辻褄
「それで、その新人戦の世話役はどうするんだ?」
昼ご飯を食べ終わったヘルベルトが、弁当を片付けながらイアンに声を掛けた。
「どうするもこうするもない。放課後にせっせと準備をするだけだ。出場選手の紹介文に競技の日程調整、会場の配置などやることは多い」
同じく弁当を食べ終わったイアンが、不機嫌そうな表情を浮かべながらヘルベルトに答えた。周りに人はいない。イアンは王子と言う立場と、丁寧ではあるが年齢不相応に落ち着いた態度のせいか、辺りに人を寄せ付けないところがある。
「はあ? またあの赤毛のお嬢さんと二人で一緒にいられるんだぞ。うらやましい限りだよ。まさに王族の特権だな」
「特権? 何を言っているんだヘルベルト、これは間違いなく呪いの類だ」
イアンはいかにもめんどくさそうに両手を広げて見せる。それを見たヘルベルトが、ちらりと辺りを見ながら呆れた顔をした。
「その台詞を俺以外の奴に聞かれたら、お前は間違いなく宿舎の帰りに闇討ちだな。いや、先ずは俺が闇討ちしてやる」
「他の二人は分からなくもないが、あの赤毛にそれほど人気があるとは思えないのだが?」
「イアン、お前の目は節穴か!?」
首をかしげてみせたイアンに対して、ヘルベルトが声を上げた。
「あの運動祭での盛り上がりを見ただろう。やんごとなき奴らが多いうちのクラスですらそれぞれに派閥を作って、どっちがかわいいだのと言い争っているだろうが! ちなみに俺の立ち位置は――」
「そんなあからさまな事など、わざわざお前の口から聞く必要などない。赤毛には名前だけの世話役になってもらう。そもそも今回の件は完全な事務作業だから俺一人で十分だ。その方が間違いなく何の問題もなく終わる」
「確かにそうだな」
イアンの台詞に、今度はヘルベルトも頷いてみせた。
「それに今回は王妃様も見学に来る。警備部との打ち合わせも必要だろうし、その方が確実だな。でも実にもったいない。もし俺がオリヴィアさんと二人で実行委員なんてことになったら……」
「お前の妄想など聞きたくもない。何かあってみろ。ウォーレス候の私的制裁権で、お前は間違いなく穴の向こうに送られる」
「そうか? 三侯爵家――」
「四侯爵家だ」
イアンの突っ込みに、ヘルベルトが頭を掻く。
「四侯爵家の当主の中では、ウォーリス侯が一番温厚な人物らしいじゃないか?」
「だから一番怖いに決まっているだろうが!」
「そういうものか?」
「そう言うものだ。ソフィア姉さんの世間からの評判を考えれば、そんな事はすぐに分かるだろう」
「そうだな。まあ、俺みたいな塵芥は王子様と違って、こっそり口づけをしても許されたりはしないな……」
「待て、やはりお前は勘違いをしている!」
「いや、絶対にしていない。それはそうと、新人戦にはどうやって参加するつもりだ? お前は不戦敗扱いになっているから、参加のしようがないだろう?」
「いざとなったらお前の病欠代理だ。逃げたとか、陰口を叩かれたままでいられるか?」
「おい、俺の学園生活での見せ場を奪うつもりか? お前と違って、俺は勉強が出来る訳ではないのだぞ。もし本気で言っているのなら赤毛に口づけしたのを――」
そう言いかけたヘルベルトの口を、イアンは慌てて押さえつけた。
「声が大きいぞ。他人に誤解を与えたらどうする」
「誤解ねぇ……」
イアンの手を振りほどいたヘルベルトが、大きく肩をすくめて見せた。
「でもな、お前の代理で赤毛嬢が出ているから、彼女の代わりにでもならない限り出場は難しいぞ」
「母上と使節団により多くの参加者を見てもらうとか、ともかく理由をつけて通す」
「なるほどね。流石はイアン王子様だ。大人たちが無下に出来ないような悪知恵がよく働く」
「最近はやたらと僻みっぽいな。それよりもヘルベルト、お前は赤毛の試合を見たか?」
イアンの問いかけにヘルベルトは首を横に振った。
「残念ながら、行方知らずになったどこかの王子のせいで見ていない。俺がどんだけ――」
ヘルベルトはさらに嫌みを続けようとしたが、イアンの真剣な表情を見て言葉を飲み込んだ。
「お前の見込み通りだ。南区に行った際に二人の立ち振る舞いを見たが、動きに隙が無い」
「ヘクターとエルヴィンか?」
「そうだ。二人とも間違いなく腕が立つ。それにアラン師の腕も相当なものだ」
「ああ、それにあれだけの巨乳の持ち主だとは知らなかったな」
