病人
「ここが、ミカエラの家だよ」
ドミニクさんが、他の建物からぽつんと離れて建つ、二階建ての一軒家を指さした。他の建物と同様に朽ちた感じはあったが、屋根や壁には板で補強した跡があり、人の手が入っている。
家の横には廃材で作ったらしい、不揃いな花壇がいくつか並べてもあった。だが手入れもなく、茶色く枯れた花の残骸が風にゆれているだけだ。
「ミカエラが元気だった時には、たとえ冬でも何かの花が咲いていたんだけどね」
そう告げると、ドミニクさんは小さくため息をついて見せた。
「土を見ればわかります。とてもきれいに咲いていたと思います。エルヴィンさんも、この家に住んでいたんですか?」
「そうだね。この家はもともとは死んだ私の父親が、隠居後に住むつもりだった家だ。だけど流行病で母が死んでからは、私も含めて道場にこもりっぱなしでね。誰も住まないと荒れるので、エルヴィンとミカエラに貸していたのさ」
私はドミニクさんの言葉に頷いた。本来ならここまで来れれば、今日の目的としては十分だ。だけど私の中の何かが、彼女に、ミカエラさんに会うべきだと告げている。
「お会いすることは出来ますでしょうか?」
「なんだい、そのつもりで来たんじゃないのか?」
「もし体の調子が良くないのなら……」
「エルヴィンから、どこまで聞いているのかは知らないけど、会うつもりがあるのなら早い方がいいね」
「はい」
「あんた達はどうするんだい?」
ドミニクさんは、ドロレスさんとエミリアさんの方を振り返った。
「エミリアには医術の心得がありますから、必要があれば声を掛けてください」
「そうかい。だけど――」
「既に何人かの医者には相談されているのですね?」
「その通りさ。けれど皆お手上げだったよ。でもあんた達はこの辺のヤブ医者とはちょっと違うみたいだね。狭いけど、一階の食堂で座って待つぐらいなら出来る」
「そうさせて頂きます」
「女の子の家だからな。俺達はあんたの彼氏と外で待たせてもらう。終わったら声を掛けてくれ」
ヤスさんはそう告げると、トマスさんの襟首をつかむようにしながら、ミスリルさんと一緒に、家のとなりに積んである廃材の方へと歩いていく。寒いのに気を使わせてしまったらしい。本当に申し訳ない。
頷いた私を見て、ドミニクさんが家の扉を叩いた。耳障りな音を立てながら家の扉がゆっくりと開く。その奥から、真っ白な髪をした、少し腰が曲がったおばあさんが顔を出した。
「お嬢様」
ドミニクさんを見たおばあさんが声をあげた。そして背後にいる私たちを見ると、不思議そうな顔をする。
「お客様ですか?」
「そうだよ。だけど私の客じゃない。ミカエラの客だ」
それを聞いたおばあさんが、さらに当惑した顔になる。
「ですが、お嬢様――」
「訳知りの客だよ。問題ない」
「はあ、それならよろしいのですが……」
ドミニクさんはおばあさんに頷いて見せると、私たちを中へと招き入れた。玄関をくぐるとそこは食堂兼居間になっている。少し手狭ではあるが、暖炉には火がくべられており、外に比べたらはるかに暖かい。
「ばあや、ミカエラの様子は?」
「午後のこの時間なら、咳はまだ収まっていると思いますが、正直なところ、あまりよくはありません」
「そうだろうね。私は二階にこの子を連れていく。客に茶ぐらい出してもらえるかい?」
「はい、お嬢様」
そう答えたおばあさんが、台所らしい扉の奥へと向かった。
「いくつになっても、子供扱いで困るね」
台所の方を見ながら、ドミニクさんが肩をすくめて見せた。思わず含み笑いをもらしそうになる。その仕草も、前世の私が知っている歌月さんにそっくりだ。なにげに前世の歌月さんも、結社長の娘でお嬢様だったのを思い出す。
「ミカエラの部屋は二階だ。案内はするが邪魔はしない。二人で話しな。だけど長くは無理だね。言いたいことや、聞きたいことがあったら手短に頼むよ」
「はい」
ドミニクさんはそう告げると、着ていた長外套を壁際のフックにかけて、階段へと向かった。私も脱いだ外套を手に、その後に続く。
ミシ、ミシ、ミシ
板の一部が腐ってきているのか、足元で階段の板が不気味な音を立てた。外で待っている男どもが一緒に登ったりしたら、階段もろとも下に落ちてしまうかもしれない。
この家だけではない。この南区全体が、時の流れの中で、ただ朽ちていくのを待っているだけの場所みたいに思える。
「どなたでしょうか?」
階段の先、二階にある部屋の中から微かな声が響いた。とてもとても小さな声だ。私の妙に優秀な耳でなければ、聞こえなかったかもしれない。
「わたしだよ」
ドミニクさんにも声は聞こえたらしい。
「ドミニクさん……、すいません、足音がよく分からなくって……」
「そうだね。今日はあんたの客を連れて来たんだ。入っても大丈夫かい?」
「はい。散らかっていますが……」
ドミニクさんは扉をゆっくりと押しながら、私に向かって目配せをした。
「お邪魔します」
そう挨拶して頭を上げると、視線の先には小さな寝台があり、その横に素朴なテーブルと、椅子が置いてあった。部屋の壁際には小さな暖炉もあって、そこでは熾火になった薪が、パチパチと微かな音を立てて燃えている。
バタン、トン、トン、トン……
背後で扉が閉まる音がした。ドミニクさんが階段を下りていく音も聞こえる。部屋に残された私を、寝台の上に横たわる少女が、顔だけをこちらに向けてじっと私を見つめていた。
黒い瞳に少しだけくせ毛の黒髪。その顔には見覚えがある。エルヴィンさんだ。だがその事以上に、少女の顔には私がよく知っている表情、いや気配とでも言うべきものが浮かんでいる。
青白く見える肌に、瞳だけが何かを悟ったような光を浮かべているそれは、前世での私の父が遠いところへと旅に出る前に浮かべていた表情だ。そしてそこから、何かが消え去ろうとしていることも分かる。彼女の命だ。
「あ、あの……」
せめて挨拶ぐらいはしないといけないのだけど、何も言葉が出てこない。
「は、はじめまして、ミカエラと申します。フレデリカ様ですね……」
「えっ!」
彼女の口から私の名前が漏れた。小声ではあったが、ハッキリとしたよく通る声だ。
「すいません。本来なら起き上がってご挨拶を、ご、ごほっ――」
彼女が無理やりその体を起こそうとして咳き込んだ。
「そのまま寝ていてください!」
私はそう叫ぶと、寝台の側へかけよった。大きく息を吐いたミカエラさんが、力なく寝台の上へと横たわる。私は彼女の白く細い手を握りしめた。