袋小路
「神もどき? さっき燃やしたんじゃないのかい?」
ドミニクさんが私の方へ詰め寄ってきた。その顔は当惑している様にも、怒っている様にも見える。
「さっきのは赤ちゃんみたいなもんです。これが本物の神もどきなんです!」
でもこれは私が知っている神もどきと、同じものなのだろうか? 前世で私が関わったやつは、ねじくれた巨木の様な本体があり、そこから根が這うように、目に見えぬ触手を伸ばしていた。だけどこれは、どこにも本体らしきものが見えない。
「見えないのに、建物をぶっ壊せるのかい!?」
ドミニクさんの言う通りだ。他の人の目には見えないのに、建物をぶっ壊してくれてもいる。前世では建物をぶっ壊したのは本体の方で、触手で人を支配したはず。でもあの触れた時のおぞましさは神もどきそのものだ。
「どこかに木みたいな本体がいるはずです。そいつを見つけて燃やさないといけません!」
本体さえ見つければ燃やしてやれる。それにセシリー王妃や、エミリアさんが召喚する術も効くかもしれない。いや、だめだ。そんな人たちが取り込まれでもしたら、もっと大変なことになってしまう。
「それよりも皆さん早く逃げてください! こいつに取り込まれたら、完全に支配されるんです。今度はその人たちが、私たちを襲ってきます」
「分かった。ミスリル、ミカエラやみんなを頼むよ」
「ドミニクさんはどうするんですか?」
「はあ? 人の家をぶっ壊してくれた親玉がいるんだよ。そいつに挨拶しなくて、どうするんだい?」
「ダメです。ドミニクさんが取り込まれたりしたら、私たちでは敵いません。それだけ恐ろしいやつなんです」
「でも物理的な力を発揮できると言うことは、私たちでも対抗できるかもしれませんね」
セシリー王妃が私たちの会話に割り込んだ。
「ダメったら、ダメです!」
こいつに対しては、力がある人たちほど、危険な存在になるんですよ!
「分かりました。それでも皆を非難させるだけの時間稼ぎはしないといけませんね。今度は私が囮になります。イアンさん、あなたもこの国の王家の人間です。私と一緒に囮役をやってもらいます」
「奥様、囮なら私が!」
「エミリア、あなたはもう空よ。他のお嬢さんと一緒に避難しなさい」
「でも贄にならなれます!」
「馬鹿な事を言わないで。それよりも緊急の使い魔をマイルズに送りなさい。そしてこの周囲の住民の避難と、閉鎖の指示をお願いします。それが今は最優先です」
そう言うと、今度はヘルベルトさんの方を振り返った。
「ヘルベルトさん。あなたも若くはありますが、この国の貴族の一員であり魔法職です。その責務を果たしてもらいます」
「王妃様、もちろんです。これでも私はイアンの護衛役です」
ヘルベルトさんは手に拳を作ると、それを胸へと当てて見せた。そうだ。この人たちは前世での記憶を持つ私と違って、本当はまだ大人とは言えない年齢だ。それでもこの事態に立ち向かおうとしている。
「では穢れなき水霊の守り手で、瓦礫を防いで非難の支援をお願いします。私はあれを反対方向にひきつけます」
「そうだヘルベルト。俺を守れ」
「はあ?」
イアン王子の言葉に、ヘルベルトさんが当惑の声をあげた。
「母上、囮役は足の速い方がいいと思います。少なくとも私の方が母上よりは足が速いです。それにマイルズへ指示をだすのは、母上にお任せすべきだと思いますが、いかがでしょうか?」
「分かりました。イアン、囮はあなたに任せます。エミリア、全ての紛れの解除を。そして王宮魔法庁へも応援を頼みます」
「はい、奥様!」
「こちらで術が必要な時には合図を送る。頼んだぞ」
「任せとけ。後先なしの全力でいく」
イアン王子の言葉に、ヘルベルトさんも頷いた。でも皆さん、囮役をなめていませんか?
「ちょっと待ってください!」
「赤毛、ここからは俺たちがやる」
「違います。見えていないのに、どうやって囮をやるんですか?」
どっちに行けばいいのかも分からないで、囮役なんて出来ませんよ。それに相手の好みもあるじゃないですか? 少なくとも、その点では私は十分に実績があります!
