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お披露目

 侍従さんの掛け声に全員が立ち上がると、左奥の一段高くなっているところを一斉に向いた。その背後で侍従さん達が、まるでさざ波が水面を走っていくような一糸乱れぬ動きで、参加者や私達付添人の椅子を片付けて行く。


「キース様、開会のご挨拶をお願いします」


 この場の侍従長らしき黒い服を着た白髪の男性が、壇上に向って声を掛けた。その呼びかけに壇上の一番右端に座っていた人物が、口元に微かに笑みを浮かべて立ち上がった。


「本日はこのお披露目の会を皆さんと一緒に祝えることに、喜びと感謝の気持ちで一杯です。ここに居る皆さんこそが、この国の未来を作っていく人達です。皆さんもよくご存じの通り、ここには大人達はいません。家柄も何も無しの無礼講の会です。どうか若いもの同士、心行く迄、踊り、語り合ってください。私もこの場に出るには少しばかりとうが立っている様に思いますので、後は弟のイアンに任せる事にします。イアン」


 キース様からそう呼びかけられたイアン様が、驚いた顔をしてキース様を見る。今日の主役と言っていいサイモン王子や、ソフィア王女様も驚いて慌てているイアン様を見て、口に手を当てて笑っていた。


 こ……この人達は本当に王子様や王女様なんですかね。王家の侍従にはコリンズ夫人の様な人は居ないのでしょうか? 居たら後で大変な事になりそうな気がしますが……。


「イアンです。本日は私の弟のサイモンも、皆さんと一緒にこのお披露目に参加させて頂きます。私も付添人として弟を始め皆さんの晴れの場に……」


「あら、キース兄さんも、イアンさんも婚約者が居ないのだから、付添人では無くて参加者だと思っていたのですが……」


『えぇぇぇえぇぇ!』


 恐ろしいことに、隣に座っていたソフィア王女様が挨拶の途中で、イアン王子様に突っ込みを入れている。周りを見渡すと、この手の行事については私なんかより百戦錬磨だと思われる各家の選りすぐりの侍従さん達も、あっけにとられて壇上を見ている。イアン様がソフィア様に向かって、降参とばかりに両手を上げて見せた。


「では本日は弟、サイモンと兄のキース、それに姉の()()()()と共に、()()()として皆さんと一緒にこの晴れの場を楽しみたいと思います。では乾杯の発声をさせて頂きます」


 そう言うとイアン王子はグラスを高々と持ち上げた。その声と共に、燕のような動きで参加者や付添人の間を侍従さん達が動き、皆の手にグラスが渡される。


 グラスにはほんの僅かだけ、香り程度のお酒が入った泡入りの飲み物だ。壇上の人達を含め、全員がそれを前へと掲げた。


「皆さんの門出と、この場での新しい出会いを祝して、乾杯!」


「乾杯!」


 参加者の間でグラス同士が触れる音が鳴り響く。私も誰かとグラスを触れさせたかったが、周りをみると誰もそのような事をしている者はいない。そうですね。私達は付添人ですからね。私は少しばかり残念に思いながらもグラスの中身を一気に飲み干した。再びつばめが舞うような動きで、侍従さん達がそのグラスを回収していく。


『アレ?』


 皆さん、誰も飲んでいませんね。乾杯ですよ、乾杯!グラスの中身を開けなくてどうするんですか。皆さんですね、祝い事と言うのはですね。19歳の私の心がここにいるもの全員を床に座らせて説教したいと叫ぶが、今日はアンが主役です!


