理想や情などというものに流されずに、効率や効果に重きをおいて物事をなしていく、マイルズのような人物こそ、為政者に向いているのだろう。国王という物を職業としてとらえるならば、役人たちが日々帳簿を付けていくのとさほど変わりはない。
それに当面の間はこの大陸のみならず、全ての大陸を1000年以上の長きに渡って支配してきた、「クリュオネル」のような覇権国家が現れる心配もなかった。
今は国を広げること自体が、国を滅ぼしかねない時代なのだ。国を広げれば管理すべき穴が多くなるだけだ。もっともその穴の多くは「クリュオネル」滅亡の際の大戦によって作られていた。
「しかし、この国の覇権とかいうのも、ここ十数年ばかりはかなり怪しくなってきているからな」
エドモンドは部屋の書き物机の上にある書類の束を指さしながら、マイルズに語った。
「例の件ですか?」
マイルズがお茶を入れた後の片づけをしながら答えた。
「そうだ。埒が明かないから調査にやったロルダンから報告が入った。神殿から見る限り、霧が薄くなっているそうだ。それに霧の領域も後退しているように見えるとの事だ」
「封印が弱まっているという話は、本当なのでしょうか?」
盆を手に持ったマイルズが、少しばかり何かを伺うような表情をしながら、エドモンドに問い掛けた。
「さあ、我々には何も分からん。それを行った当事者は300年以上前に行方不明だ。結果、何の記録も残っていない。王立上級魔法学校からも、神殿からも目立った研究成果は何も上がって来んしな。伝統などとか言う何の役にもたたないものは排除して、血の入れ替えが必要なようだ」
そこに居る者達は、あったはずの時間を全て浪費してしまった。これだけ時間をかけても、何も結果を出せていないのだ。この先同じ者達が同じ事を続けても、成果など出せるはずはない。エドモンドはそこまで考えてから、マイルズご自慢の口髭の形が、少しばかりおかしいのに気が付いた。
「お前の自慢の髭はどうしたんだ。今日はやけに丸まっているように見えるが」
エドモンドの問いかけに、マイルズがすこしばかり苦笑して見せた。
「私にも楽しみという物が必要でして、本日のお忍びの名残です」
「お前にもお忍びと言うのが必要なのか?」
「はい。王家付きの侍従長という役職も、それなりに肩ひじが張った役職です。今日のような大人抜きのところに出かけて行くには、それなりに工夫が必要が必要となります。何よりそのままで行きますと、私の同僚達の働きぶりを見るのにも、いささか都合が悪いところがあります」
「お前の髭はお前の隠れ蓑だからな」
「はい。ですがこの工夫のお陰で、今日はたまたま面白いお嬢さんにお会いしました」
「面白い?」
エドモンドはこの男がめったに使う事が無い言葉に、少しばかり興味を持った。
「カスティオールの赤毛のお嬢さんです」
「カスティオール? 続きを話してくれ」
エドモンドは紅茶のカップをテーブルへ置くと、マイルズの方へ身を乗り出して見せた。
「本日のお披露目のお子様達の踊りのお相手です。妹君の方は中々鍛えられているようで、とても上手な踊り手でしたが、中々のものだったのは、付添人として来られた姉君の方でした」
「姉? 姉が付添人で来たのか?」
マイルズの台詞に、エドモンドが面食らった顔をする。
「はい。この件は少しばかり普通ではないので、私の方で調べてみました。どうやらカスティオールの後妻殿は、前妻のお子様の長女のフレデリカ殿を少しばかり疎ましく思っていらっしゃるようです」
「姉の母親はアンナだな」
「はい。アンナ様です。母君の扱いは別として、この姉君は中々の妹思いの方の様です。グローヴズ伯爵家のお子さんが、少しばかり度が過ぎたいたずらを妹君にしたのですが、それを前まで出て行って、謝るようにたしなめられました」
「付添人だろう。中々度胸があるな」
「はい。それだけではありません。殴ろうとしたその少年を見事な組手で投げ飛ばされました」
「投げ飛ばした!?」
「はい。その上で、ここに居る殿方には、妹君を踊りに誘う勇気がある者は居ない様だから、自分が踊ると宣言されて、楽団に向かって曲を弾き始めるように要求されました」
