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仕返し

 目を覚ましたマリアンの視界に白い何かが見えた。貴族の家にあるみたいな、天蓋つきのベッドの天井だ。白く薄い布がどこかから入ってくる風に微かに揺れている。


 その薄布の向こうにはたくさんのランプが灯るシャンデリアがあった。それが部屋を黄色く、そして明るく染めている。手足も拘束されてはおらず、辺りに人の気配はない。予想外の状況に当惑しながらも、マリアンは慎重に辺りを伺った。


 そこは寝室と居室を兼ねた少し広めの部屋で、レースのカーテンがついた大きな窓もある。部屋の中に置かれた家具類は白を基調に、艶消しの金色の文様で彩られていた。まさにどこかの大貴族のお嬢様の私室とでも言うべき部屋だ。


 その部屋の真ん中に置かれたテーブルの上に、着ていた侍従服が丁寧に折り畳まれて置いてある。それを見たマリアンは自分が肌着姿なのに気が付いた。だが体に特に異変は感じられない。気を失っている間に何かされた訳ではないらしい。


 ただし地下水路の出口で執事姿の男とやりあったときの、打ち身や擦り傷は体に残っていた。自分がアルマに捕まったことは確かだ。


 マリアンはベッドから抜け出すと、テーブルに置かれた侍従服にそっと触れた。襟元や袖元に慎重に指を這わせる。特に針などは仕込まれていない。マリアンは侍従服に袖を通すと、テーブルの下にあった自分の靴を履いて、カーテンが半開きになった窓へと近づいた。


 窓の外には漆黒の闇だけが広がっている。少なくとも王都の中心部、建物が密集した辺りではないらしい。それでもここから外に出れれば、隠密の力を使ってそのまま逃げ出せるかもしれない。


 窓に鍵がかかっているか、確かめようとした時だった。マリアンの手が不意に何かに掴まれる。体を反転させてそれを振りほどこうとしたが、今度は足を掴まれた。


 見ると、床から生えてきた真っ黒な手が、マリアンの手首と足首を捕まえている。同時にあのナメクジが這い回る様な、言葉に出来ないおぞましさが全身を駆け巡った。


『神もどき!』


 マリアンは思わず床に倒れこんだ。そしてそのまま床の上を転がった。手と足を何かに掴まれている感触は消えている。マリアンはゆっくりと立ち上がると、侍従服についた僅かなほこりを手で払った。


「縛りつけはしないけど、ここからは出さないという事ね」


 マリアンは床に向かってそう告げると、窓以外に出口はないかと辺りを見回した。もちろん出口はある。この部屋の扉だ。


 トン、トン


 その扉からノックの音が響いた。


「お目覚めでしょうか?」


 落ち着いた男性の声が聞こえてくる。マリアンはその声に聞き覚えがあった。あの執事姿の男の声だ。


「ええ」


 マリアンの答えに、僅かな軋み音をたてて扉が開く。扉の向こうには真っ赤なドレスを着た妙齢の女性が、背の高い執事を連れて立っていた。


「じゃまするよ」


 女性はそう一言告げると、部屋の中へと入ってくる。そしてマリアンに向かって、真ん中にあるテーブルの方を指差した。


 ここで逆らっても意味はない。マリアンはその女、アルマに無言で頷いて見せると、テーブルへと向かった。先回りした執事がマリアンの為に椅子を引く。


 続いて執事が引いた椅子にアルマも腰を落とした。二人は丸い小さなテーブルを間に挟んで、手を伸ばせばすぐに届く距離で向かい合っている。


「よく休めたかい? まあ私と違って、若いからすぐに回復するだろうけどね」


 だが何も答えないマリアンを見て、アルマは小さく肩をすくめて見せた。そして胸元から白いハンカチを取り出すと、執事が差し出した液体にそれを浸してマリアンの頬にそれを当てた。強い酒の匂いと共に、マリアンの頬に小さな痛みが走る。


「擦り傷ぐらいといって油断してはいけないね。顔は女の命だよ」


 アルマはそう告げると再び席に着いた。そして小さくため息を漏らしてみせる。


「なんだい。随分とおとなしいじゃないか? 私を後悔させるんじゃなかったのかい?」


「ええ、必ず後悔させてやるわ」


「ロイスのことなら心配ないよ。あれはもう祓っておいた。今頃は起き上がれるようになっているだろう」


「どういうこと?」


 マリアンは思わず聞き返した。


「もともとロイスに恨みがあるわけじゃない。でもそうでもしないと、あんたは私の招待には応じてくれそうになかったからね。目的は果たしたわけだから、もうロイスの命を取る必要はないさ」


