偶然
「大変お待たせしました」
王立学園長シモンはそう告げると、部屋の中にいた二人に頭を下げた。そこには白髪の紳士と、星見官のロープを着た小柄な男が会議卓に座っている。
「ですが、このような場を持っても本当に大丈夫なのでしょうか?」
そう問いかけたシモンに対して、白髪の男性、コーンウェル候エイルマーが頷いて見せた。
「王妃の学園訪問の件で、そちらから出向いてきたのだ。今後の魔法職に関する教育について、私やレオニートに相談するというのは筋が通っている。むしろ我らのいい隠れ蓑だ」
「確かにおっしゃる通りです」
シモンはそう答えると、内務省別館にある会議室の机に腰を下ろした。
「南区の件は私の耳にも入っている。君の方でも生徒たちから何か話は聞いているか?」
エイルマーの問いかけに、シモンは首を横に振って見せた。
「いえ、南区の件についてはセシリー王妃様ならびに、イアン王子様も絡んでいて、内務省の方から釘をさされました」
「そうだろうな。王家が絡んでいるとなると色々と面倒だ。レオニート、お前の方は?」
「申し訳ありません。セシリー王妃様の監視に当たった、黒曜の塔の者たちが振り切られました」
「『腕』がか?」
「はい。流石に王妃様の監視に腕としての力は使えません。それにセシリー王妃様には……」
「スオメラの手の者がついている」
エイルマーが続けた台詞に、レオニートが頷いて見せた。
「はい。ですが塔の新人が偶然、やくざ者の監視のついでに現場を確認しました」
「それは初耳だな。内容は?」
「それが新人のせいもあって内容としては要領を得ません。ですが南区全体が巨大な子宮の中にいた、という表現をしています。それが謎の光と共に全て消えてしまったそうです。それを信じるならば――」
レオニートの言葉に、エイルマーの顔色が変わった。
「シモン!」
「『終末記』における神の子宮に間違いありません。失われし上方世界の神々が、再びこの世界へ戻られようとしている啓示です」
「学園の準備は?」
「はい。全ての準備は整いました。ロストガルを含め、建国に関わった全ての魔法職の血が集まっております。それに各家から集めた護衛役で、蝕の贄にも不足はありません」
「孫娘が器で、間違いないのだな?」
「間違いないと思います。それについては運動祭の時に、無詠唱で力を発揮された事からも明らかです」
「もし、違っていた場合の保険は?」
「その場合、白亜の塔の力にかけてお孫様をお守りします。ですが、血は頂くことになるかと思います」
「命の方が大事だ。血ぐらいはかまわぬ。それにそれはもしもの場合の対応だ」
「ですが、一つ問題があるとすれば――」
「例の件か?」
「はい。セシリー王妃様が学園にいらっしゃる件です。それに今回はスオメラまで絡んできています」
「それについては、極力すぐに終わらせるよう、王家へ私の方からも働きかける。そもそもスオメラからの使節団が来るのだ。本来なら学園にいく時間などないはず。それとシモン――」
「なんでしょうか?」
「孫娘が茶会を計画している」
「なるほど。今年は色々と立て込んでおりましたが、コーンウェル家の直系なれば、そろそろ茶会も行うべき時期ですね」
「茶会は正式なものとして、大々的にやるつもりだ」
エイルマーの言葉にシモンが少し驚いた顔をする。
「意外か? 正式な茶会であれば、私も学園内に足を踏み入れられる。本蝕が始まる前に、私自身の目で学園の状況を確かめておきたい」
「ですが、エイルマー様も参加されるとなりますと――」
「主だった家は招待しないといけないな。だが大した問題ではない。それに今年は新人戦だけでなく、セシリー王妃の来園に合わせて剣技披露も行われるのだろう?」
「はい。正直なところ、迷惑以外の何物でもありませんが、ロストガルの伝統であれば仕方がありません」
「レオニート、『腕』を使っての監視を怠るな。シモン、邪魔になりそうな者は剣技披露自体を使って、事前に排除するのだ」
「かしこまりました」
シモンはエイルマーに対して、長く白いそのあご髭を床につけんばかりに頭を下げた。