 ここからは向かい合う男性の列と女性の列がお互いに礼をして、基本的に付添人抜きに互いに歓談をする場、まあ男性が女性に対して話かける場となり、そこで誘われたもの同士でダンスを踊る時間となる。実質的な婚約者がいる人達はらくちんだ。婚約者同士で話をして、そして踊ればいい。


 問題は二年前の私や、今年のアンのような婚約者が決まっていない相手だ。女性の場合は無理くり参加費用こちらもちで、ダンスの相手だけでも取り繕う場合が多い。だが落ちぶれてはいてもカスティオールは侯爵家だ。そんな相手を用意することは出来ない。


 男性でも三男、四男となってくると婚約者がいない人達はいる。その場合は婚約者がいない女性はその相手としてもてもてになる。ダンスの順番待ちが出来るくらいだ。実際それが一部では出会いになっているところもあるらしい。だがここでもかつての四大侯爵家という意味もない家格というものが邪魔をする。


 だが今年のお披露目は、少しばかり勝手が違うような気がする。二年前には俯いて下だけ見ていた自分でもそう思う。まずは乾杯の後、壇上にいたサイモン王子がまるで待てをされていた犬のように、さっさと下に降りてきてしまった。それにつられてキース様や、ソフィア様、イアン様も壇上を下りてくる。左側に固まっている王族の方々が、まずはそれらの皆様の挨拶に向かって大きな輪が出来てしまっている。


 婚約者同士で一対一で優雅に対談するという雰囲気ではない。そもそも対談とは名ばかりで、ダンスがはじまるまでの間は、婚約者同士のひそひそ話が聞こえてくるくらいで、とても静かだったはずだ。だが左側で談話の輪が出来ているせいか、全体が雑然としている。


 いや、サイモン王子なんかはどう考えてもうるさい。何かにつけては兄のイアン王子に突っ掛っている。そのせいか、右側でも一階の玄関ホールに居た時のように、顔見知り同士で小さな輪らしきものが出来ていた。


 アンは、アンはどうしているだろう。何も出来ませんが、せめて後ろから応援の気持ちを、気を送ってあげないといけません。二年前の私はそんな事抜きに純粋にこの場を恐れおののき、ただひたすら壁際に退避して、この時間がすぎるのを待っていた。自分から誘うなんていうのは論外だった。


 あれだけの努力を重ねてきたのだ。アンには誰かから声が掛かる、あるいは自分から真ん中に進み出て、誘いを待つくらいの事をして欲しい。アンのダンスは私なんかとは違って、とても優雅で美しいのだから。


 アンはその中で一人、ただ前を見つめて立っていた。私のように俯いていたりなどはしていない。


 私は貴方の事を誇りに思う。あなたは私なんかよりはるかに強い。私はこの付添人の控えの場からあの子のところまで走って行って、その背中を抱きしめてあげたい衝動に駆られた。あなたは一人ではないと伝えてあげたかった。


 二年前のこの日、私を見るロゼッタさんもさぞかし辛かったことだと思う。私は本当に子供だった。二年前の私はひたすら自分に対していじけるだけで、その行動が周りにどんな思いをさせるかなど全く理解していなかった。


 アンを一人残して、談笑とか言うのは進んでいる。王子達の周りからは歓声が上がり、他の輪からも楽し気な会話が上がっている。だが左手の隅に控えていた楽団が楽器を手にし始めた。そろそろダンスの時間になるはずだ。


 どうやら参加者達もダンスの時間が間もなくであることに気が付いたらしく、会話の輪はばらけていく。残っているのは、サイモン王子を中心とした王族の人達の輪だけだ。婚約者同士はそれぞれに手を取り合いながら、軽くステップの練習などをしている者もいる。相手が決まっていないものは、相手を探しては手をとってダンスの申し込みを始めていた。


 誰かアンにダンスを申し込んでくれる男性はいないだろうか?


 私と違って、アンはそれこそ本当に血を流すような思いをしてその練習をしてきた。それが披露されることなく、これが終わってしまうなんてのはあまりにも空しく、そして悲しすぎる。


 相手が居ない男の子の集団だろうか? 少しやんちゃな感じがする数人の男の子達が、アンの方を横目に見ながら、何やらひそひそと話をしている。誰も周りに居ない、紫のドレスを着ているアンの事をカスティオールの娘だと気が付いたらしい。悪い予感がする。男の子の一人がコインを小さく上に投げたのが見えた。もしかしてこいつらはアンをからかうつもりなのか?


