昔の男
カミラは大人たちが子供たちを褒め讃えるのを、苦々しい気分で聞いていた。たとえそれがコーンウェル侯や、ウォーリス侯への追随だとしても、その中心にいるのは、まちがいなくフレデリカだ。
アンジェリカがお披露目でシモン王子と踊ったと言うのに、それ以降、どの家からもなんの誘いもないことにカミラは焦っていた。唯一つこちらの味方になりそうだった、テオドルスは急死してしまっている。
この世界で大貴族の一人が急に向こうの世界へと旅立った場合、それが不慮の事故などと思うものなどいない。どこかの長い手が動いたのだろう。それも不気味だった。そうした中で、フレデリカの伝手とはいえ、アンジェリカにもコーンウェル家からのお茶会の招待状が来たことに、カミラは喜んだ。
ともかくアンジェリカを人前に出すことが出来れば、そしてそれが姉のフレデリカと比べていかに資質に恵まれているかを、見せることが出来れば、何とかなると信じていたからだ。
だけどどういう事だろう。学園に行く前、突然に人が変わって明るくなったフレデリカは、大貴族の子弟のみならず、王子王女までもが通う学園の生徒たちから信頼され、大貴族たちからもほめ讃えられている。
『これでは全くの逆効果よ……』
カミラは血の味がするほど唇をかみしめた。
「カミラ様、大変ご無沙汰しております」
カミラの背後から男の声がかかった。その声は小さく、人目を忍ぶように聞こえる。カミラは化粧直す振りをしつつ、手鏡を取り出すと、背後に立つ男の姿を確認した。そこには高級品に身を固めているが、どことなくそれが板についていない男がたっている。もっともカミラは手鏡など使わなくても、それが誰かは分かっていた。
「アンジェリカ」
「はい、お母さま」
「せっかくの機会です。もう少しフレデリカと話をしてくるといいでしょう」
カミラの言葉にアンジェリカは驚いた顔をしたが、カミラに向かって裾を上げて挨拶をすると、フレデリカの元へ小走りに走っていく。カミラは周囲に人だ誰もいないことを確認すると、手にした扇子で口元を覆った。この世界では用心深く振る舞うにこしたことはない。
「グラディオス、本当に久しぶりね。どうやってもぐりこんだの」
カミラは前を向いたまま、小声で隠してつぶやいた。
「もちろん金の力だよ。とはいえ、やっとこのような場に顔を出せるまでにはなれた。それにしても相変わらず美しい。カスティオール侯が、君を屋敷に大事にしまっておくのもよく分かる」
「所詮は籠の中の鳥よ」
「あの時、私に今ぐらいの力があれば、君を決して手放したりはしなかっただろう。あの娘は――」
「アンジェリカ」
「君によく似ている。将来は間違いなく王都の花と呼ばれるだろうな」
「そうかしら? 容姿がどれだけ良くても、あの娘がいる限り、どこかの誰かの慰み者になるだけよ」
そう告げたカミラの視線の先には、フレデリカがアンジェリカと楽し気に話している。
「そうだな。それがこの世界を牛耳っている者たちの理だ」
男の声にはここに集う人々に対する軽蔑の色がある。カミラはそれを聞き逃さなかった。
「あなたが私に少しでも引け目を感じているのなら、その罪を滅ぼしていもらえないかしら?」
かつて心の内に抱いていたこの男への情熱は何も感じないが、自分の初めてを捧げた分はこの男から取り換えさせてもらう。それにかつて肌を許した相手であれば、何を考えているか全く分からない貴族たちより、よほどに扱いやすいはずだ。
「私で役に立つことがあればなんでも。だがどうやってつなぎをつければいい?」
「一人だけ私の役に立ちそうな男がいる。宝石商よ」
「分かった。その男を待とう」
カミラは扇子で隠した口元を隠したまま、満足げにほくそ笑んだ。
「お父様!」
「しばらく見ない間に少し背が伸びたか? 見違えたぞ」
グラディオスはそう声を上げると、長女のメラミーを一番端の誰もいないテーブルへと手招きした。
「背など伸びていないけど?」
