打ち合わせ
「こうして三人で座っていると、運動祭の時の事を思い出しますね」
教務課が手配してくれた学習室の一角を見渡しながら、イサベルさんが少し懐かしむように声を上げた。前にも運動祭で打ち合わせをした時に使った部屋だ。
「そうですね。ほんの少し前の話なのに、とっても昔の事の様に思えます」
オリヴィアさんも懐かしそうに辺りを見回すと、イサベルさんに同意した。運動祭はもちろん、学園に入学したことすらもほんの僅か前の事だ。だけどその全てがとても昔の事の様に思える。
イサベルさんや、オリヴィアさんと過ごせている学園生活がとても楽しく、かけがえのない時間だからそう思えるのだろう。それに今日もこうして、私の我がままに付き合ってもらってしまっている。
それだけではない。教務への部屋を貸してもらうお願いや、新人戦の資料の取り揃えなども手伝ってくれた。私がやるよりはるかに手早く、そして的確だ。
「遅れて申し訳ありません」
ドアが開く音と共に、いつの間にか聞き慣れてしまった年不相応に落ち着いた声が響く。扉の先にはその声の主、イアン王子と、その背後に続くヘルベルトさんの姿が見えた。イアン王子は私の隣にイサベルさんとオリヴィアさんがいるのを見ると、少し首を傾げて見せる。
「イサベルさんとオリヴィアさんには、私の方から今回の件でお手伝いをお願いいたしました」
「なるほど。お二人とも、またもフレデリカ嬢に巻き込まれたという訳ですね」
ちょっと、ちょっと待ってください。
「巻き込まれたとは何ですか、巻き込まれたとは!」
「フレデリカさん!」
イサベルさんが、思わず腰を浮かせかけた私の袖を引いた。そうでした。今日はこの嫌み男と言い合いをしに来たわけではありませんでした。やはり二人に来てもらってよかったです。一緒に来ていなかったら、間違いなく最初から怒鳴り合いでした。
でもどうしてこの人はこう嫌味ばっかり言うんですかね? もしかして嫌味を言わないと、空気が吸えない病気とかに掛かっていませんか?
「別に病気などには掛かっていませんが?」
「えっ!」
もしかして、またも心の声が漏れていましたか? 慌てて辺りを見回すと、イサベルさんにオリヴィアさんも手を額に当てている。あ、あのですね、もしかして皆さん実は魔法職か何かで、私の心の声を聞き取る能力があるとか、そんなことは無いですか!
「嫌みを言わなくても空気は吸えますよ。それで、本日の打ち合わせの用件は何でしょうか?」
どうやら私の方でも失言があったみたいですが、それでも何ですか、その上から目線な態度は? まるで内務省の受付みたいです。ですがこれ以上何かを考えるとまた心の声が漏れてしまう。ここは我慢です。
「もちろん、新人戦の運営についてです」
「新人戦の運営の手配でしたら、私の方で全て承ります。当日の挨拶ぐらいはお願いするかもしれませんが、フレデリカさんをはじめ、皆さんのお手を煩わす必要はないかと思います」
もし単に新人戦の手配の打ち合わせだけが目的なら、それを聞いた時点で回れ右をして、速攻で帰るところですが、本日はそうはいきません!
「事務的な手配ではなく、試合の運営に関するご相談です」
「試合の運営?」
「はい。来る新人戦ではこれまでの個人戦だけではなく、団体戦の開催を提案させていただきます」
嫌味男は少し当惑した表情を浮かべると、隣に座る腰ぎんちゃくの方を見た。イサベルさんが事務から借りてきた資料によれば、新人戦の参加者は16名だ。
男子は女子と違って一クラスの人数が倍近くいるから、全体では100名を超える。その中で16名という数字は、すごく多いという訳ではないがそれなりの人数だ。
「団体戦ですか?」
「はい。個人戦の参加者だけでも、三組または四組の組み分けが出来ると思います」
五名一組にすると、三組だから少し少ないかもしれない。三名で一組にすれば五組は作れる。全員が参加してもらえなくとも四組にはなるだろう。全員参加なら四名で四組だ。
三組なら総当たり戦、四組以上ならトーナメントにすればいい。
「さらに各組には監督を置くことを提案させていただきます」
監督はイサベルさんとオリヴィアさんは確定として、四組なら後二人は誰かにお願いする必要がある。私たち橙組からは二人決まっているので、後の二人は黄組から出てくれるとバランスが取れて都合がいい。
一人はローナさんに頼み込むとして、あと一人はメラミーさんにやってもらえないだろうか? あの二人なら、見栄えだけじゃなくて監督としての威厳も十分だ。もしメラミーさんがやってくれなかった時はしょうがない。私自身でやるしかない。
イサベルさんやオリヴィアさんの組には、多くの参加希望者が出るだろう。だけど私が監督になった場合、参加してくれる選手がどれだけいるかはかなり心もとない。誰も居なかったら、前回の貸でハッシーには無理やりにでも参加させよう。それと彼の友達でとりあえずは数合わせです。
後は間違いなく相当な倍率になるイサベルさんとオリヴィアさんの組に、嫌味男とエルヴィンさんをいかに参加させるかですが、これは受付の立場をうまく使って、最初に私の方で名前を書いてしまっておくとかすれば何とかなります。
今回こそ、皆さんには私の美味しいおかずになっていただくのです!