「女同士で踊ると言ったのか? しかも付添人の身で?」
「はい。その時のクレト楽団長の困った顔は中々見ものでした。そしてお二人だけで、それは見事な踊りを披露されました。子供の成長とは油断できないものです。私の記憶が正しければ、そのお嬢さんが二年前にお披露目に参加された時は、ずっと壁際で俯いていたと思うのですが、この二年間で大変成長されたようです」
マイルズの言葉にエドモンドも頷いて見せた。
「その年の女性はつぼみのようなものだ。きっと大きく花開いたのだろうな。妹はどのような子だ?」
「妹君については、その踊りを見たサイモン様が、その踊り方がとても気に入ったらしく、ずっとその妹君と踊っておられました」
「困ったものだ。王家の者としての自覚が全く無い。私もセシリーも、末っ子だと思って甘やかしすぎたな」
「それがサイモンぼっちゃんの良さでもあるかと思います。ですが驚いたことにイアン様も……」
「イアンもその子と踊ったのか?」
「いえ、イアン様は姉君の方を誘われました」
「誘った!?」
「はい」
「あのイアンが女性を踊りに誘うとはな」
「はい、私としても大変驚きました」
「それでどうなった」
「お二人でお互いの足を相当に踏み合った様でございます。おかしなことに、どちらも相手が悪いと言って譲らなかったため、何度も踊られていました。最後はソフィア様が、その姉君を誘って踊られたようです」
「ソフィアも参加していたのか? 誰が参加していいなどと言ったのだ? セシリーに許可でもとったのか?」
「さあ、私も存じ上げませんでしたから、ご自身で参加を決められたのだと思います」
「あのじゃじゃ馬娘め、勝手に参加した挙句に、女同士で踊る? どれだけ好き勝手をすれば気が済むのだ?」
エドモンドが天を仰いで見せた。母親のセシリーも相当なものだが、ソフィアは、あのじゃじゃ馬王妃のさらに上を行くじゃじゃ馬だ。それでいて頭もいいから本当に手に負えない。
「このお披露目の件については、セシリー王妃様も少しばかり嘆いておいででした」
「セシリーの手に余るのであれば、私の手には全く負えない」
どこかの国を一つ滅ぼすよりも面倒な話だ。エドモンドは心中でそう思った。だがそのソフィアとまで踊った娘は気になる。
「そのカスティオールの赤毛の娘は、先祖返りではないだろうな?」
「その件につきましては、王立上級魔法学校の方で以前に調査して、何も無しとの話だったと聞き及んでおりますが」
「マイルズ、お前は先ほど子供の成長について意見を述べたと思うがな?」
「失礼しました。ですが、前職のヤーン学校長から聞いた話では、その手の力のほとんどは生まれた時に決まっている、才能という物だとお聞きしました」
「どうだろうな。それが確かだと証明したものはいないのではないかな? それにその生まれつきの才能とか言うのは、少しでも選民意識に囚われた者が信じたがる妄想の一つの様な気がする」
「流石はエド様、ご慧眼の限りです。追加で調査をするように連絡しておきます」
マイルズはエドモンドに対して頭を下げて見せた。
「お世事はよせ。お披露目会の件はこの先に続く話ではないにせよ、相手はカスティオールだ。その点は注意しろ。それより例の件だ。カスティオールで穴が活発化しているのも、これとは無関係ではなさそうだ」
「そのように思います。ですが……」
「カスティオールの件については、今まで通りこのままだ。それより封印の件こそ、何とかすべき問題だな。王立学校を異端とかで追い出された教授がいただろう。あの者への裏での援助を増やした方がまだ成果が期待できる」
「かしこまりました」
カスティオールの魔女。300年前に東の海の巨大な穴を封印した者。そして代々の国王のみが知る、王家に盟約と言う呪いをかけた者。歴書が伝える限りでは、その者も赤毛だ。
カスティオールが衰退している事は、この家にとってはまさに福音なのだ。彼らには倒れた木が朽ち果てて大地に戻っていくように、このまま静かに退場してもらう必要がある。
誰もがどうしてそうなったのかも、よく分からないくらい静かにだ。