正体
「一体何をしてくれているんだい?」
ドミニクさんはそう声を上げると、腰につけていた細身の剣に手を掛けた。そして私の方へと歩んでくる。その動きには一部の隙もない。もし彼女がその剣を一度抜けば、私など一瞬で急所を貫かれてしまうだろう。
「ドミニクさん!」
彼女のただならぬ気配に気が付いたのか、ドロレスさんも声を上げた。だがドミニクさんはその声を無視して細身の剣を抜き払うと、それを私に、続いて寝台の上で痙攣するミカエラさんに向けた。
「それで、何が憑りついているんだって?」
「神もどきです!」
「あんたには見えるんだね?」
「はい。信じてもらえたんですね!」
「ああ、どんな医者にみせてもだめだった。ヤブ医者の台詞なんかより、あんたの言う何かに憑りつかれているという言葉の方が、余程に信じられるよ」
「奥様!」
「どうやらそちらの魔法職のお嬢さんも、気が付いたみたいだね」
そう告げたドロレスさんが、エミリアさんの方へちらりと視線を向けた。そこには銀色に輝く杖を掲げつつ、真剣な表情で、寝台の方をにらみつけているエミリアさんの姿がある。
「私には見えないけど、なんかとてつもなくやばい奴がいるのくらいは分かるよ」
「その様ですね。エミリア、あなたには見える?」
ドロレスさんが真剣な表情で、エミリアさんに問いかけた。
「見えません。ですが、すぐにここを離れてください!」
気のせいだろうか、あの表情を変えないエミリアさんの掲げる杖が、微かに震えている様に見える。
「エミリア、反魂封印の準備をしなさい」
「ですが、分かるのは気配だけです。それに贄もいません!」
「いざという時は私がなります」
「奥様、あり得ません!」
「ここでは年上だし、丁度良くはないかしら?」
「うすうす感づいてはいたけどさ、あんたは私の一番きらいな種類の人間だね」
ドミニクさんがドロレスさんに声を掛けた。
「何か気に障るようなことでも、致しましたでしょうか?」
「ああ、気に障る。あんたは私の一番嫌いな、偽善者という奴だ」
「そうですね。でもそれだけじゃないんですよ。少しは母性愛もはいっていますかね」
ドロレスさんはそう答えると、口元に笑みを浮かべて見せた。
「ふざけたことを言うんじゃないよ。ここは私の家だ。家に化け物がいたら追い払う。当たり前の事だろう?」
「赤毛、あんたには奴が見えるんだね?」
「はい」
「本体らしい奴はどこにる?」
「ミカエラさんの顔の上、半身の高さにいます!」
「了解!」
そう答えが返った瞬間だった。
「はっ!」
ドミニクさんが気合を入れる声が響き、私の横を一陣の風が吹き抜ける。それはドミニクさんが寝台の上、半身の高さに向けて放った斬撃だった。
「なんだいこいつは!」
だが剣を振り終えたドミニクさんの口から、戸惑いの声が漏れた。ドミニクさんの体は、ミカエラさんの寝台の横で、何かに押さえつけられたみたいに、止まってしまっている。
『まずい!』
見れば、その腕や脚に無数の触手が絡みついている。だが私が駆けだそうとするより早く、ドロレスがドミニクさんの体に向かって突進すると、その体を寝台の横から弾き飛ばした。そしてそのまま二人で床へと転がる。
その少しおっとりした口調の、いかにも奥様という態度からは、想像も出来ない機敏さだ。
「こ、これは――」
だが、床から顔を上げたドロレスさんの口からも、うめき声が上がった。触手が今度はドロレスさんの足に絡みついている。
「奥様!」
背後にいるエミリアさんが悲鳴に近い声を上げた。私は薪を手に二人の足元に向かうと、絡みつこうとする触手たちに向かって、それを振り回した。
「エミリア、大丈夫よ。マリさんが払ってくれたわ」
立ち上がったドロレスさんがエミリアさんに答えた。
「これでも剣には、ちょっとばかり自信があったんだけど、どうやらこいつには効かないみたいだね」
そう告げたドロレスさんの息も荒い。
「火です。こいつの弱点は火なんです」
「エミリア、火を!」
ドロレスさんの呼びかけに、エミリアさんが暖炉へと走ると、そこから薪をとりだした。そしてそれをドロレスさんに、そしてドミニクさんへと投げる。ドミニクさんはもちろん、ドロレスさんも、奥様とは思えない素早い動きでそれを受け取った。
そして二人はまるで互いに合図でもしたかのように、薪を手にミカエラさんへと向かう。そして薪を振り上げたところで、何かに気が付いたらしく、二人で同時に背後へと飛びのいた。
「あんた、本当にただの奥様かい?」
「はい。そうですが?」
「随分といい感をしているじゃないか?」
「ドミニクさんも流石ですね」
そう言うと、二人は私の方を振り返った。
「マリさん、どうやら見えている、あなた以外からの火は効かないみたいですね」
「えっ、そうなんですか!?」
前世では誰が火を着けても、同じだったと思ったんですけどね!
