乾杯
中央庭園入り口のアーチを抜けると、そこはまさに薔薇の園とでも言うべき場所だった。よく整備された花壇には冬薔薇が咲き誇り、あたりに甘い香りを放っている。私からすれば夢のような場所だ。
学園長に白亜の塔で会った時、私の遠いご先祖様が学園の元を創立したと言っていたけど、あのきつそうな顔をした、ご先祖様の趣味なのは間違いありません。どうやら私の薔薇好きは、この手に負えない赤毛と同様に、そこから引きついだものらしい。
真ん中にある広場には、沢山の白い丸テーブルが並べられており、背後には侍従さんや、お茶会の世話役の人たちが立っていた。前では既に生徒たちが組ごとに並んでいる。
どうやら私たちは一番最後に近かったらしい。皆が今日の主役の登場を待っている。それに答えるように、木で仮設された台の上へ、黄金の髪を持つ女子生徒が上がるのが見えた。
「みなさん、橙組のイサベルです。本日は私の私的なお茶会に参加いただきまして、本当にありがとうございます。普段から顔を合わせている皆さんを前にしているのに、何故かとても緊張しています」
イサベルさんが台の上で、大きく深呼吸をして見せる。その仕草に思わず笑いが漏れそうになるが、他の生徒たちは驚いた顔をしてその姿を眺めていた。完璧美少女のイサベルさんが、そんな事を言うとは思ってもいなかったのだろう。
「ささやかではございますが、お茶とお菓子を用意させて頂きました。また勝手ながら、席は全てくじにて決めさせていただいております」
その言葉に、会場からざわめきが上がる。それはそうだろう。全員が招待されることも、全員が制服で参加することも前代未聞だが、席をくじで決めるなんて、想像を超えていたに違いない。
イサベルさんはざわめきが収まるのを待つと、少し真剣な表情をして見せた。
「私たちは同じ制服を着た、この学園で一緒に学ぶ仲間同士です。それ以外の事は全部忘れて、どうか心行くまで楽しい時間をお過ごしください。皆さんに新しい出会いが待っていることを願っています」
パチパチパチ!
再び頭を下げたイサベルさんに、私とオリヴィアさんが拍手をした。
パチパチパチパチパチ!
続いてみんなからも拍手が上がる。それを合図に、控えていたコーンウェル家から派遣されている世話役の人たちが、メモなどを見ることもなしに、次々と生徒を席へと誘導していく。恐ろしい事に、これだけの人数の誰がどの席なのかを、完璧に覚えているらしい。
「フレデリカ様」
大勢の生徒が次々と席に着く中、私にも声がかかった。
「はい!」
見ると立派な口ひげをはやした初老の男性が、私に向けて腕を差し出している。
「こちらになります」
「オリヴィア様」
私の横ではとってもきれいな侍従服の女性が、オリヴィアさんへ声をかけた。どうやら全員に対して、家名ではなく、名前で呼ぶことを徹底しているらしい。
「フレアさん、また後ほど」
「はい!」
オリヴィアさんが私にスカートの裾を上げて、淑女の礼をして見せる。私も彼女に淑女の礼を返すと、男性の後に続いて席へ向かった。一体誰と同席になるのだろう? 自分の心臓の音が聞こえるぐらいにドキドキする。
「失礼します」
とりあえず丁寧に頭を下げて、引いてもらった席に座ろうとした時だ。
「赤毛!」
不意にテーブルから声が上がった。いきなりそんな呼び方をする奴は誰だ? 顔を上げると、見てはいけないものでも見たような顔をした少年が座っている。
「ハッシー?」
「ハッシー君、確かに今日の不運を嘆きたくなるのは分かるが、一応相手は女性だ」
今度はかなり聞きなれた声が響いてくる。
「嫌み男!」
ハッシーの横に、一番に席を一緒にしたくない、とび色の髪ととび色の目を持つ男が座っている。ちょっと待ってください。新しい出会いを楽しみにしていた、私の胸のときめきをどうしてくれるんです!
「フレデリカ嬢、私の名前は決して嫌み男ではないのだが?」
「ちなみに私の名前も赤毛ではありません!」
そう答えた私に、ハッシーがさらに怯えた顔をする。慌てて周囲を見回すと、前方に座っているイサベルさんが、私に小さく手を振っているのが見えた。
これって、イサベルさんの横槍ですか? くじの操作をするのなら、自分の隣の席にしてください!
