始まり
侍従さんは離宮の大きな吹き抜けになっている玄関ホールに私達を案内した。
「しばしこちらでお待ちください」
そしてそう告げると、私に手を差し出した。彼の巻き毛が吹き抜ける風にそよぎ、まるで子供の手を握ったり開いたりしている様な複雑怪奇な動きをしている。
だから、こっちを見るなと言っているじゃないですか!?
だが侍従さんは、こちらに手を差し出したまま固まっている。もしかしてこれは、私がさっき少し笑いを漏らしたことに関するこの人の復讐だろうか?
「お姉さま、日傘を……」
アンが私に向かって小声で呟いた。慌てて周りを見ると、他の付添人の人達は建物に入る際に、閉じた日傘を侍従さんに渡している。でも後でちゃんと返ってくるのだろうか? それにこちらはまだ名乗っていませんけど。この日傘は、お母さまの遺品で大事なものだ。
「私の母から譲られたものなので、大事に扱ってくださいね」
「はい、フレデリカお嬢様」
侍従さんはそう言うと、私の手から白いレースの日傘を受け取った。
えっ!名乗ってもいないのに何で分かったんですか? そうか、馬車の家紋ですね。でもどうして私がフレデリカだと分かったんですか!?
私は撒き毛の侍従さんに対する認識を改めた。流石は王宮付きの侍従さんだ。貴族の家紋はもちろん、お披露目の参加者のみならず、付添人に誰が来るのかも全て頭に入れているということだろうか?
恐るべし王宮付き侍従職。もしかしたらこの人達を前にして何かやらかそうものなら、私がカスティオールのフレデリカという事は全てバレバレという事ですね。これは由々しき事態です。何をやっても全て、カミラお母さまやコリンズ夫人に筒抜けという事です。
襟を正して改めて周りを見回すと、この建物は二階が大きなホールになっていて、そこがお披露目の会場になっている。一階は玄関ホールも兼ねているが、向こう側にある中庭の方まで直接抜けられるようになっていた。
この一階の広い中庭迄抜けられる玄関ホールは、本来は狩から戻ってきた人達がその装備をおろしたり、狩った獲物を置いて自慢したりするような場所らしい。
壁際にはいつの物か分からないが、大きな角を持つ鹿の首やら、牙をむいた熊などのはく製が所狭しと飾ってある。本当に男の人達の趣味と言うのは良く分からない。多分こういうものでも、どっちが大きいとかで、とっても張り合うんだろうな。
今日の玄関ホールは、狩の獲物の自慢をする場所ではなく、大勢のお披露目の参加者の少年少女や、お付の人達でごった返していた。両側には侍従の人達が並んでおり、紺色の衣裳に身を包んだ女侍従さん達が盆を持って、参加者の間を燕のように巧みにすり抜けながら飲み物を配っている。
集まった人達は、それぞれに顔なじみを見つけては談笑していた。その笑顔の中にも相手を品定めする様な視線が見え隠れする。ある意味、この場所の本来の目的と同じ使われ方をしているとも言えた。
「卿は、御父上と狩に同行されて、鹿を仕留められたというのは本当ですかな?」
「いえいえ、私などはまだ父や叔父の足手まといに過ぎませんが、僥倖にも……」
「そちらの髪飾りはどちらでお求めになった物ですか?」
「こちらはドレスを頼んだロキュス商会の方が、私にぜひつけて頂きたいと持って来たもので……」
その着飾ったドレスや正装を見ているだけならいいのだが、その服の上にちょんと乗った顔や、その仕草を見ていると、まるで田舎の芝居小屋の楽屋でも覗いている気分になって来る。
前世では子供劇で子供が大人の役をするのを見ることがあったが、それと同じだ。だが子供劇では子供なりの風刺を込めてそれを演じていたが、ここでは大人のまねをそのまま、それも真顔でやっている。
『なんだかな』
思わず心の中で溜息をついた。この子達は大人の振りをしたまま大人になってしまうのだろうか? でも流石はカスティオールです。見事に誰も声を掛けて来たりはしません。
でも世界はどこかで必ず血が繋がっているんですから、挨拶ぐらいしてきてもバチは当たらないと思いますけどね。礼儀という物があるでしょう。仮にも一応は侯爵家で、東の守りを担当している(はず)ですからね。
それに見てください。私と違ってアンはとってもかわいい子ですよ。いや姉の贔屓目抜きでも明らかに飛び抜けています。こんな子と婚約なんて出来た日には、この世の幸運を独り占めみたいなものです。そこの少年達、そんなままごとみたいな狩の話なんてしている場合ですか?