「フレデリカさん?」
「はい?」
色々と妄想に入りかけていた私に、イサベルさんが声を掛けてきた。
「監督って、一体何をするのでしょうか?」
「もちろん試合には出ません。チームの顔、代表みたいなものです。そもそも新人戦は完全に男子生徒の催し物になっていて、女子生徒の盛り上りが足りません。ですから女子生徒に監督をやってもらって、男子生徒には勝利を目指してもらえば、男女ともに盛り上がること――」
「ちょっと待ってください。それは初耳ですよ!」
私の台詞を遮って、イサベルさんが声を上げた。あれ? まだ説明していませんでしたっけ? 個人的にはその為の団体戦です。
「そうです。もしかしてその監督と言うのを――」
「はい。イサベルさんとオリヴィアさんには、是非に監督をやってもらいたいと思っています」
「素晴らしいアイデアです!」
オリヴィアさんが何かを答える前に、机の向こうから大きな声が響いた。
「オリヴィアさん、いや、オリヴィア監督の為に、死力を尽くして戦う事をここに誓います!」
そうでした。このお邪魔虫を忘れていました。これを排除するための手段も考えておかねばなりません!
「ヘルベルト、お前は口を閉じていろ」
そうです。受付が終わるまでメナド川の底にでも沈んでいてください。
「フレデリカさん」
嫌味男が珍しく、私の事をきちんと名前で呼んだ。
「はい」
「率直に言って難しいかと思います」
「何ででしょうか?」
「イアン、いい考えだと思うがな? 団体戦となれば、不戦敗のお前も何の問題もなく新人戦に参加できる」
お邪魔虫、もといヘルベルトさん。その通りです。それにエルヴィンさんも問題なく参加できます!
「ヘルベルト、口を閉じてろって言っただろう。イサベルさんとオリヴィアさんには、その理由が分かって頂けると思いますが?」
私は隣にいるイサベルさんとオリヴィアさんの方を振り返った。確かに二人とも何かを憂いているような顔つきをしている。監督の件で不意打ちをしたのが良くなかったですかね。でもこうでもしないと、引き受けてもらえないと――。
「各家の関係を考えると、新人戦の参加者で組を作るのは相当に難しいと思います」
イアン王子の言葉に、私は運動祭の組み分け表が訂正に次ぐ訂正で、白い紙が灰色に変わってしまったのを思い出した。確かにここはこの世界の縮図でもある。でも本当にそうだろうか?
「参加者の意思こそがそれに勝ると思います!」
「参加者に迷惑をかけてもですか?」
そんなことをどこまでも引っ張っているからこそ、いつの間にかそれが絶対的なルールみたいになっているだけじゃないのだろうか?
「違うと思います。迷惑をかけると考えること自体が間違いだと思います」
イアン王子が首を横に振って見せる。
「理想論ではそうですが、現実は……」
「分かりました。フレデリカさんのおっしゃる通りです。少し恥ずかしい気もしますが、よろこんで監督をお引き受けいたします」
私の隣から声があがった。見ると、イサベルさんが私に向かって頷いてくれている。
「私も微力ながらお手伝いさせていただきます」
オリヴィアさんも私に向かって頷いてくれた。
「イアンさん、それが建前上であっても、この学園においては生徒同士は対等であるはずです。大人たちはいざ知らず、私達生徒がそれを建前にも出来ないというのは、とてもおかしい事だと思います。それを少しづつでも変えていくべき事です。そうですよね、フレアさん!」
「あ、はい」
あれ? 皆さん、何か勘違いしていませんか? 私個人としてはおかずが確保できれば、それで十分に満足なんですが……。
「イアン、お前の負けだな。確かに皆さんの言う通りだ。俺達がそれを気にしている様では学園にいる意味がない。それにさっきも言ったが、お前の不戦敗問題もこれで全て解決だ」
ヘルベルトさんの言葉に、嫌味男は大きくため息をついて見せた。
「皆さんの意見がそうなら、私としても異論はありません」
「これで決まりですね! 今度もフレアさんには負けません!」
「えっ?」
ちょ、ちょっと待ってください。私も監督をすることになっていませんか? まあ、言いだしっぺですから仕方がないですね。やはりハッシーへの貸しを取りてている事にしましょう。
それに貸し借りと言えば、誰かから何かを借りたみたいな気もするのですが、一体誰からだったでしょうか? 何も思い出せません!