 そう言うと、アルマはマリアンに向かって大げさに両腕を上げて見せた。


「何をもったいぶっているの?」


「もったいぶる?」


 マリアンの言葉に、アルマが怪訝そうな顔をしてみせた。


「母さんの代わりに私を好き勝手にしたいのなら、さっさとすればいいでしょう」


「おやおや、ミランダの娘は母親と違って随分とへそが曲がっているね。一体誰に似たんだい? あの根暗な()()男かい?」


「誰が!」


「あんたも私同様に、父親の事が大っ嫌いなんだね。やっぱりだ。あのクズ男をやったのはあんただろう?」


 そう告げたアルマの口から小さく含み笑いが漏れた。


「モーガンをやったのも、あのクズ男をやったのも間違いなくあんただ。ロイスは何も変わっちゃいない。ミランダが生きていた頃の一途な男に戻っただけだね」


「だったら何?」


「言っただろう。私とあんたは似た者同士なのさ」


 無言のマリアンに、アルマが再び肩をすくめて見せた。


「私も父親をこの手で殺してやったよ。あんたよりもっと小さい時にだ。もっとも母親が父だと言っていただけで、()()()()()()()()()。その男は母が不在だった時に、まだ初潮も来ていない私を襲おうとした。だから包丁で刺し殺してやったのさ」


 そう言うと、アルマはマリアンに向かって、にんまりと笑って見せた。


「子供の力だ。一撃で致命傷になんてならない。しかも動き回るもんだから、何度も何度も刺してやったよ。奴は自分の流す血の上で転げ回って苦しんだ。今でも思い出す度に濡れそうになる」


 アルマはその青く冷たい目でマリアンをじっと見つめる。


「あんたもそうだろう? 自分の父親を殺した時に、後悔なんて全くしていない。むしろ私と同じで、喜びに震えたんじゃないのかい?」


「一緒にしないでくれる?」


「どうだろうね。でもあんたはそれで何を得たんだい? あの赤毛のお嬢さんの側にいられることかい? あのお嬢さんの側にいるためにあんたは自分の父親を殺し、川筋の顔役を全部メナド川の魚の餌にした」


 アルマが再び小さく含み笑いを漏らす。


「その代償にあんたは私達やくざ者の世界に、どっぷりと足を踏み入れた。そこまでしてあんたは一体何を得られたんだい?」


「あなたには絶対に理解できないものよ」


「そうかい? 私はこの世の誰よりも、あんたの事を分かっていると思うけどね。私も色々とあってね。自分が何なのかも良く分からなくなっていた頃があったのさ」


 そう告げると、アルマは執事が手にした盆から真っ赤な液体が注がれたグラスを手にした。


「そこでミランダに会った。心の底から惚れたよ。ミランダが微笑んでさえくれれば、他には何もいらなかった。ミランダの為ならどんなに汚いことでも全部引き受けた。この体で男を受け入れることも、そいつのグラスに毒を入れることも全部だ」


 そこでアルマはグラスの中身を一気にあおると、空になったグラスをマリアンの方へと差しむけた。


「でもあんたを身ごもった瞬間、ミランダは私達全てを、いや自分すらも放り出してしまったのさ。残された私はこのグラスと同じ。空っぽだ。そこからはただの惰性にすぎない。やってきたことの繰り返しだけ」


 アルマの空になったグラスに、執事が赤い液体を注いでいく。


「同じなんだよ。あんたはあの赤毛のお嬢さんの、大事なお友達でいることは出来るかもしれない。だけどそれ以上にはなれないんだ」


 そう言うと、今度は赤い液体が注がれたグラスをマリアンの前に差し出した。


「あのお嬢さんだって、そのうちどこかの男に抱かれて子供を作る。あのお嬢さんに何かが注ぎ込まれるたびに、あんたがいた場所は他の何かによって埋められていく。最後にはあんたの居場所はきっとこんなぐらいしかなくなるんだよ」


 そう言うと、アルマはグラスの中に出来た、小さな泡を指さして見せた。


「退屈な昔話はこれでお終い?」


 マリアンの台詞にアルマは首を横に振って見せた。


「いや、これからが本番だよ。ミランダの娘が私とミランダと会った年になったら、ミランダから預かったものをそっくりそのまま返す。そしてそれを背負ってもらう。そう決めていたのさ」


「勝手なことを言わないで!」


「あんたに否はないよ。これは私のミランダへの復讐さ。だからあんたが断ったら、あの赤毛のお嬢さんとロイスに、私のかわいい子供達と遊んでもらう」


「本気で言っているの?」


「本気も本気さ。あんたがその扉を出た瞬間から、王都の顔役の一人、鮮血のアルマの後継者その人だ。そしてそれが、あんたの大事な赤毛のお嬢さんのところへたどり着く唯一の方法でもある」


 そう告げるとアルマは部屋の扉を指さした。執事がその前で扉を開く準備をしている。マリアンは無言で立ち上がると扉へと向かった。


 バタン!