いや、お前達にはアンはもったいない。そこで永遠にやってもいない狩の話でもしていろ。
「こちら、下げてください」
誰かが私に声を掛けた。何の話題でしょうか? 先ほどは心の中で色々と愚痴っておりましたが、基本的に屋敷に引きこもりなので、いきなり声を掛けられると何の話題なのかさっぱりです。
私は声のした方をふり返った。私よりはかなり年上の付添人らしい女性が、グラスを片手に立っていた。下げるって何の話だろう。手には飲み物が入っているグラスを持っている。私を見た彼女が小首を傾げる。彼女を見る私も小首を傾げる。彼女の視線が私の頭の先から足の先まで移動していった。
もしかして、この方は私を女侍従さんと間違えたんでしょうかね? いや、まさかですよ。これって二年前とは言え、お披露目に着ていった衣裳です。
「お嬢様。こちらは私の方でお預かりさせていただきます」
その言葉と共に私達の間に一本の手が差し出されて、彼女が持っていたグラスがその手の中にあった。
「フレデリカお嬢様も、何か飲み物はいかがでしょうか?」
そしてそれを差し出した腕の持ち主は、その辺りに居た女侍従さんの盆を素早く手に取ると、頭を下げて私の方へと差し出した。その下げた頭には端がくるくると巻かれた明るい金色の毛がある。
先ほど私にグラスを差し出した女性はそれを聞くと、付添人を務めているらしい少女達が談笑する横の、付添人達でのヒソヒソ話の輪の中へと慌てて戻って行った。
「ありがとうございます。でも今日は水物は控えようと思っていますので、お気持ちだけ頂きます」
侍従さんがすっと盆を背中に回して頭を上げた。
「ご入用の際にはなんなりとお声を掛けてください」
そう言って小さく頭を下げた。その口元の端で細く丸まった口ひげが、玄関ホールを吹き抜ける風に小さく揺れている。何て完璧な仕事ぶりなんだろう。
『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい』
私は彼に向かって、心の中で山ほど謝った。この人を見て笑った私は、なんていやらしい人間なんだろう。この場で自分の頬を張り倒したくなる。人にはそれぞれ好みがあって、個性があってしかるべきじゃないのか。それは他人がどうのこうの言う話じゃない。
さっきの子供達だってみんなそうだ。ほとんどは親や誰かの押し付けだと思うけど、もしかしたらそれは彼女、彼らが自分でそうしたいと思ってやったものかもしれない。彼らなりに今日を、このお披露目を必死に戦っているのだ。
それを笑った私は最低の人間だ。
『ありがとうございます』
それを気が付かせてくれたこの侍従さんに、私は心の中でお礼を言った。
「よろしければ、お名前をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「私の名前ですか?」
顔を上げた侍従さんが、少しばかり焦った顔をして私を見る。
「はい」
「カールと申します。本日は、フレデリカ・カスティオール様、アンジェリカ・カスティオール様のお世話をさせて頂く機会を頂きまして、光栄にございます」
彼が私に向かって深々と頭を下げた。
「フレデリカ・カスティオールです。妹のアンジェリカ共々、本日はよろしくお願い致します」
私も彼に向かって深く頭を下げた。そして頭を上げると、彼が、そして私の周りに居る付添人達や侍従さん達が驚いて私を見ている。
何を驚くことなどあるのだろうか?
彼は私より年長者であり、そして私にとても大事な事を、人間として間違っていた事を気付かせてくれた人だ。私はそれに対して感謝を捧げたい。それが出来ないようなら、私には人として何の価値もない。私は感謝の気持ちが伝わってくれることを祈って、彼に向かってほほ笑んだ。
『あなたが良き狩り手でありますように』
右手がいつの間にか自然に動いて、彼に向かって前世の冒険者の挨拶を示す手信号を送っていた。これは冒険者同士の感謝と祈りの言葉だ。
「本日はアンジェリカ様のお披露目、おめでとうございます。ごゆっくりとおくつろぎください」
侍従さんは再度一礼してそう私に告げると、背筋を伸ばして盆を片手に、見事な動きで人の間を抜けて行った。その腰のあたりに添えられた手が、『皆も良き狩り手でありますように』と動いたような気がしたが、きっとそれは私の気のせいだろう。私は私の方をあっけにとられて見ているアンに声を掛けた。
「アンジェリカさん。一生に一度の事です。それにあなた達の為に大勢の人達が準備を、努力を重ねてきたのです。よく見て、そしてよく楽しんでください」
「はい。フレデリカお姉さま」
アンが私に向かって頷いて見せた。これは私の言葉ではありません。二年前に私がお披露目に行く際にロゼッタさんが私に言ってくれた言葉です。二年前の私はその言葉の意味が、それがどれだけ大事な事なのかを全く理解していませんでした。
私はカミラお母さまにも感謝しなければならない。もしかしたら彼女は出来の悪い私の事を、本当に疎ましく思っているのかもしれない。だけどカミラお母さまが私を付添人にしようとしなかったら、私はとても大事な事を、その意味を分からないまま、この先を生きて行ったと思う。血が繋がっていなくても、これはやはり母の愛なのだ。
「何で姉が、長女が付添人をやっているのよ。それに何? あの侍従そっくりの服は?」
「カスティオールという事は、あのカミラのところの娘ね。だからよ」
「あの人もうまくやったわよね」
私の耳に離れた所の会話が響いてきた。前世でもそうだったが、私の耳はとってもいい耳らしく、こういうひそひそ話がとてもよく聞こえてくる。正直、全く持っていらない耳だ。だけどこの場では耳を塞ぐわけにはいかない。それにもう俯いたり、逃げ出したりはしない。
「でも、カスティオールでしょう?」
「カスティオールでも、頭を下げる方から下げられる方に回ったんでしょう」
「でもね」
「そうよね」
雀達よ、いいからさっさと黙れ。それよりも付添人として子供達を見ていなくていいんですか?