 どうやらアンは前の一点を見据えていて、この子達には気が付いていないらしい。こんなやつらの相手をするなら、まだ誰とも踊らない方がいい。というより、誰か相手が居るふりでもして離れるべきだ。私はアンに向かって足を出しかけたが、決まりはないものの、この付添人の場所から出るのは憚られた。


 その中の男の子の一人、一番にやついた顔をした子が仲間に向かって肩をすくめて見せると、ちらちらと仲間の方を見ながらアンの方へと歩き出した。その背中を見送る悪ガキどもの中には既に腹を抱えて笑っているものも居る。そしてアンに向かって何か告げると、やたらともったいぶった調子でアンに手を差し出した。


 手を取っては駄目よ、アン!その子達は単にあなたをからかおうとしているだけ。だけど声を掛けられたのがとてもうれしかったのか、かわいらしい笑みを浮かべると、腰をかがめてにやけ面の手を取った。


 その瞬間だった。にやけ面がその手を急に引っ張った。その動きにアンが大勢を崩して前のめりに倒れそうになる。にやけ面は背後の仲間達に向かって片腕を上げて見せた。その先にはその男と前のめりになってびっくりした顔をしているアンを見て、声を押し殺して笑っている男の子達がいる。


 何てことをするの!


 この子が、アンがこのお披露目の為にどれだけの努力をしてきたのか分かっているの?


 アンを助けないといけない。いやこの愚か者達に自分が一体何をしたのかを分からせないといけない。私はアンの側へと歩み寄った。誰かが背後から何か声を掛けたような気がするが、そんなのは一切無視だ。


 私はアンの側に立つと、いまだに自分の仲間に向かって片手を上げている悪ガキの肩をつついた。ニキビ面を油か何かで固めた少年が、テカテカと光る顔をこちらに向けた。


「何だお前?」


「謝りなさい」


「はっ?」


「アンジェリカさんに謝りなさい」


「付添人の癖に、偉そうに何を言っているんだ?」


 少年が私の体をどつこうとして手を伸ばしたのが見えた。謝る気は無いのね。


 パン!


 少年が私の体を突き飛ばすより早く、私の手が彼の頬を打った。分かっているの、貴方がアンの心につけた傷はこんな頬の痛みなんかよりはるかに痛いのよ。


「お前!」


 少年は顔を真っ赤にすると、私を押し出そうとしていた腕を引いて、握りこぶしを作るのが見えた。彼は私を殴るつもりらしい。何だその動きは? そんな緩慢な動きで私を殴るつもりなの。前世での私の組手の練習相手は、そんな見え見えの動きなどは絶対にしてはくれない相手だったのよ。


 私は顔の動きだけで彼の拳を避けた。彼のその動きをそのまま使って、胸倉に手をそえるとその体をこちらの腰に乗せて、向こう側へと投げ飛ばしてやった。それを見ていた奴の仲間がこちらに向かってこようとしたが、私の視線に気が付くと慌てて人の後ろへと逃げていく。


 私に投げ飛ばされた相手は、きれいに床の上を滑って行って、付添人の列の中へと突っ込んでいた。そこに居る人達に抱きかかえられている。残念な事に特に怪我は何もしていないらしい。


 私は静まり返った周りを見回した。


「アンジェリカさん」


「はい、フレデリカお姉さま」


「ここに居る殿方達は、誰も貴方にダンスを申し込む勇気が無い方々の様です。なのでその方々に代わって、私が貴方のダンスの相手を務めます」


「お、お姉さまがですか?」


「はい。楽団の皆様、一曲よろしくお願い致します」


 私は右手奥にいる楽団の方に向かって頭を下げた。頭を上げた私の視線に気が付いた指揮者が慌てて指揮棒を上にあげる。そして横笛の切ない一節に続いて、弦楽器の華やかな前奏が流れ始めた。「歌の翼に乗せて」だ。私が花壇に居るときに屋敷の中の練習室から聞こえてきた、アンがいつも練習に使っていた曲だ。これなら私でも踊れる。