「ふーん、ふふふーん!」
ナターシャは機嫌が良さそうに鼻歌を口ずさみながら、官庁街の横に並ぶ高級店の入り口で足を止めた。そしてガラスの向こうに置かれた服を眺める。
「この店も良さそうね」
「まだ何か買うものがあるのか?」
その背後でエドガーが呆れた声を上げた。
「いつもあんなかび臭いところに押し込められているいたいけな女性が、たまに買い物に出ている時の気分ぐらい、少しは理解しなさいよね」
ナターシャはそう告げると、棒付き飴をエドガーに向かって突き付けた。その飴の先では買い物袋をいくつか両手にぶら下げたエドガーが、うんざりした顔で立っている。
「そもそも、このナターシャさんと一緒に街を歩けるというだけでも、『世の男たちよ、羨ましいだろう。俺にひれ伏せ!』とか思いながら、ドヤ顔でついて来るべきじゃないの?」
そう告げたナターシャに、エドガーは肩をすくめて見せた。道行く男たちがナターシャへ視線を向けるのは本当だ。
それはナターシャの服が、奇抜な色の組み合わせなのだけではない。男たちの目は彼女の豊かな胸に、そして緩やかにカーブを描く腰、そこからすらりと伸びる長い足へと吸い寄せられていく。
後をついて歩くエドガーも、彼女のツィンテールを揺らして歩く後ろ姿を見ていると、どうしても女性としての魅力を感じざる負えない。だが彼女の本当の凄さはその顔や姿ではなく、その心の内だと言う事も、エドガーはよく分かっていた。
「そう思っているなら、返事ぐらいしなさいよね!」
「はいはい、ナターシャ様」
「返事は一回!」
「はい!」
ナターシャは満足そうに笑みを浮かべると、エドガーの袖を引っ張りつつ、店の扉を押そうとする。エドガーはこれ以上何か持たされるのかと、心の中でため息をつきながらその後に続いた。
だが不一台の立派な馬車が止まっているのが視界に入った。金髪の男性が建物から出てくるとその馬車に向かって歩き始める。
ゴン!
不意に足を止めたエドガーの動きに、ナターシャはたたらを踏むと、店のドアに軽く頭をぶつけた。
「あたたた。ちょっと、何を――」
ナターシャはそう文句の声を上げたが、エドガーが通りの先をじっと見つめているのに気が付くと、そちらへと視線を向けた。
「アルベールさん……」
エドガーの口から声が漏れる。
「あれって、あなたの大好きな金髪の片割れ?」
「おい!」
エドガーの真剣な声に、ナターシャは不機嫌そうに頬を膨らませた。
「ここにいてくれ。アルベールさんに挨拶してくる」
「ちょっと待って!」
ナターシャがエドガーの袖を強く引っ張った。今度はエドガーがたたらを踏みそうになる。
「何をするんだ!」
「待って、と言っているでしょう!」
ナターシャは声を荒げると、顎で通りの先をしゃくって見せた。そこではゆったりとしたローブを着た老人が、馬車の横でアルベールと話しをしている。さらに入り口にもう一人がいて、三人で話をしているらしい。
「向こうはまだ仕事中。それにあの男は絶対に関わっちゃいけない、とってもやばい奴の一人よ」
「やばい奴と言ったか?」
そう真剣な表情で聞き返したエドガーに、ナターシャがしまったという顔をする。エドガーは建物の間の路地へナターシャを引っ張り込んだ。
「ナターシャ、あの男について何を知っているんだ?」
「な、何も知らないわよ」
「お願いだ。教えてくれ」
そう言って頭を下げたエドガーに、ナターシャが当惑した顔をする。
「やっぱり、あの人が一番なのね……」
そう呟くと、大きくため息をついて見せた。
「知りたいのなら、私の言う通りにして。それと私がいいと言うまで質問もなしよ」
「分かった」
そう答えたエドガーの手をナターシャが再び引っ張る。そして裏通りを進むと、少しさびれた感じのする建物の前へと出た。入り口の上には小さな看板が通りに突き出していて、そこには人差し指を口元に当てた女性の顔がうっすらと浮かんでいる。
「こ、ここは……」
だがエドガーはナターシャの真剣な表情に言葉を飲み込んだ。そして扉を開けたナターシャに続いて、建物の中へと足を踏み入れた。