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野心

 グラディオス・ウェリントンは贅を尽くした馬車の中で、手にしたステッキの持ち手をもてあそんでいた。その先には大きな紺色のサファイアが埋め込まれている。


 このような杖を持てる者の数は決して多くはないだろう。だがそこにはグラディオスの切望するあるものが欠けていた。杖は最近作られたばかりであり、グラディオス同様に、歴史と言う重みがない。


 グラディオス率いるウェリントン家が商家として名をなしたのは、グラディオスの父の代からだった。才覚がありカリスマ性もあった先代は、数少ない独立農家をうまく束ね、市場に安く新鮮な農作物を下ろすことで、食糧市場を席巻した。


 そもそも生産の効率性という点において、農奴的に農民を扱っている地主貴族たちと、独立農家の間では天と地ほども差がある。困窮した貴族の農地の運営に独立農家のやり方を導入し、それをより大規模に行う事で、さらなる収益を上げた。


 それはある種の革命であり、既存権力への挑戦でもある。だが目障りだと言う理由だけで、ウェリントン家を排除するのは簡単ではなかった。それは食料に関することであり、安易に排除すれば、市場価格が跳ね上がって民衆の不満を招く。


 また、そのやり方を受け入れることで、利益を上げる貴族たちも存在しており、一定の支持もあった。グラディオスは先代から受け着いた基盤を元に、独立農家と貴族たちの間を、うまくバランスを取りつつ立ち回っていた。


 しかしながら侠客の気風があった先代と違い、根が小心者なグラディオスは、貴族たちが本気になれば、自分などすぐに消し飛ぶ。そのことをよくわきまえていた。


 故に先代から店を引き継いで以来、ウェリントン家を成り上がりではなく、貴族らの一員のフリを、そしてその一味となるのに心血を注いでいる。


 もっとも中身について言えば、すでに貴族たちの大半と同じである事に、グラディオスはまだ気づいていなかった。


「まさか横やりをいれられるとは……」


 グラディオスの口から忌々しげな声が漏れた。とある商家へ経済的な援助をし、その娘を自分の愛人にしたうえで、実質的な支配をもくろんでいたのだ。だが後からきた謎の資本家に取って代わられてしまっている。


 少なくとも自分が敵に回してはいけない人物だと思われていない。それがとても腹立たしくて仕方がなかった。


「取り返せばよろしいかと思います」


 不意に声がした。馬車には自分一人しか乗っていないはずだ。グラディオスは慌ててあたりを見回す。気づくと、目の前には侍従服姿の、若くはないがどことなく男好きな感じのする女が座っている。


「誰だ? それにいつ馬車へ乗った?」


「旦那様の腕に幾度か抱かれたはずですが、もうお忘れですか?」


 そう答えた女がニヤリと笑って見せる。その顔にはどこか見覚えがあった。


「お前は……」


 グラディオスは女が何者なのかを思い出す。名前は思い出せなかったが、一人娘のメラミーに付けた雇われ侍女のはずだ。


「思い出していただけましたか? その力強い腕で私を抱き、私の胸にそのお顔を埋められた事を……」


 グラディオスは雇ってから学園にいくまでの間、暇つぶしに女を何度か抱いたのを思い出した。


「どうしてお前がここににる?」


「白日夢に否などありません。あるのは私の記憶と旦那様への思いだけ……」


 女の台詞に、グラディオスは白けた顔をして見せた。


「どうせ夢を見るのなら、とうのたった侍女などではなく、建国の英雄にて、学園を創立した魔女殿でも出てきてくれればよいものを……」


「会えますとも」


 グラディオスの顔に今度は苦笑が浮かぶ。


 自分には全く縁がなかったが、娘のメラミーは何とか学園へ押し込むことができた。いや、まだこのぐらいのことしか出来ていない。


 その屈折した思いが、娘と共に学園へ送りこんだこの女の口を借りて、戯言を語らせているのだろう。


「500年も前の人物だぞ。骸骨にでも会うのか?」


「骸骨などではありません。血の通った瓜二つの娘たちです。それにご主人様の手のひらをすり抜けていった小鳥にも……」


「すり抜けたのではない、奪われたのだ!」


「ならば奪い返せばよいだけです。建国の魔女たちも、穢れなきひな鳥もすべては旦那様のもの。真の力を持つものに、次の英雄たる旦那様のような方にこそ相応しいのです」


「旦那様……」


 グラディオスの耳に、誰かの呼び声が聞こえてきた。どうやら自分は転寝をしていたらしい。それに誰かが何かを語りかけてきた気もするが、何も思い出せなかった。


「旦那様……」


「なんだ!」


 繰り返される呼びかけに、グラディオスはいらだった。


「まもなく学園に着きます。少し時間が早すぎますが、いかがいたしましょうか?」


「何を言う。これで丁度よいのだ。誰が招待されて、どんな顔をしてここに来るのか、じっくりと眺めてやる」


 そうだ。俺からひな鳥を奪った男も絶対に現れる。それが誰かは、こちらを見る表情ですぐに分るはずだ。




「お嬢様、やはり危険すぎたのではないでしょうか?」


 学園の制服を身にまとった少年が、銀色の髪をなびかせながら、目の前に立つ侍従服姿の女に声をかけた。


「リコ、何の危険もないよ。あの男はこの女の体を何度も抱いた男だ。その時に男が吐いた白い涙をたどっている。だから私たちの痕跡はどこにも見つからない」


「しかし支配の力を使いました。状況から気づく者がいるかもしれません」


 ヘクターの振りをしているリコの言葉に、ジャネットの姿をしたアルマがうんざりした顔をする。


「注ぎ込んでやったお前の支配の力も、あの男の背中をちょっと押してやった程度だよ。自分の娘の同級生を愛人にしようだなんて下衆だ。誰もがあの男の本性としか思わないさ」


 アルマが小さく含み笑いを漏らす。


「もっとも来るのは似たもの同士だ。下衆な男だとすら思わないかもしれないね」


「ですが……」


 まだ何かを告げようとした少年の唇に、侍女が己の唇を重ねる。


「かつては人の大半を支配していた奴の言う台詞かい? 気づかれたからなんだと言うんだい。むしろ役者が増えて、楽しみが増えるというものさ」


 そう言い放つと、アルマは木の間から見える冬の空を見上げた。そこからはまるで春を思わせる、暖かい日差しが差し込んでくる。


「そんなことより、今日は小春日和のいい天気だ。私たちもそのお茶会とやらを、十分に楽しませてもらおうじゃないか?」


 女の小さな笑い声と共に、二人の姿が林の中から消え去った。

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