それに他にもあれが見える人がいたのは、不幸中の幸いでした。心置きなく囮役に専念できます。
「イサベルさん、王妃様に避難の助言をお願いします! オリヴィアさんは、ヘルベルトさんに術の指示をしてあげてください!」
「フレアさん!」「フレデリカさん!」
二人があっけにとられた顔で私を見ている。
「もう一度、囮になります。いや、本体を見つけて燃やしてやります!」
そうだ。こいつが見えるのは私たちだけだ。そしてこいつを知っているのは私だけ。ならば囮は私以外はあり得ない。
それが冬に凍えることなく、手を汚すことなく暮らしてこれた、私の使命なのだとも思う。私は誰かに止められる前に、神もどきに向かって走り出した。
「赤毛!」
走り出した私の背後から声が聞こえた。だが止まるつもりなどない。それに止まったら、目の前にいる触手の餌食になるだけだ。
「ヘルベルトさん、右手2時の方向、緑の屋根の手前です!」
オリヴィアさんの、いつもとは違う大きな声が響いた。オリヴィアさんの指示なら間違いない。それに相手はヘルベルトさんだ。オリヴィアさんの言う事なら絶対に聞く。
「左奥の建物の間を抜けて、避難をお願いします。触手からの死角です!」
イサベルさんの声も聞こえた。いつも冷静沈着なイサベルさんだ。粗忽者の私と違って、避難の判断を間違えたりはしないだろう。
その時だった。瓦礫を避けて走っている私の肩を、誰かがポンと叩いた。見ると私のすぐ後ろを、ドミニクさんが足音も立てずに走っている。
『どういうこと!?』
「剣士というのは、バカなお嬢様の盾役なんだよ。おとぎ話ではそう決まっているだろう?」
「それは王子の方が、より一般的ではありませんか?」
気が付けば、イアン王子も私の横を走っている。
「はあ? あんた、本当に王子様かい?」
「アラン先生、初めまして、第六王子のイアンです」
「ドミニクって、名前で呼んでもらえないかね。アランなんて呼ばれると、婆さんにでもなった気分になるよ」
そう言いながらも、ドミニクさんはこちらに飛んできた瓦礫を、抜き身の剣で素早く叩き落とす。そして走りながら、瓦礫が飛んできた方を見つめた。
「どうなっているんだい?」
「正面の建物を覆うように触手が伸びています。おそらく本体はその裏手にいると思います」
私は崩れた建物の左右に伸びる、人の体ほどの太さの触手を見ながら二人に告げた。眺めている間にも建物がもう一つ押しつぶされ、瓦礫と埃が舞い上がる。
だがそれらは何かの膜にぶつかって、先へは飛んでいかなかった。どうやらヘルベルトさんの召喚した術が、それを跳ね返したみたいだ。あれ? ヘルベルトさんって、学園の生徒なのに魔法職なんですか!?
「埃でこちらからは何も見えないね。後ろに行くには水路沿いに、遠回りして背後へ回るしかない。王子様、つなぎは?」
「大丈夫です。ヘルベルトとならいつでも繋げられます」
「本体を見つけたら、あのエロガキに連絡して、王宮魔法庁でもなんでもいいから、そいつらに潰してもらうとしよう」
ほら、ガン見していたのがバレバレですよ!
「こっちだ!」
ドミニクさんが、右手の建物の背後にある、水路の方へと走り出した。私もその背中を追う。
「赤毛、何か見えたらすぐに教えろ。ヘルベルトに連絡して、術を召喚させる。あと一回、頑張れば二回はいけるはずだ!」
「分かりました!」
私たちはドミニクさんの先導で、右手にあった船着場らしいところから、水路脇の通路へと入った。
建物の影になっていて分からなかったが、思ったより広い水路だ。岸には小舟がいくつも係留されており、それが神もどきの蠢く振動に、互いに舳先をぶつけ合って、ギシギシという不気味な音を立てている。
反対側の岸には、崩れかけた建物が並んでいて、地平線へ傾いた日差しは一切入ってこない。その為、辺りはかなり薄暗かった。
「暗いから足元に気を付けな。ここを抜ければ、裏手へ出られる!」
「はい!」
そう答えたものの、今日一日の疲れもあるのか、自分の体が鉛のように感じられる。だけどここで止まるわけにはいかない。顔を上げて大きく息を吸った。見上げれば空はすでに真っ暗だ。
『えっ、真っ暗!?』
どういうことだろう。そんな時間にはなっていない。まだ夕方ぐらいの時間のはずだ。
「待ってください!」
私は二人に声をかけると、足を止めた。出来る事なら、そのまま息も止めたいぐらいだが、荒い息が口から出てしまう。
「やつかい?」
ドミニクさんも立ち止まると、私の方を振り返った。その手には細身の剣が握られている。イアン王子も手にナイフを握りつつ、背後をうかがっている。私はその背中の向こうに視線を向けた。
私たちは西から東に向かっていたはずだ。だけどイアン王子の背中の先にある空にも、暗闇が広がっている。でも逃げるとしたら、そちらしかない。
「囲まれました。戻らないと――」
ドカン!
私がそう告げた時だった。背後に係留されていた小舟が、反対側の岸の先まで弾け飛んだ。そして今度はドミニクさんの先、前方にある小舟たちも空へと舞い上がった。
ザザザザ――!
頭の上からは、先ほどの豪雨みたいに水が落ちてくる。その流れ落ちる水の向こうで、無数の触手が影絵みたいに蠢いているのが見えた。それは水路の周りにある建物を、そして見える限りの空を覆い尽くそうとする。
「赤毛、何が見えている?」
イアン王子が私に問いかけた。だが何を答えればいいのだろう。
「分かった」
無言の私に彼が頷く。
「ドミニクさん」
そしてドミニクさんにも、小さく声をかけた。
「そうだね。それしかないね」
ドミニクさんも彼に頷き返す。次の瞬間だった。イアン王子は私に抱きつくと、そのまま二人で水路へと飛び込んだ。