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退屈

 タン、タン、タン


 何かがテーブルへと打ち鳴らされている音が聞こえる。その耳障りな音に、ウォーリス家の双子の一人、ニコライは読んでいた本から顔を上げると、食卓の方を眺めた。


 そこでは機嫌が悪そうな顔をした、双子の片割れのサンドラが、食べかけの遅い昼食を前に、スプーンで食卓を叩いている姿がある。


 ニコライはその背中を見ながら、小さくため息をついた。ニコライはサンドラがどうして不機嫌なのか、よく分かっている。ともかく退屈なのだ。


 ローレンスによって、位相の隙間からこの世界に戻って以来というもの、ほとんど何もしていない。何もない次元の隙間よりはましだ、という考え方もあるだろうが、何もなければ刺激もない。だから戻ってくる前には、退屈という気分にはなりようがなかった。


 だが人の体と役割を与えられたここでは、刺激と言うものがある。それ故の退屈だ。そしてサンドラみたいに、自由奔放に振舞いたい存在にとっては、退屈こそが一番の苦痛なのだ。


 学園に侍従として潜り込んでいる、ブリエッタの方も似た個性だが、そちらはそれなりに楽しみを見つけてやっているらしい。それでも退屈紛れに、学園で騒動を引き起こすという事をやらかしている。


 ローレンスも、それは分かっているのだろう。ブリエッタが騒動を起こした時も、サンドラがおじゃま虫を見つけたと言って、力を使って暴れ回った時も、あまりうるさいことは言わずにいた。


 だからと言って、それを看過することなど出来ない。それでは前に自分たちが世界の狭間に落ちた時と、同じ事の繰り返しになってしまう。


 それでもローレンスに睨まれて、ブリエッタの方はおとなしくしているらしいが、サンドラの方は、間違いなく手が付けられなくなって来ている。


 そのせいか、見かけはとてもかわいい姿をしている少女なのに、使用人の誰もが近寄ろうとはしない。唯一の例外は没落貴族出で、若くしてこの屋敷の侍従長を任せられているオルガだけだ。


 そのオルガにしても、鋼の様な使命感と、ローレンスに対する絶対的な忠誠心、あるいはニコライが全く理解できない愛情と言うものがなければ、サンドラに向かって小言を言ったりはしないだろう。


 ローレンスは一体何を考えているのだろうか? ニコライはサンドラの背中を見ながら首をひねった。


 少なくとも、自分たちはローレンスと目的を同じにしているはずだ。自分をお目付け役として、サンドラの側に置いておくだけで、事は十分だと思っているのだろうか?


 タン、タン、タン、タン!


 スプーンでテーブルを叩く音は続いていた。それは段々と早くなり、今ではまるで太鼓の様になっている。


 だが手にしたスプーンで、テーブルに八つ当たりをしているぐらいでは、何の問題にもならない。ニコライは再び手にした本へ視線を戻すと、全く理解不能な人間の男女の恋愛話へと戻った。


「ふふふふ」


 その時だった。サンドラの口から、不意に含み笑いが漏れた。


「うわ、今度はもっと一杯!」


 それだけではない。手にしたスプーンをテーブルへと放り出すと、機嫌よく声を上げた。ニコライは慌てて本を閉じる。機嫌の悪いサンドラは、単に機嫌が悪いだけの存在だが、機嫌がいいサンドラは、間違いなく何かの問題を引き起こす。


 ニコライはサンドラの足元に、いつの間にか人の目には見えない、黒い穴がぽっかりと開いているのに気がついた。


 いきなり力を使うなんてことをすれば、いかに鈍い人間達でも、ここに人ではない存在がいることに気が付くかもしれない。その為に連中は多くの塔を建て、拙いながらも、何かを捉える為の努力だけはしている。


「サンドラ!」


 サンドラの背中に向かって、ニコライが声を張り上げた。


「ニコライ、うるさい!」


 サンドラの口から文句の声が上がる。どうやら、ニコライの警告など、意に介すつもりはないらしい。


「何なの、この馴れ馴れしい女。人のおもちゃを横取りするつもり?」


 急に表情を曇らせると、不機嫌そうな声を上げた。その背中からは、あどけない少女とは全く違う、黒い何かが噴き出してくる。


 その姿に、ニコライは焦った。まずい。力を使うつもりだ。それも手加減なしでやるつもりでいる。


 ニコライは慌ててその穴を閉じようとした。だがサンドラの立てた障壁によって防がれる。力を制限された状態では、本気のサンドラには太刀打ち出来ない。


「ふふふ。とってもいいもの、みーつけた!」


 不機嫌そうに顔をゆがめていたサンドラの顔が、今度は向日葵が咲いたかの様な、満面の笑みへと変わった。


「どうしてあげようかしら? 撫でてあげたら喜ぶかな? 首を締めてあげるのもいいな。とってもかわいい悲鳴を上げるわよね。あれ? これって、もしかしたら――」


 その言葉に、ニコライも慌てて穴の中を覗き込んだ。しかしすぐに真っ黒な、何もない空間へと変わってしまう。それでもサンドラが隠すまでの一瞬、そこに見えたあるものに、ニコライは驚いた。