この手の人達はどこかの貴族の分家や、それほど位が高くない家の三女や、四女という人達が多い。貴族としての躾がされていてかつ、親が商家等に嫁がせるのは自尊心が許さないという家の人達だ。ある意味では世の貴族たちの動向にもっとも詳しい人達でもある。
「でもあの子、カミラの娘だけあって、顔はかわいい顔をしているわね」
「でもきっと腹の中はあの人と同じよ」
ちょっと待て、話をしたこともない娘に対して何を言っているんですかね? 今すぐにでも文句を言いたいところですが、今日は我慢です。
「それにあのカミラの事だから、本当にカスティオールの娘かどうかも怪しいところよね」
「やっぱり、そう思った?」
ちょっと待て、そこの雀達。何を勝手な事を言っている。いくら何でも言いすぎです。こんな会話をアンが聞いたらどうするんですか? お前達、血を見る覚悟はできているんだろうな? 今世ではまだ切った貼ったはやってはいないが、前世では小刀片手にいろんな奴とやりあっていたんだぞ!
「待って、王子様がいらっしゃったわよ!」
雀の一人が少し声を高めて、二階の階段の先を小さく指さした。会場全体もざわついている。そして皆が二階の方を見あげていた。そこには裏地が赤の白いマントをなびかせて、白い礼服に身を包んだ男性達がお付の者達を従えて歩いている。ここに入る前に見た、二階のテラスに居た人達だ。
その先頭には、やはりまだ12歳と思われる栗色の髪の少年が居た。その後ろに兄弟と思われる年長の男性達が歩いている。先頭を行く少年はその一人、私と同じ年か少し上ぐらいの兄弟らしき人に向かって、盛んに話しかけていた。後ろを行く人はその一言、一言に相槌らしいものをうちながら、時折、その背後に続くさらに年長の兄弟らしい人に両手をあげて見せたりしている。
王子様達御一行は、一階から続く二階の吹き抜けをあっという間に通り過ぎて、会場の大広間へと去って行った。ここに居る者達は名前を呼ばれるのを待っているが、彼らはそれを待ったりはしない。
「サイモン王子様もずいぶんと大きくなられたわね」
「そうね。最後に謁見できたのは、誕生祝いの時ですもの。その時はこちらも未だうら若き乙女だったのにね」
そうだ。今日は現国王、エドモンド二世陛下の七男、サイモン様もお披露目だった。決して失礼が無いようにと、カミラお母さまから何度も念押しされた。確か私の時も誰か王家の方と一緒だったと思うけど、何も覚えていない。年齢的には、六男のイアン王子様のはずだ。
「後ろに居たのは、第六王子のイアン様と、第四王子のキース様よね」
「うん、間違いない。お二人がサイモン様の付添人という事?」
「そうみたいね。お二人ともまだ婚約者を決めていないのでしょう? だからかな。でもどうしてまだなの?」
「何でも、お母さまのセシリー王妃様が王子様の自主性に任せるとかで……」
「やっぱり違うんだ。セシリー王妃様は……」
「声が大きいよ。でも実際は決まっているんでしょう。だって侯爵家の令嬢で丁度年が近い……」
付添人達はさらに声を潜めてなにやら話を続けているらしいが、周囲のざわめきもあって、それ以上は私の耳には入ってこなかった。それにそんな話はどうでもいい。王子様達が大広間に入って行ったという事は……。
「紳士淑女の皆様方、大変お待たせいたしました。これより大広間への入場になります」
ここの侍従長らしい、黒い侍従服に身を包んだ初老の男性が声を張り上げた。
私はアンの方を見た。アンも私の方を見る。
始まるよ、アン。貴方のお披露目が。