「だけどどうするんだい。ミカエラごと燃やす訳にはいかないよ」
「暁の大鵬を召喚します!」
そう告げたエミリアさんに対して、ドロレスさんが片手をあげて制した。
「駄目よ。今のを見たでしょう。私達の力は効きそうにないわ。それに彼女を吹き飛ばしても、この得体がしれないものが消える保証はありません」
ドロレスさんの言葉に、ドミニクさんも頷いて見せた。
「その通りだね。マリ、あんたはこいつについて何を知っているんだい?」
「見えない触手を伸ばして、人を支配します。ある場所では一つの島全体が、そいつによって支配されていました」
「でもミカエラは――」
「はい。どうもこいつはそれとは違うみたいです。支配するのではなく、取り憑いてその生命力を吸い上げている様に見えます」
そうだ。支配はしていない。だけど間違いなくミカエラさんの生命力を吸い取って、己の糧にしている。それに何かが違う。払おうとするときも、取り憑くというよりは、小さな子供みたいにじゃれついてくる感じがする。
「もしかしたら、こいつはまだ子供、いや赤ちゃんなのかもしれません!」
「赤ちゃん?」
「はい。なのでまだ支配するのではなく、生命力を奪うだけなんです」
「教えてくれて感謝するよ。ならば、ここで始末をつけないといけないね」
え、ドミニクさんは何を言っている……!?
「悪いねミカエラ、せめて苦しまないように――」
「駄目です!」
私は薪を手にドミニクさんの前へ立ちはだかった。たとえそれしかなかったとしても、それは最後の手段だ。それに私の中の何かが、それは間違いだとも叫んでいる。
「どきな、これは私のミカエラへのせめてもの手向けだ」
「ちがうんです! それではダメなんです!」
「どういうことだい?」
「ミカエラさんが死んでも、自分が成長するまで、次の誰かに憑りつくだけです」
根拠はない。それを見たわけでもない。でもなぜか私の中の何かがそうだと告げていた。
「打つ手はないということかい!」
「いえ、あります!」
「あなたが火で焼けば――」
「違います!」
払う事は出来るかもしれない。だけど薪ぐらいじゃどうにもならない。街一つ燃やすぐらいはしないとだめだろう。それでも閉じ込めなければ、逃げられるかもしれない。ならば出来ることは一つだ。
「私が囮になります!」
「どういうことだい!」
「こいつは私に憑りつきたいんです」
そうだ。前世でもこいつは私と百夜を執拗に狙ってきた。
「だから私が囮になります。そいつが全部私に向かってきたところで、私がこいつにこの家ごと火をはなってやります」
「あんたはどうするんだい!」
「えっ!」
そうですね。ちょっとそこまでは考えが回っていませんでした。私はちょろちょろとこちらに伸びてくる触手を薪で焼いてやりながら、必死に考える。
そうだ。体に紐をつけてもらって、火が着いたら、外から引っ張ってもらうとかできないだろうか? 紐も火が付いたら燃えますね。ダメか!? やっぱり気合と根性しかなさそうな気がする。
「そこは水でもかぶってですね――」
「そうですね。それで行きましょう」
ドロレスさんが私に同意してくれた。そうですよね。女は度胸ですよね! あれ、愛嬌だったかな?
「二人とも、なにを馬鹿なことを言っているんだい!」
「エミリア、『聖母の子宮』でこのお嬢さんに紛れをかけなさい」
「紛れですか!?」
「そうよ。あれは空間をゆがめるから、ここに留める為の時間稼ぎぐらいにはなるでしょう。あなたがそれを掛けている間、私の方でも『穢れなき水霊の守り手』で、少しでも時間稼ぎをしてみます」
「あんたも魔法職だったのかい?」
「はい。元魔法職ぐらいです。しばらく術などつかっていませんでしたが、なんとかなるでしょう」
「奥様自身が術の行使など、危険すぎます!」
「エミリア、これでも私は元はあなたと同じ立場だったのよ。それにそうしないと、マリさんが先に倒れてしまいます。そうなっては本当に打つ手なしですよ」
そう言うと、せっせと薪を振り回す私の方を見た。
「ま、まだ大丈夫です!」
これでも荷車を引いて、毎朝行商していましたからね! あれ、それは前世の話か!?
「そうね。でも体力はいざと言う時のためにとっておいて。それにイアンと一緒に、ヘルベルトもこちらに来るでしょう。彼にも力を貸してもらいます」
ちょっと待ってください。イアンにヘルベルトって、どこかで聞いた名前なんですけど!
「えっ!」
もしかして、もしかしてですが、ドロレスさんの息子さんって、イアン王子!?
「セ、セシリー王妃様!」
「はい。イアンの母のセシリーです。フレデリカさん、改めてよろしくお願いいたします」
「どうでもいいけど、あんた達、挨拶は後にしな」
私達二人を見て、ドミニクさんが呆れたように呟いた。だけどそう口にしながら、目に見えぬ触手に、気配だけでフェイントを入れつつ、私の動きに合わせて、素早く薪を交換してくれる。
「そうですね」
「一体、何があった――」
背後から男性の声があがった。見るとヤスさんにミスリルさん、それに無理やり連れてこられたらしい、トマスさんの姿も見える。そして薪を手に、寝台の上にいるミカエラさんを遠巻きにしている私たちを見て、唖然とした顔をした。
「皆さん、丁度良かった。これから作戦開始というところです」
そう言うと、セシリー王妃様は私に向かって、小さく片目を瞑ってみせた。