「お茶の味が変わる訳ではないから、落ち着いて座ったらどうかね?」
「変わります。せっかく用意してくれたお茶の味が台無しです!」
「こ、怖い……」
「ハッシー、何か言った?」
ハッシーが慌てて首を横に振りつつ、小さな子供みたいに怯えて見せる。こっちはうら若き乙女ですよ。
「どうして男のあんたが恐れる必要があるんです!」
「ごく自然な反応だと思うが?」
嫌味男がわざとらしく肩をすくめて見せる。
「これって、本当にくじで決めたの?」
誰かの機嫌の悪そうな声が響いた。
「そうですよね!」
全力で同意すべく顔を上げると、金髪の女性が腕を組み、眉をひそめながら立っている。その横にはおっとりとした感じの黒髪の女性もいた。
「メラミーさん、ローナさん?」
「フレデリカさん、今朝はありがとうございました」
ローナさんが私に小さく頭を下げる。それを見たメラミーさんが、フンと鼻を鳴らして見せた。
「早くも橙組となれ合っているわけね。それよりも、なんであんたなんかと席が一緒なわけ?」
そう吐き捨てると、私のほうをじろりとにらんで見せる。
「同じ制服を着ているもの同士? 貴族様らしい、上から目線のもの言いじゃない。もしかして、私たちを愛玩動物か何かだと……」
「メラミー……」
ローナさんがメラミーさんの袖を引いた。そして私と反対の席を指さす。そこにはとび色の瞳を持つ男子生徒が、少し困った顔をして座っていた。
「い、イアン王子様?」
「メラミーさん、ここは学園なので敬称は無用です。それにあなたがそう思われているとするなら、それは私のような立場の者の不明とでも言うべきものでしょう」
「いえ、私はそのような意味で言ったわけでは……」
「はい。よく分かっております。私も妙にいらいらする時があるものです」
そう言うと、ちらりと私の方へ視線を向ける。冗談らしく顔に笑みを浮かべてはいるが、私から言わせれば嫌味そのものです!
「先ずは席へお座りください。世話役の皆さんが待っています」
背後を振り返ると、ティーポットを持った世話人の渋いおじさんが、顔色一つ変えずに立っている。それに全てのテーブルの生徒たちが、こちらをガン見しているのが見えた。
『まずいです!』
慌てて愛想笑いを浮かべつつ席へ座る。
「もう盛り上がっているテーブルもあるみたいですが……」
紅茶のカップを手にしたイサベルさんが、笑いながら声をあげた。その言葉に全員からもどっと笑い声が上がる。思わず耳の後ろが燃えそうなぐらいに熱くなるが、盛り上がってもらう為だと思って我慢です。
「では、本日のお茶会を開催したいと思います!」
イサベルさんの声が響いた。気を取り直して、紅茶が注がれたカップを手に取る。ローズティーだろうか? 微かに薔薇の香りがした。
流石はイサベルさんが用意してくれたお茶です。でも変なものが混じっている私としては、これがお酒でないのが残念に思えてしまう。
「ハッシー君」
嫌み男がハッシーに声を掛けた。
「は、はい!」
「今日、こうして同じ席になったことを祝して、乾杯と行こうじゃないか?」
「か、乾杯ですか?」
「そうだ。本来なら酒ですべきところだろうが、私たちはまだ学生の身分だから、そうはいかない。でもそれが一番ふさわしいと思うんだ」
そう言うと、嫌み男がハッシーに対してカップを掲げて見せる。そして私たちの方へ視線を向けた。
「できれば、お嬢様方にもご一緒していただきたいのですが?」
「そうですね。それが一番ふさわしいと思います」
たとえ相手が嫌み男だろうが、乾杯に否はない。ティーカップを掲げた私を見て、ローナさんが、続いて仕方なさそうにメラミーさんがカップを掲げた。
嫌味男が何か口にしようとしたが、その動きを目で制す。乾杯の音頭を誰かに譲る気など毛頭ない。
「では皆さん、ご一緒に!」
全員のカップがテーブルの真ん中へ集まった。
「今日の良きお茶会に、乾杯!」
「乾杯!」
嫌み男と私のカップが、そして恐る恐る差し出されたハッシーのカップが、磁器らしい澄んだ音を立てる。ローナさんは笑みを浮かべながら、メラミーさんは諦めたように、私のカップと手にしたカップを合わせた。
カップを口にして、注がれた紅茶の香りを存分に楽しむ。でも数滴でいいから、蒸留酒を垂らしてくれないかと、本気で思ってしまう。
「かんぱ~い!」「乾杯!」
周りからも乾杯の声があがった。辺りを見回すと、他のテーブルでも乾杯をしている。乾杯を終えて席に座ったオリヴィアさんと目があった。
「オリヴィアさん」「フレアさん」
台の横にいるイサベルさんへ視線を向ける。イサベルさんも笑みを浮べながら、カップを私たちへ掲げて見せた。
「乾杯!」
たとえお酒でなくても、乾杯はやっぱり最高です。