 背後で扉の閉まる音がした。次の瞬間、闇の中にいくつかの明りが灯る。そこは吹き抜けのホールになっており、廊下の先には下へと続く広い階段があった。その先に黒い何かが並んでいる。それは大勢の男たちがマリアンに向かって頭を下げて、微動だにせず跪く姿だ。


 マリアンは振り返ると、自分が出た部屋の扉を開けた。だがそこにはアルマの姿も、あの侍従の姿もどこにもない。空になったグラスが置かれたテーブルと、半開きになったテラスへと続く窓が見える。そこから吹き込む風が天蓋の布を小さく揺らしているだけだ。


「お嬢様」


 背後から声が聞こえた。屈強な体つきをした男がマリアンに向かって、深々と頭を下げている。


「表に学園までの馬車を用意してございます。また学園内への戻りについても、手配は済んでおります」


「随分と準備がいいのね」


「はい。我々はお嬢様の手足でございます」


 マリアンは小さくため息をつくと、跪く男たちの真ん中を通って屋敷の外に出る扉へと向かう。その姿を、正面に置かれた赤いドレスの女の肖像画がじっと見つめていた。肖像画の背後でマリアンの姿を見届けたアルマが、隣に立つ執事姿の男へ声をかける。


「なんだい、リコ。随分とうれしそうじゃないか?」


「はい。いえ、特にそのようなことは――」


 パン!


 執事の頬から乾いた音が響いた。切れた口元から血も滴り落ちてくる。


「他の男がいなくなってうれしいんだろう? 本当に分かりやすいやつだね」


「ですが、本当に好き勝手にさせてよろしいのですか?」


 落ちたメガネを拾いつつ、リコはアルマに問いかけた。


「そんな事より、怖いおじさんをどうにかする方が先だろう。相手が悪すぎる。うちのドラ息子たちだって、あの通りだからね。それに――」


 そこで言葉を切ると、アルマは下で血よりも赤く見える唇を舐めて見せる。


「権力という奴は何よりも強力な媚薬だ。壊すより、自分から壊れていくのを見る方が、はるかに面白いじゃないか。」


「はい。ですがあの小娘如きでは、一体どれだけもつことか――」


「簡単に壊れてはつまらないね。でもあの子は間違いなく私に似ている。だから十分にもがき苦しんでくれるさ。それに色々と磨きをかけてもらわないと、こちらの都合通りにはいかない。じっくりと眺めさせてもらうさ」


「今は遠くに身を隠して、静かにしているべきかと思いますが?」


「そんな婆さんみたいな暮らしは嫌だよ。せっかくの楽しみだ。近くで眺めさせてもらう」


 アルマがまるで小さな子供みたいにいやいやをして見せる。リコが諦めたようにため息をついた。


「仕方がありません。それでしたら、うってつけの者たちがおります」


「そうしておくれ。私の大事な器だ。そして今度は私が今までの分を含めて、奴らの鼻を明かしてやるんだよ!」


「はい、お嬢様」


「それにあの体は楽しみだ。また十分に楽しめる」


 アルマは執事の口元に流れた血の筋を舐めると、血よりも赤く見える唇をそこに重ねた。


 * * *


 メラミ―は運河の護岸に座って、その向こうに並ぶ南区の建物をぼんやりと眺めていた。そこには王都がある北側とは違い、子供の粘土細工みたいに、不揃いで雑多な建物が並んでいる。その全てがくたびれ、朽ちかけている。


『まるで私みたいじゃないか……』


 心の中でそうつぶやきながら、メラミ―は運河を渡る長い橋へ視線を向けた。そこは王都守護隊によって閉鎖されており、王家の百合の紋章の入った立派な馬車が、橋を渡っていくのが見える。


 そこで何かがあったのは間違いない。メラミ―はそれを引き起こした人物についても、心当たりがあった。しかもその人物が学園を出るのに手を貸してしまっている。


 ともかくここから離れないといけない。そう思って立ち上がった時だった。背後から誰かがこちらへ歩いてくる気配する。メラミ―は恐る恐る背後を振り替えた。


「探しましたよ。こんなところにいたのですか?」


 女にしてくれと頼みにいったエラディオが、にこやかな笑みをたたえつつ立っている。


「まさか、忘れたとはいいませんよね?」


 メラミ―の問いかけに、エラディオが首をひねって見せる。それを見たメラミ―は目の前の人物が決して、エラディオではないことを確信した。自分があの男を頼る気になった理由、自分と同じ世間から背を向けて生きる孤独感が、人間としての感情がどこにも感じられない。


「誰なの?」


「思ったよりよりするどい。女の直感というやつですかね?」


 そうつぶやきつつ、得体のしれない何かが、メラミ―の方へ歩み寄ってくる。


「来ないで!」


 そう叫んでみたものの、背後にあるのは冷たい水をたたえた大運河だ。逃げ場はどこにもない。


「わ、私をし、始末しに来たの!」


「違います。この世界で私がもっとも敬愛する方の、仮の器になっていただくのです」

とっても長くなってしまいましたが、第5章「混迷」はこれにて終了になります。今後もどうかよろしくお願い致します。

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