「そんなことはどうでもいい。それよりも、どうして赤毛が彼に勝てたんだ?」
「なんでも下着姿になって戦ったという話じゃないか。友人のヘクター君と違って、エルヴィン君は純情そうだから、それにやられてよそ見をしていたんじゃないのか? それを見られなかっただなんて、人生最大の不幸の一つ……」
「ヘルベルト、お前は剣の試合で女性の下着姿に見とれて負けるか?」
イアンの問い掛けにヘルベルトの顔つきが変わった。
「まさかだ。俺の剣には俺の名誉だけじゃない。おれに剣を教えてくれた人、その人に剣を教えてくれた人、多くの人達の信念が掛かっている」
「その通りだよ。それに彼らは平民で相当に無理を重ねて学園に入っている。それが落ち目のカスティオール相手に、わざと負けたりするか?」
「とても収支が合わないな……」
「それだけじゃない。赤毛もだ。奇手は使っているが、あのエルヴィン君を相手にまともに試合に挑んでいる。それにお前も見ただろう? あの場面で自分から囮になって突っ走っていった。思慮が足りないとも言えるが、女子生徒の胆力じゃない」
「女は度胸。そこが赤毛嬢の魅力だな。それに動きも単なる素人には見えなかった。間違いなく何かの手ほどきぐらいは受けている。でも四侯爵家の長女だから、そのぐらいは出来ても別におかしくはないだろう?」
ヘルベルトの問いかけにイアンは首を横に振った。
「学園祭の時、赤毛が赤組全員に向かってなんて言ったか覚えているか?」
「嫌味男か?」
「そこじゃない。『私も逃げ出しました』だ。赤毛が隣の組のハッシー君と一緒に土下座した際に言った台詞だよ」
「そんな事を言っていたような気もするが、彼女らしくないな。ハッシーを庇っての発言じゃないのか?」
「お披露目の時の彼女のことはよく覚えている。彼女の言った通りだったよ。お披露目とは思えないまるで付き添い人みたいな地味なドレスを着て、壁際でずっと息を潜めていた」
「あのフレデリカ嬢がか?」
「間違いない。逆の意味でよく目立っていたよ。サイモンのお披露目の時にも、その時と同じドレスを着ていたから、すぐに彼女だと分かった」
「なんだ。いきなりダンスの誘いに行ったから変だとは思っていたんだが、前から見知っていたんじゃないか……」
「あの赤毛は目立つからな。それが妹のお披露目で、いきなり悪ガキを投げ飛ばしたんだからびっくりだ。ましてや手練のエルヴィン君と剣を交えるだなんて、想像すら出来ない」
「おいおい、どこかで別人に入れ代わったとでも言いたいのか?」
ヘルベルトの言葉にイアンは深く頷いた。
「ヘルベルト、赤毛の裏をとってくれ。彼女は何かから隠されていたのかもしれない。もしかするとカスティオールも落ち目になったのではなくて、落ち目になった振りをしているだけの気がする」
「イアン、冗談はそれぐらいにしとけよ」
ヘルベルトはニヤけた顔で答えた。だがイアンに目配せをして、そっと辺りの様子を伺う。だがイアンは弁当をカバンに入れる振りをすると、ヘルベルトの耳元に口を寄せた。
「今回の件も無かったことにするのが早すぎる。それに母上の態度も不自然だ。まるで何かが起きるのを前から知っていたとしか思えない」
「イアン!」
「ヘルベルト、お前の言いたいことはよく分かる。だが知らないことが安全かどうかなどは、知った後でないと判断がつかないものだ」
イアンはそう告げると、心配そうな顔をするヘルベルトに向かって首を横に振って見せた。
「イアン君!」
その声にイアンとヘルベルトは顔を見合わせる。だがすぐに平静を装うと、ゆっくりと背後を振り返った。そこでは事務方の男性が封書を手に立っている。
「君に連絡票が来ている」
「ありがとうございます」
イアンは渡された封書の裏を見ると小さくため息をついた。
「イアン、何の知らせだ?」
「噂をすればなんとやらだ。赤毛嬢からだよ」
イアンはヘルベルトに薔薇の紋章で封があれているのを見せた。イアンはそれを剥がすと、取り出した便せんに目を走らせる。
「放課後に打ち合わせがしたいそうだ」
「打ち合わせ?」
「どうやら名前だけの実行委員になるつもりはないらしい。何故かはよく分からないがやる気満々だよ。また別の何かと入れ替わったのかもしれないな」
そう言うと、イアンはヘルベルトに対して、今度は大きくため息をついて見せた。