テーブルへ腰をかけたメラミーが口をとがらせる。
「少なくとも、父親と娘が歓談しているように思うだろう」
そう告げると、グラディオスは娘に苦笑いを浮かべた。
「そうね。でもこんなくらだらない会に顔を出して、何か意味があるの?」
「出たという事自体に意味があるのさ」
「お父様にとってはそうなんでしょうね」
「それよりもメラミー、お前にお願いがある。手紙には書けないことだ」
メラミーが怪訝そうな顔をする。
「学園の誰かを、くどき落とせとかじゃないでしょうね?」
「もちろん違う。もっとも我が娘の美しさをもってすれば、落ちない男はいないだろけどな」
「さあ、どうかしら?」
メラミーはそう告げると、ローナやオリヴィアと一緒に、アンジェリカと歓談するフレデリカへ視線を向けた。
「それよりもいったい何の話?」
「一つ目は、ハーコート家の娘だ」
「ローナのこと?」
「そうだ。その娘について、私のところへ横やりが入った」
「ローナを囲おうとしていたのって、お父様なの?」
「娘のことなどどうでもいいが、それでうちがハーコート家を実質的に買収したことを、他へ知らしめるつもりだった」
「本当かしら?」
メラミーが疑わしげに、グラディオスを眺める。だがすぐに肩をすくめて見せた。メラミーとて、落ちぶれた商家の娘がどんな運命をたどるかは、よく分かっている。
「うちがハーコートの一番大きな債権者だったが、どこかの誰かが他の債権者から買い上げて、うちから横取りした。それが誰か、娘の口から探ってほしい。娘に相当ご執心のはずだ。かなりの金をかけている」
「お父様でも分からないのでしょう? まあ、いいわ。他には?」
「カスティオールの娘だ」
「赤毛?」
「そうだ。あの娘の弱みになりそうな事を探れ。その娘が自分から学園をやめるような何かだ」
「ふーん。やっぱりそうなのね」
「どういう事だ?」
「さっき、フレデリカの母親と、人目を忍んで話をしていたでしょう?」
「見ていたのか?」
「もちろんよ。それにあの娘を見たときに、誰かによく似ていると思ったのよね」
そう言うと、メラミーは父親に向かって顎をしゃくって見せた。その先には薄い紫が入った黒髪を赤いリボンで止めた少女が、赤毛の姉と話し込んでいる。
「あの子は私の妹でしょう?」
無言のグラディオスに、メラミーが口の端を上げて見せる。
「私が気づかないと思ったの?」
「昔の話だ。だが役にたつ。赤毛の姉がいなくなれば、カスティオールはあの娘のものだ」
「カスティオールなんて、落ち目も落ち目でしょう」
「最近はそうでもない。ライサと組んで始めた海運業が好調だ。それにスオメラとの間で交易を拡大する話が出ている。うちは食品生産が主だが、これを拡大するのにも限界がある。他に手を伸ばそうとしても、ダリエルをはじめとした商工組合の連中がいて、容易には手が出せない」
「それでカスティオールなの?」
「そうだ。スオメラとの交易は、大貴族たちと組んだ商工組合連中の既得損益の外にある。つまり早い者勝ちだな。そのために元々は貿易が主だったハーコートを手に入れるはずだったが、横やりが入った」
「うちは目の上のたんこぶと言う訳ね。でもずいぶんとめんどくさい頼みごとだけど、私への褒美はないの?」
「ふふふ」
「笑ってごまかさないで!」
「それでこそ我が娘だ。もちろん褒美はある。お前の婿をお前が決めていい」
「本気で言っているの?」
「冗談ではない。お前にこれができるだけの才覚があるのなら、お前が婿を自分で選んで、その手綱を握っていた方が、乗っ取られる心配もない」
それを聞いたメラミーが真剣な顔をする。
「それで、方法は?」
「お前に任せる。もちろん必要な支援はする」
「分かった。それなら少し役にたちそうなのがいるわ」
「誰だ?」
「私の団体戦の相方よ」
そう言うと、メラミーはおもむろに椅子から立ち上がった。そして所在なげに立つ男子生徒へ向かって、大きく手を振る。
「ヘクターさん、私の父を紹介させていただきます!」