 私は床に膝をついていたアンに手を差し伸べると、その体を引き起こして、彼女に向かってドレスの裾を両手で持ちあげて礼をした。アンもドレスの裾を持ちあげて私に礼をする。思わず私の口から笑みが漏れた。アンも笑っている。私達は姉妹だけど、一度も手をとって踊った事は無かった。


 視線の先に居る指揮者に向かって頷く、指揮者が棒を高く上げるのを見て、私とアンはステップを踏んで横に動くと、広間の中央まで一気に移動した。そして音楽の高鳴りに合わせてお互いの体を交差し、回転させる。私達を中心に世界が回り始めた。


 アンは本来は男性がするステップを、さらに私のドレスと自分のドレスが絡まらないように調整して踊っている。一緒に踊っている私から見ても、その動きは水の流れを見ているかの様に自然だった。動きの中で指先の一つ一つ迄もが優雅に、そして優美に動いていく。それでいてそこには、12歳の少女が本来持つ可憐さも備わっていた。


 私はダンスは上手ではない。下手だと言ってもいい。アンと違ってさぼりまくっていたからだ。だけどアンが私の手を握って、腰に手を添える事で私の動きを上手に誘導してくれている。まるでこちらまでがダンスがうまくなったのではないかと錯覚するぐらいだ。いやそんなもんじゃない。まるで雲の上ででも踊っているかのようだった。


 いつの間にか曲は最後の最高潮の部分へと差し掛かっている。弦楽器の激しい動きと管楽器の上げる調べに合わせつつ、私達は最後の1小節に合わせてピタリと動きを止めた。私は少しばかり上がった息を整えると、アンに向かって微笑んだ。


「アンジェリカさん、大変すばらしい踊りでした」


「フレデリカお姉さまも、大変お上手でした」


 私と違ってアンはほとんど息も上がっていない。一部は即興でステップを踏んだというのに本当にすごい子だ。やっぱり貴方は私の自慢の妹です。


「パチパチパチ」


 誰かが打った拍手に合わせて、会場中から大きな拍手が上がった。その拍手の洪水にアンが驚いたというより、慌てたように右や左をきょろきょろと見ている。アン、私だけじゃない。皆があなたの踊りを認めている。貴方は素晴らしい踊り手です。


「素晴らしい踊りでした。次はどうか僕と踊っていただけませんでしょうか?」


 その声の方をふり返ると、白いマントを肩から外して侍従に渡した少年が、目を輝かせてこちらを見ている。えっ、もしかして王子様!?


「申し遅れました。サイモンと申します」


 サイモン王子がアンの手を取って丁重に挨拶した。アンもそれに合わせて腰をかがめると、


「アンジェリカ・カスティオールと申します。よろしくお願い致します」


 そう言うと、音楽に合わせて二人で中央へと移動していく。その動きを見た他の参加者達も、相手の手を取って中央へと向かっていった。広間には軽やかな音楽と、二人で手を取って回る幾人もの人であふれている。王子様を相手にしても、アンは臆することなく堂々と踊っている。いや、王子様を導いているかのようにすら見えた。


 私はその姿をしばし見つめた後、振り返って付添人の控えの場所に足を向けた。そう言えばあのガキどもはどうしただろうか。あんなぐらいで済むと思ったら大間違いだぞ。二度とあんないたずら心を起こさないように性根を叩きなおしてやる。


「フレデリカ・カスティオール嬢ですね」


 その時だった、背後から誰かが私に声を掛けてきた。

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