「サンドラ!」


 ニコライはもう一度声を上げた。だがサンドラはただ小さく鼻歌を歌っているだけで、何も答えない。そして両手で口を広げると、ニコライに向かって、あっかんべーをして見せた。


「ニコライ。あんまりうるさいと、食べちゃうよ」


 そう告げるや否や、おもむろに裸足の足を持ち上げた。そして人の目にはただの床に見えている場所、サンドラにとっては別の空間へと繋がっている穴へと、足を踏み下ろす。


「キャハハ、キャハハハハ!」


 それと同時に、サンドラのおかしな笑い声が響き渡った。


「まずい、絶対にまずい!」


 ニコライは本を投げ出すと、廊下へと飛び出した。そして意識をある男に繋ごうとする。


『ローレンス、答えろ、ローレンス!』


 だがこんな時に限って、ローレンスへの連絡がつかない。でも()()なら、どんな時でも連絡が付けられるはずだ。なにせ本人そのものを演じている。


「ニコライおぼっちゃま、いったい何をそんなに急いでいらっしゃるんですか? まるでサンドラお嬢様――」


 階段の方からニコライに対して声が掛かった。見ると、食事を下げに来たのか、銀の盆を持ったオルガが、不思議そうな顔をして立っている。


「オルガ!」


「な、なんでしょうか?」


 ニコライに急に手を掴まれたオルガの口から、慌てた声が上がった。そしてほんのりと首筋を赤く染める。いつものニコライなら、恋愛小説の内容の確認のために、オルガの反応を色々と試すところだが、今はそんな事などしていられない。


「ローレンスはどこにいる?」


「ローレンス……!? 旦那様ですか?」


 ニコライの言葉に、オルガがびっくりした顔をした。その表情に、ニコライは自分が役割を忘れかけていたことに気が付く。


「ローレンスお父様はどちらにいるかな? どうしても急に、お話ししなければならないことが出来たんだ」


「旦那様でしたら、東館の読書室にいらっしゃいます」


「ありがとう。それからオルガ」


「はい、なんでしょうか?」


「サンドラの食事の片づけは後でいい。ぼくのせいで、今はちょっと機嫌が悪いんだ。それはお父様と話をしてから、僕の方でやる。それから、東館の読書室の周りには誰も近づかないように、それとなく皆に指示を頼む。誰もだよ」


「はい。承りました」


 ニコライはそうオルガに告げると、なるべくゆっくりとした足取りで、東館へ続く廊下を歩んだ。その角を曲がった瞬間に本来の早さ、人の目には捉えられぬ速さで、東館の読書室の前まで移動する。そしてノックもなしにその扉を開けた。


 扉の先では中年の、これといって特徴のない男性が、先ほどまでのニコライ同様、一冊の本を手にして、皮張りの椅子にゆったりと腰をかけている。


「おや、サンドラが何か我がままでも――」


『ローレンスにつないでくれ。緊急だ』


 ニコライの人の言葉ではない台詞に、ウォーレス候・ローレンスは読んでいるフリをしていた本をたたむと、それまでの父親らしいものとは全く別の顔、無表情に近い顔へと変わった。


「父さんに、ちょっと相談があるんだ。オルガに人払いは頼んであるよ」


 ニコライの言葉に男が小さく頷いた。


『ならば、後はこちらを覗いている連中だけか?』


 ニコライの頭の中に声が響く。


『そうだよ』


『そちらは私が抑えよう』


 男がそう返した瞬間だった。辺りの景色がどこかの地下室の様な場所へと変わった。ローレンスの()()をしているダチュラが、本物のローレンスへ繋いだのだ。


「どうした()()()()? お前がそんなに慌てるとはね。カルミア(サンドラ)が、今度は南区で暴れるつもりなんだろう? 心配しなくてもいい、それは織り込み済みだよ」


 男は机の上に広げたノートと、辺りに置いてある何かの実験器具から顔を上げることなく、ニコライに答えた。


「流石と言っておくよ。でもそれだけじゃない。カルミア(サンドラ)が穴を隠す前に、ちょっとだけ見えたんだ」


「根暗な連中のしっぽでも見えたかい?」


「違う。()()()()だよ。それにローレンス、あんたのおもちゃもだ」


 その言葉に男は顔を上げると、ニコライ、彼がロベリアと呼んだ存在の方を振り返った。


「あのおバカな連中の為に、もう一度同じ失敗をするのはごめんだ。正直、もうだいぶうんざりしている。だからいいだろう?」


 男は少しだけ考える素振りを見せたが、ニコライに向かって小さく頷いて見せた。


「分かった。力を使う事を許可しよう。だけど彼と、例のおもちゃはあくまで私のものだ。壊さずにとっておいてくれ」


「分かっているよ、ローレンス。だけどその露払いは僕にやらせてもらう」


 そう告げたニコライ、またの名をロベリアとして知られる存在は、口の端をニヤリとを持ち上げて見せる。そこの顔には、普段演じている物分かりのよい少年らしさなど、もう何処にもなかった。


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