お誘い
「ふう」
ローナは小さくため息をつくと実家からの手紙を枕の上へ置いた。そして狭い宿舎の中を見回す。
そこにはいくつかの共有の机と壁際に置かれた二段式ベッドが置いてある。これが学園における平民が入る宿舎の部屋だ。正しくは平民向けではないが実質的にはそうだった。
ここにいるほとんどの者たちは実家に帰れば、これよりはるかに広い部屋を持ち、侍従たちに傅かれた生活をしている。ローナも実家に帰ればそうだ。
それでもローナをはじめ、多くの者たちが学園での生活を楽しんでいた。少なくともここにいる間は、自分の家の事やそこで果たすべき役割を忘れることが出来る。
だがローナにとっては、その生活ももうすぐ終わりを迎えようとしていた。実家から届いた手紙には、家に戻るようにとだけ簡潔に書いてある。それが何を意味しているか、ローナにはよく分かっていた。
ローナの実家は商会と名乗ってはいたが、中堅のこじんまりとした商家だ。その仕入れ先や卸先は祖父から続く代々の付き合いに頼っている。
しかし各家が代替わりし、これまでの付き合いを重視する商売から、利益を重視する商売に代わるところが増えた結果、ローナの家は多くの取引先を失う事になった。
その時点でどこかに身売りでもして、その傘下に入るべきだったのだろう。だが二代目としての父のプライドがそれを許さなかった。逆に事業を拡大しようとしそれが悲惨な結果をもたらす。
父親はローナをどこかの家に嫁がせ、その援助で立て直しを図ろうとした。それでなけなしの金を使いローナを学園へと入れたのだ。
商家の嫁は貴族の家程ではないが、商家同士の会合や、夫人同士の付き合いに顔を出す必要があったし、何より家をまとめないといけない。なので学園を出た娘にはそれなりの価値がある。
けれどもその金も尽きようとしているらしい。赤字が続いていたのだから当然だ。ここを出ればすぐに、どこかの商家へ嫁ぐ、いや、いくばくかの資金と引き換えに、どこかの貴族の後妻に入れられるのかもしれない。
そう言えば、メラミーはどうしているだろう。ローナの頭に、ふと学園での数少ない知り合いの顔が浮かんだ。家同士のつながりで、入学前に何回か顔を合わせたことがあるメラミーは、以前はこの共同宿舎で同室だったが、今は病気で休学した人が使っていた個室の宿舎に移っている。
学園で顔をあわせてすぐに、彼女は父親が自分を閉じ込める為に、ここへ入れられたとぼやいていた。きっと学園を出るとなったら、メラミーなら両手を上げて喜ぶはずだ。
その実家は新興の商家で、ローナの家とは比べようもないくらい裕福だ。それに全く物怖じしない。身分も性格もかなり違うが、やっている事は赤毛のさんにかなり近く似たもの同士だ。そのせいか、メラミーは赤毛さんを毛嫌いしていた。
「ふう」
ローナが再びため息をついた時だ。トントンと誰かが部屋の扉を叩く音がした。誰かが食事から戻ってきたらしい。ローナは慌てて手紙を枕の下へと隠した。
「どうぞ!」
ローナの返事に、扉から顔を出したのは相部屋の子ではなかった。宿舎番の上級生が、手紙を手に戸口に立っている。ローナは慌てて寝台から飛び降りると、菫色の髪の上級生に頭を下げた。
「お手紙です」
上級生がローナに二通の封筒を差し出す。ローナはそれを受け取ると、足を後ろに引いてスカートの裾を上げた。相手も同じ礼を返して、廊下へと去っていく。
誰への手紙だろう。ローナが宛先を確認すると、二通とも自分宛てだった。一通目の家紋も何もないそれは、実家からの手紙だ。おそらくいつここを出るのか、連絡を寄越したのだろう。もう一通の裏を見ると、そこには薔薇の紋章の封印がされていた。
「フレデリカさん?」
意外な人物からの封書にローナは首を捻った。だが先に実家からの手紙を開封する。他の人がいるところでは、こちらはとても読めそうにない。しかしその内容に目を走らせると、慌てて机の油灯の元へと駆け寄った。そこでもう一度手紙の内容に目を通す。
手紙には学園を出る必要がなくなったこと。それに部屋を個室へ代える手配をしている旨が書かれている。そして二枚目を見てさらに驚いた。そこには侍従の手配も、護衛役の手配もするとも書いてある。しかし最後に、気になる一文が添えられていた。
『使用人たちの言葉に従う事』
「そう言うことね……」
ローナの口からため息が漏れた。きっとどこかの貴族の後妻か、妾になるのが決まったのだろう。だから虫が付かないように、使用人を送り込んできたのだ。
落ちそうになった涙を吹くと、ローナはもう一通、薔薇の紋章の封書を開いた。そこには少し癖がある字で文が綴られている。
「ふふふふ」
今度はローナの口から小さく笑い声が漏れた。あの赤毛の少女は、またも色々と企んでいるらしい。
「面倒ね」
そう呟きながらも、ローナはすぐにフレデリカへの返信を書き終えた。それにもう一通、メラミーへの手紙の内容も書き始める。フレデリカの誘いだけでは彼女は首を縦に振らないだろう。どうすれば参加させられるだろうか?
『……赤毛さんをコテンパにする、チャンスだと思います』
そう書いて再び笑みを漏らす。これで間違いなくメラミーは参加するはず。なにはともあれ学園にいる時間は伸びたのだ。それを精一杯楽しめばいい。
それにたとえ面倒でも、あの子といれば、退屈することだけはない。