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 ナターシャは手にした銀の杖を高く掲げた。それを黒曜の塔の星振に同期させると、その力を杖へと注ぎ込む。


 星振の振動はただの振り子の揺れなんかではない。この世界のゆらぎ、脈動そのものだ。それが杖に流れ込むにつれ、その表面が白く輝きはじめる。


「この地を追われし御方よ。我はその悲しみを知るものなり。我は御方の惜別の情を知るものなり――」


 ナターシャの口から洩れる詠唱に、杖はさらに輝きを増していき、表面に複雑な幾何学模様を描き出した。その光はナターシャの腕を介して、その体へも伝わっていく。そしてナターシャの体全体に、光り輝く雪の結晶を思わせる文様を浮かび上がらせた。


「――汝が失いし、時の扉を我れが開かん。アヴニール!」


 そう最後の一節を唱えると、ナターシャは目の前にいるエドガーだった者へと、輝く杖を振り下ろした。


 エドガーは口元のうろこを拭っていた手を持ち上げると、その杖を生身の腕で受け止めた。両者の間にまるで鉄を打った時みたいな激しい火花が飛び散る。


「うるさい羽虫ね」


 エドガーの顔に、いかにも不機嫌そうな表情が浮かんだ。そして虫でも払う様に、軽くその腕を振る。その動きに、ナターシャの杖はさらに激しく火花を散らしながらも、あっさりと上へと弾かれた。


 ナターシャは弾き飛ばされた力を、体を回転させて逃がすと、木から飛び降りた猫みたいに床へと着地した。だがその顔からは汗が滴り落ち、肩で息をしている。


「ふーん。でもちょっとは面白いかな……。呼び出すのではなく取り込む。自分に同化させているのね」


 エドガーが少女の口調で呟きながら、小さく首をかしげて見せた。


「ふふふ、面白い! さっき私の事を化け物と呼んだけど、自分もそうじゃないの? でも羽虫には無理よ、無理!」


 そう叫ぶと、エドガーは小さく腕を振った。そこから放たれた風圧の斬撃が、ナターシャの体を弾き飛ばそうとする。


「ほら、手を振ったぐらいで飛んで行っちゃう!」


「フフフフ」


 杖を手に、それを必死に耐えたナターシャの口から、小さな笑い声が漏れた。


「あれ、もう壊れちゃった? つまんない!」


「私が切るのは、あんたの首なんかじゃないわ!」


 ナターシャはそう告げるや否や、エドガーに向かって突進した。その姿を、エドガーだった存在が少し呆れた顔をして見つめる。そして再び腕を先ほどより少し高く振り上げて見せた。


「じゃ、こっちが切っちゃうよ!」


 だが放たれた斬撃は、ナターシャの体の僅かに横を抜けた。それでもナターシャの体は吹き飛ばされ、いや、違った。最初からナターシャはエドガーへは向かっていない。その横の床へ向かって、手にした杖を振り上げていた。


「そう言う事!?」


 エドガーだった存在が、振り下ろした腕を今度は横に動かして、ナターシャの体を薙ぎ払おうとする。だがナターシャの杖の方がそれよりも一瞬早く、エドガーの背後にある黒い床へと振り下ろされた。


 床に映っていたエドガーの影が消える。まばゆい白い火花と共に、エドガーの体は床に崩れ落ちた。


「ええ、そう言う事よ。私の杖が切るのはエドガーじゃない。あなたとエドガーを繋いでいる影よ。その時間の流れを断ち切るの」


 ナターシャは横たわるエドガーの体に腕を回しながら、床にある僅かな歪みに向かってそう告げた。そしてそれはすぐにただの床へと戻る。


「起きてエドガー、起きなさい!」


「あ、僕は――」


 ナターシャの声に、エドガーが薄目を開けた。


「説明は後。ともかく穴を維持して。私は紛れをなんとか持たせる。もう――、限界なの――」


 そう言うと、ナターシャはエドガーの体の上に倒れこんだ。エドガーはその体の柔らかさに戸惑いながらも、穴の維持に必死に精神を集中させた。





 食卓に座る少女は、目の前に掲げた自分の右手をじっと見つめていた。それは少女の手ではなく、年老いた老婆の様なしわだらけの青い血管が浮いた手に見える。


 それはすぐに乾いた皮膚が、骨に張り付いているだけの状態になり、さらに茶色い乾いた肉だったものが、こびりついただけの骨に、そしてその骨さえもが白い粉となり、崩れ去って行こうとする。


 それを見ながら、少女はため息をもらした。そして崩れ落ちていく右手を軽く振って見せる。少女が再び右手を掲げると、そこには先ほどまでの骨のかけらの様な手ではなく、少女のものらしい、ほんのりと赤みをおびた白い手へと戻っていた。


「つまんない!」


 少女の口から声が漏れた。言葉だけ聞けば、幼い子供のわがままそのままの台詞だが、もしこの場に誰かいたならば、得体の知れない恐怖に足が震える、そんな声だ。少女は自分が座っていた椅子を蹴り飛ばして立ち上がると、元に戻った右手を握りしめた。


「でも許さない。おやつにして――」


「サンドラ、そこまでだ」


 パン!


 背後から響いた声に、少女は前を見たまま両手を打ち鳴らして見せた。


「生意気な羽虫を、こうやって潰してやるの。邪魔をするのなら、本当に食べちゃう――」


 そう口にしながら、少女が背後を振り返った。だがそこで言葉を飲み込む。そして大きく目を開くと、瞳孔が消えたただの真っ黒な穴にしか見えない目で、自分の前にいる人物を眺めた。


「ニコライ……」


「ローレンスから力を使う許可をもらったんだ。だから僕の言う事を聞かないと、僕がお前を食べちゃうよ」


 そこにはサンドラの双子の兄弟という設定のニコライが、口元に謎めいた笑みを浮かべて立っている。それを見たサンドラの体が、熱に浮かされたみたいにガタガタと震え始めた。


「また随分と好き勝手したね。でもせっかく開けた穴だから、これはそのまま使わせてもらうよ」


「あ、ああ」


 サンドラの口から言葉にならない声が漏れた。だがニコライはそれを無視すると、サンドラのお腹へ向けて手を伸ばす。その手がゆっくりとサンドラの体の中へと沈み込んで行く。


「ひぃううう!」


 声を上げたサンドラに、ニコライが怪訝そうな顔をして見せた。


「そんな声を上げなくてもいいだろう? もともと僕らは一つなんだから」


「な、何を――」


「裏切り者の様子を見に行くんだよ。いや、ローレンスの失敗作の尻ぬぐいかな? それにお前のいたずらの始末もつける。だからサンドラ、お前は僕の剣に戻れ」


 何かがふんわりと風に舞うと、パサリと音を立てて床に落ちた。そこにはサンドラが着ていた、ソースの染みが飛んだ白いワンピースと、白い下着が落ちている。


 それを纏っていたサンドラの体は、ニコライの右手へと既に吸い込まれていた。

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