正式
「戻りました!」
そう一言声をかけて、イサベルは宿舎の扉を開けた。最近はフレデリカが忙しいため、授業が終わると部屋にそのまま戻ってしまっている。そのため、新人戦の相談もほとんど進んでいない。三人で話す時間がないと、やはり何か物足りない気がしてしまう。
そう言えば、侍女のシルヴィアに頼んでおいた、お茶会の手配はどうなっただろうか? イサベルがその件で、シルヴィアに声を掛けようとした時だった。
「お、お嬢様!」
侍女のシルヴィアが、血相を変えてイサベルの前へ飛び出してきた。天然で、どちらかと言えばおっとりとした性格のシルヴィアが、肩を震わせて立っている。
「何事ですか?」
「き、緊急事態です!」
その言葉にイサベルは驚いた。
「おじい様になにかありましたか!?」
イサベルは慌ててシルヴィアに問いただした。両親を事故で無くして以来、イサベルの近親者は祖父のエイルマーしかいない。もしエイルマーに何かあったら、自分は一人ぼっちになってしまう。
「そうではありません。エイルマー様からお手紙が届いております!」
そう告げると、シルヴィアはコーンウェル家の家紋が押された、正式な封書をイサベルへと差し出した。
「おじいさまから?」
それを見たイサベルは首をひねった。封書の裏を見ると、エイルマー直筆の署名まで入っている。どうしてこんなものを送ってきたのだろう。
「もしかして、お嬢様の御婚約の相手が決まった、とかではないでしょうか?」
その目を大きく見開きながら、シルヴィアは声を震わせてイサベルに問いかけた。
「そうでしょうか?」
確かに自分の年なら、ほとんどの貴族の娘は婚約者が決まっているのが普通だ。実際に学園の女子生徒も、イサベルが通う橙組の多くは既に婚約者が決まっているし、婚約相手が学園にいるものもいる。
自分も含めて、フレデリカやオリヴィアみたいな存在はごく少数だ。だからこそ、運動祭や新人戦の世話役などをやっても、何も問題ないと言えた。
「それならおじい様自身で、それを私へ伝えに来ると思います」
「では私の方で、何かそそうでも致しましたでしょうか?」
シルヴィアが、今度は深刻そうな顔をして見せる。
「流石にそれはないと思うけど……」
学園での侍女をどうするかについて、祖父のエイルマーがわざわざ手紙で知らせてくるなど、もっとあり得ないことだ。それなら侍従頭のハリスンから、シルヴィア宛に手紙が届くはず。
「ともかく、開けて読んでみましょう」
イサベルはシルヴィアからペーパーナイフを受け取ると、それで封を解いた。中にはコーンウェル家の紋章、ヒナギクの透かしの入った便せんが一枚だけ入っている。見れば書かれた文も決して長くはない。
「えっ!」
しかし便せんに目を通したイサベルの口から、普段はめったに出ない驚きの声が上がった。
「やはり、婚約がお決まりになられたのでしょうか!?」
「ちっ、違います! シルヴィア、お茶会での紅茶を用意する件ですが、誰に相談しました?」
「少し特別な紅茶とのことでしたので、ハリスン様にお願いさせて頂きました」
「ハ、ハリスンにですか!?」
「あ、あの、一体なにが――」
「お茶会です」
「はあ?」
イサベルの言葉に、シルヴィアが怪訝そうな顔をする。
「おじい様が、コーンウェル家としての正式なお茶会をすると言っています!」
「えええええええええ!」
侍女のシルヴィアの口から、フレデリカにも負けない驚愕の声が上がった。
「ふう」
私は机を眺めながらため息をついた。そこに並んでいるのは、運動祭で活躍していた女子生徒に出した、新人戦監督就任へのお誘いの返事だ。
結果は予想通りで、丁寧か、とっても丁寧かの違いはあったが、ローナさんを除いて、全て参加を断る内容だ。メラミーさんに至っては、一言「いや!」とだけ返してきている。
「どうされました?」
ため息をついた私を心配してくれたのか、後ろの席のオリヴィアさんが私に声を掛けてきた。
「はい。新人戦の監督の件ですが、ローナさん以外には断られてしまいました」
「やはり皆さん躊躇されるのですね。でもローナさんが引き受けてくれてよかったです。それにローナさんに相談すれば、どなたか紹介していただけるかもしれません」
そう告げると、オリヴィアさんは私ににっこりとほほ笑んでくれた。やはり持つべきものは友、それに超絶美少女の微笑みです。
「そうですね。ローナさんに相談できますね!」
私は思わずオリヴィアさんの白く細い手を握りしめた。オリヴィアさんが少し戸惑った顔をする。なんて可愛いのでしょう! やっぱりオリヴィアさんは、世の男子が一発でやられるやつ満載です。
「そ、そう言えばイサベルさんは遅いですね」
オリヴィアさんはなぜか顔を赤くすると、私から視線を外して、誰も座っていない席の方を見る。確かにそうだ。私が遅れることはあっても、イサベルさんとオリヴィアさんの二人は、いつも早めに教室へ来ている。
「今朝は一緒じゃなかったんですか?」
「はい。少しお待ちしたんですけど、いらっしゃらないので、何か用事があって先に行かれたと思っていたのですが、違ったみたいです」
もしかして、風邪でも引いたのだろうか? 南区では冬だと言うのに、これでもかと言うほど水を被りましたからね。でもそれはちょっと前の話です。
「おはようございます」
不意にイサベルさんの声が響いた。
「おはよう……えっ!」
私の口から思わず驚きの声が口から漏れた。いつも凛としているイサベルさんが、少しぼんやりした顔をして立っている。それどころか、あの美しいとしか言えない顔に、くまのようなものまで浮かべていた。
「どうされたんですか!?」
オリヴィアさんも驚いた顔をしてイサベルさんを見ている。イサベルさんは私達に苦笑いをして見せると、朝だと言うのに疲れ果てた感じで席に腰を下ろした。
「はい。少し遅くまで起きていてしまいまして……」
イサベルさんが力なく答える。その顔を見る限り、確かに全く寝ていなさそうな顔だ。だけどどう見ても、このやつれ方はそれだけが原因とは思えない。私はオリヴィアさんと再び顔を見合わせた。
「もしかして……」
オリヴィアさんの口から呟きが漏れる。そうです。これはもしかすると!
バン!
私が口を開く前に、教室の扉が開く音がした。つかつかと教壇へと歩く足音もする。なんてことでしょう。せめて後一分くれれば!
「起立!」
宿直の声が響き、生徒が一斉に立ち上がった。いけません。後ろを向いていたため、一瞬遅れて立ち上がった私を、メルヴィ先生が冷たい視線で見つめています。
「礼!」「着席!」
メルヴィ先生の視線にビビりながら、私は慌ててカバンから教科書を取り出した。教科書を置くと、机の上に折りたたまれた紙切れが乗っている。私は教科書を開く振りをしつつ、その紙片に目を通した。
『お昼休みに相談させてください』
そこにはイサベルさんの字でそう書いてある。
『もちろんです!』
私は黒板に何かを書き始めたメルヴィ先生の背中を見ながら、早く時間が進めと、この世界の理に、強烈な念を送りだしてやった。