夢
「よいしょ!」
ミカエラは気合を入れるとシーツを寝台の上へと広げた。そして素早く皴を広げていく。だが侍従部屋の寝台の数は多い。手早くやらないと時間が無くなる。
冬だというのに汗を掻きながら、全てのシーツを取り換えると、桶に入れて洗い場へ向かう。これを洗い場に置けば今日の仕事は終わりだ。
「ミカエラさん」
洗い場から出たところで不意に声が掛かった。振り返ると、セシリー王妃付きの侍女であるエミリアが、ミカエラの方を見て立っている。
「はい、エミリア様」
ミカエラはエプロンの裾を上げるてエミリアに礼をする。エミリアは南大陸の出身らしくはっきりとした目鼻立ちの顔に、少し不満げな表情を浮かべた。
「ミカエラさん、何度も言いましたが、私達は同僚ですから『様』は不要です」
「申し訳ありません」
再び頭を下げたミカエラに、エミリアが小さくため息をつくのが聞こえる。けれどもミカエラは一見するととても厳しそうなエミリアが、根はとてもやさしい人であることをよく分かっていた。
まだ体がよく動かないときに、皿を棚に入れようとしてバランスを崩し、踏み台ごとひっくり返ったことがあった。もちろん手にしていた白磁の皿は全て粉々だ。
仰向けになって呆然としていたミカエラに、エミリアは「大丈夫!」と声を上げて駆け寄ると、ミカエラが怪我をしていないかすぐに確かめた。
そして特に怪我をしていないことを確認すると、皿を割ったことではなく、安全に気を付けること。一人では無理だと思ったら、すぐに助けを呼ぶ事についてのみ怒られた。
今ではミカエラはエミリアの事を本当の姉の様に慕っている。それにてきぱきと全ての仕事を完璧にこなして見せるエミリアは、ミカエラの目標でもあった。
「奥様がお呼びです」
そう告げると、エミリアはミカエラについてくるように合図した。エミリアはミカエラが普段働いている使用人棟を抜けて、本物の王宮とでも言うべき館の方へと歩いていく。
どれだけ角を曲がったのか覚えてられないほど角を曲がったのち、二人は壁の一部にしか見えない扉から立派な廊下へと出た。エミリアが扉の一つで足を止めると、それをノックする。
「ミカエラさんをお連れしました」
「どうぞ」
中から声が聞こえた。その声にミカエラの足がぶるぶると震える。必死に止めようとしても一向に止まらない。ともかく手を前に揃えて丁寧に頭を下げた。
ミカエラが頭を上げると、壁際に本棚がある部屋に置かれた丸テーブルに二人の女性が座っている。一人はセシリー王妃だ。その横にミカエラよりは少し年上の、女神様みたいに美しい女性も座っていた。
「そんなところに立っていないで、こちらに座って」
そう言うと、セシリーは自分が座っているテーブルを指さした。その言葉にミカエラの頭が混乱する。王妃様と使用人の自分が、同じテーブルに座るなんてことがあり得るのだろうか? それどころか、座っていた若い女性は立ち上がると、ミカエラ達のために椅子を引いてくれる。
『貴婦人が使用人に椅子を引く?』
ミカエラの頭がさらに混乱する。
「失礼いたします」
エミリアが特に慌てることなく引かれた椅子へ腰を下ろすのを見て、ミカエラも遠慮しながらも椅子へへ腰を下ろそうとした。
「はじめまして、セシリーの娘のソフィアと申します」
その前に立ち上がった銀髪の若い女性が、ミカエラに手を差し出した。セシリー王妃様の娘ということは……王女様だ!
「あ、あの――」
貴婦人に対する挨拶と礼をしようとしたが、体も口も言う事を聞かない。女性が当惑するミカエラに微笑んで見せる。
「ミカエラさんね」
「は、はい。お初にお目に掛かります、ミカエラと申します」
ミカエラは差し出された手を拝むように握ると、必死に声を絞り出した。
「どうぞおかけになって。お母さま、かわいらしい方だとは聞いていましたけど本当にそうですね」
ソフィアが隣に座るセシリーへ声をかけた。
「そうでしょう。あなたの侍女にはもったいないぐらいです」
セシリーがソフィアへ満足げに頷いた。
「本当にそう思います。ですが、せっかく全部自分で――」
そう言ったソフィアに対して、セシリーが今度は首を横に振って見せる。一体何の話をしているのだろう? ミカエラはなるべく体を小さくしながら当惑した。
「ソフィア。人の仕事を奪うようなことは許されません。それは仕事だけではなく、人の尊厳すら奪う事になります」
「はい、お母さま。申し訳ありません」
「それよりも、体の方は大丈夫?」
セシリーはそう告げると、少し心配そうな顔でミカエラを見る。
「はい。おかげさまでもう大丈夫です!」
そう答えたミカエラに、セシリーが首をひねって見せた。
「どうかしら。だいぶ回復したみたいだけど、まだ完全ではないようね。無理はしないように」
「はい、王妃様。気を付けます」
「それにミカエラさん。ここは私の私的な場だから、王妃とか呼ばなくても大丈夫よ」
「申し訳ありません」
頭を下げたミカエラに、セシリーが含み笑いを漏らす。
「何も謝るようなことではないわ。それよりもドミニクさんから聞いたのだけど、あなたはフレデリカさんの侍従になりたいの?」
「あ、は、はい。少しでもお役に立ちたいと言う、私の我がままです」
ミカエラは慌てて答えた。ミカエラからすれば、この王宮で侍従として働かせてもらえているだけでも、毎日が夢をみているようなものだ。
「その件についてはいずれ私の方から、あの赤毛のお嬢さんに推薦状を書く事にしましょう」
「えっ!」
ミカエラの口から思わず声が漏れた。
「ですが差し当たり、あなたには学園でソフィアの侍従をしてもらおうと思っています」
「わ、私が王女様の侍従ですか?」
ミカエラの口から今度は悲鳴が漏れた。何の礼儀作法も知らない自分が王家の侍従をするなど、どう考えても無理だ。
「ミカエラさん、これからよろしくね」
驚き慌てるミカエラに、ソフィアが再度手を差し出してきた。
『こんな美しい王女様の侍従! 自分が!?』
「すみません。私ではとても務まるとは思えません!」
ミカエラは正直にそう答えると、二人に頭を下げた。その答えにセシリーとソフィアが互いに顔を見合わせる。セシリーは手を伸ばすと、ミカエラの震える肩をそっと撫でた。
「ミカエラさん、大丈夫よ。最初から完璧に出来る人など誰もいないわ。エミリアだって数えきれないほどの皿を割ってきているのよ」
セシリーはそう告げると、エミリアの方をちらりと見た。その台詞にエミリアの顔が真っ赤になる。
「だから、あなたが出来ることを精一杯頑張ってくれればそれでいいの。それに自分の娘でなんだけど、ソフィアはちょっと変わっているから、王女と思わないぐらいで丁度いいと思うわ」
「お母さま、変わっていると言うのは酷くないですか?」
「ソフィア、あなたの件で、私が陛下やマイルズから、どれだけ小言を言われているか分かっている?」
セシリーの言葉に、ソフィアが肩をすくめて見せた。だがミカエラの方を見ると、小さく片目を瞑って見せる。確かに中身は普通の王女様とは違うのかもしれない。もっともミカエラには、何が普通なのかは良く分からない。
「ではエミリア。ミカエラさんの荷物をまとめるのを手伝ってあげて」
「はい。奥様」
「それに安心して頂戴。あなたがよく知っている人も一緒よ」
「しばらく見ないうちに、本当に元気になったね」
ミカエラの背後から声が掛かった。
「ド、ドミニクさん!」
ミカエラは思わず立ち上がると、ドミニクの胸に飛びついた。その豊かな胸に顔を埋めながら、ミカエラは自分の足の震えが止まっているのに気が付いた。
今度は別の震えが心の底から湧き上がってくる。兄がいる学園で働けること。何よりあの人の側に自分がいられる事に、ミカエラはまだ幼い心を躍らせた。
「奥様、戻りました」
部屋に入ってきたエミリアに、セシリーが頷いて見せた。
「様子はどう?」
「はい。今はドミニクさんとお話をされています」
「どうやら体の方は大丈夫そうね。身辺の方は?」
「はい。一度それらしい動きがありましたが、事前に掛けておいた術で対応できたようです」
「こちらの反応を見るために、一応は仕掛けてみたというところかしら?」
「そうかと思います」
セシリーの言葉に、エミリアが同意した。
「お母さま?」
ソフィアが心配そうな顔をしながらセシリーへ問いかけた。
「ソフィア、どうかしたの?」
「確かに学園に居れば、長い手に掛けられる危険は減ると思いますが、今の学園へ行くのは、それよりはるかに危険なことではないでしょうか?」
「そうね。そうとも言えるわね」
「それなら、この王宮に居た方が余程に安全です」
ソフィアの言葉にセシリーは首を横に振って見せた。
「ソフィア、私たちがどれだけ庶民ぶってみても、所詮は王家の人間ですよ。その理から逃れることはできません。私たちの論理は常に最大多数の最大幸福です」
「そのための犠牲には目を瞑る……」
ソフィアの言葉にセシリーが頷いた。
「今の学園にはキースに、あなた、それにイアンもいる。だけどあなたたちは常に監視されています。他の息がかかっていないと確信できる者を、学園に送り込める機会を捨てることはできません」
「ですが――」
「たとえあの子がまだ幼くてもよ。それに今度の使節団では非公式ではありますが、あなたの叔父上が直接この国へいらっしゃいます」
「えっ!」
その言葉に、ソフィアは驚きの声を上げた。
「この件には、人の世そのものの行く末が関わっているかもしれないのです。だからソフィア、あなたも覚悟しておいて頂戴。私たちが手を動かすことなく、冬に凍えることなく暮らしていけるのには、相応の義務があるのです」
「はい。お母さま」
「エミリア、あなたへの制限を解きます。以後は自由に力を使いなさい」
「はい、奥様。了解いたしました。白亜の塔だろうが、黒曜の塔だろうが、私に流れる半魔の血にかけて、負けは致しません」
エミリアに頭を下げて見せたエミリアの瞳に、ミカエラが見ていたものとは別の怪しい光が宿る。
「そうね。あなたなら勝てる。だけどそのような事態にならないことを心から祈っています」
そう呟くと、セシリーは窓の外、この王宮を囲むように立っている星見の塔の灯りへ目をやる。その顔にはいつもの笑顔はなく、どこか物憂げに見えた。




