目的
「それで、あんた達はなんでこんな場末も場末な道場なんかを訪ねてきたんだい?」
歌月さん、もといドミニクさんは食堂らしき場所に私たちを案内すると、そう訊ねてきた。テーブルの上には飲み掛けの酒瓶が何本も置いてある。この酒豪なところや、ちょっと演技かかったぶっきらぼうな態度も、前世の歌月さん本人としか思えない。
「あのですね――」
私がそう声をかけた時だった。背後の扉が開いて、一人の少年が顔を出した。
「先生、お呼びでしょうか?」
その顔は赤く上気し、冬だというのに汗に濡れている。どうやら先ほど聞こえてきたのは彼の気合いだったらしい。
「客らしいよ。湯を沸かして茶ぐらい出してやりな」
客なんて滅多に来ないせいか、それとも私たちの様な女性がいるせいなのか、少年はとても驚いた顔をした。そして私の顔をじっと見る。
まあ、このメンバーの中では、間違いなく私がトマスさんの次に場違いな存在ですからね。それに自分より年下だと思うのだけど、明かりの加減か、妙に落ち込んだ暗い目をしているように感じられる。
「何をぼっとしているんだい?」
「すいません、すぐに準備します」
ドミニクさんの声に、少年が慌てて部屋の外へと飛び出して行った。
「お弟子さんですか?」
「そうだね。こんなところへ弟子に来ようなんてやつは、よほどに食い詰めているか、よほどに酔狂かのどちらかだよ」
「そうでしょうか? こんな魅力的な師匠がいたら、大勢の男性が通われそうですけど?」
私の横に座ったドロレスさんが、部屋を出ていく少年の後ろ姿を見ながら、少し首を傾げて見せた。
「もしかして、あんた達はわざわざ私に喧嘩を売るためにここまで来たのかい?」
「あら、お気に触ったならごめんなさい。素直にそう思っただけです。マリさん、そう思いませんか?」
「えっ、は、はい」
あのですね、そんなネタをいきなり私に振らないでください。答えについては、トマスさんの反応を見れば明らかですが、どう答えても角が立つと言うやつです。
それにトマスさん、胸をガン見するのはそろそろやめた方がいいと思います。本当に首が胴から離れますよ! 私が知っている歌月さんなら間違いなくそうです。
「そんなことより、用件の方をさっさと教えてもらいたいね」
ドミニクさんが顔をしかめて見せる。
「そうでした。いきなり押しかけたにも関わらず、お時間を頂いてありがとうございます」
「まさにいきなりだよ。あんた達だけなら、すぐにぶった斬って運河の魚の餌にするところだけど、スサンナも一緒だからね」
スサンナさん? 私がキョトンとした顔をしていると、ドミニクさんは背後にいるミスリルさんの方を顎でしゃくって見せた。
「ドミニクさん、その名前は捨てたんです。私の今の名前はミスリルです」
ミスリルさんが真剣な表情でドミニクさんに答えた。そうか、ミスリルさんにシルバーちゃんって、とっても素敵な名前だと思っていたけど、彼女たちがその名前を名乗っているのには色々と理由があるらしい。
「そうかい。それは知らなかったよ。悪かったね。それで?」
「あの――」
私はドロレスさんの方を振り向いた。ドロレスさんも息子さんの件で何か話があるはずだ。
「マリさんの用件が先で構いません。こちらは息子からここを訪ねる様に言われているだけなので、急ぎはしませんよ」
「ありがとうございます!」
「あ――、本当にうざったい人たちだね。どうでもいいから、さっさと用件を言いな」
「はい。実はこちらの道場へ、前に通われていた方の妹さんのお宅を教えて頂きたくて、こちらへお邪魔させて頂きました」
「妹? 一体誰の妹だい?」
「はい、エルヴィンさんの妹さんです。実は一度会って欲しいと、エルヴィンさんからお手紙を頂きました」
「あのエルヴィンがかい? あんたに?」
「はい。それでお友達と一緒にお伺いさせて頂こうと思ったのですが、こちらには来たことが無かったので、私が先に訪問して、段取りをつけたいと思った次第です」
「はあ?」
私の台詞に、ドミニクさんが面食らった顔をした。あれ? なんか変なことを言いましたか?
「ちょっと待ちな。エルヴィンは学園にいるんだよ。どうしてあんたと手紙のやりとりをするんだい?」
「えっ?」
まずいです! 目の前のドミニクさんが歌月さんにあまりにもそっくりな事に気を取られて、肝心の今日の役回りについて忘れていました。
「あ、あのですね。私の主人がエルヴィンさんとちょっと関わりがありまして――」
「あら、マリさんは学園で侍従さんをされているの?」
「えっ!?」
今度はドロレスさんが、とっても不思議そうな顔をしてこちらを見ています。まずいです。とってもまずいです。色々なものの辻褄が合わなく、いや、間違いなく崩壊しかけています。
「なんだ。お前は主人ほったらかしで、学園を抜け出して男と乳繰りあっていたのか?」
ヤスさんから呆れた声が聞こえてきた。
「違います!」
ちょっと待ってください。設定上はそうしないと辻褄が合わないのは確かですが、どうして私がトマスさんと乳繰り合わないといけないんです!
「そもそも、なんであんたがエルヴィンの妹に会わないといけないんだい?」
あのですね、会ってくれと言ってきたのは向こうの方ですよ? でも今はそれはどうでもいい話ですね。
「私の友達の一人、もとい、私の主人のご学友が、ちょっと前まで同じような病気だったそうなのです。その方は今はとっても元気になっていまして、もしかしたら妹さんの病気の件で、お手伝いできることがあるかもしれないと思ったからです」
こんな私だって、たとえ間接的でも誰かの役に立てるかもしれないと思ったんです。諸般の事情により、今は嘘を付きまくりですが、これだけは本当です。
「辻褄があっていないね」
やばいです。ここで不信感を持たれたら、ここに来た意味が無くなってしまいます。
「トマスさん!」
「えっ、なに?」
えっ、じゃないですよ!
「私の仕事着を出してください!」
「仕事着って?」
「いいから、その買い物袋をこっちによこしなさい!」
取り敢えずトマスさんから袋を奪い取って、マリの侍従服を取り出す。我が家がいかに落ち目のカスティオールとはいえ、学園でのお付きの侍従らしく、仕立ての良いちゃんとした侍従服だ。それを胸元に当てて見せた。
「どうです? これで納得していただけましたか?」
ちょっと待ってください。どうしてスパイスの匂いが……、失敗しました。トマスさんに袋も一緒に買ってもらうべきでした!
「それって、本当にお前のか?」
横からヤスさんの訝し気な声が上がった。
「えっ?」
「胸の大きさがあっていないぞ?」
「な、なななな……」
思わず自分の胸と侍従服の胸の大きさを見比べてしまう。確かにマリは見かけよりは大きいようですが、いや、そういう問題ではありません!
「ジャスパー!」
「うっ!」
見ると、私の胸のあたりを指さしたヤスさんの横腹を、ミスリルさんが小突いている。出来ればあと十回ぐらいはお願いします。
「学園ではこれに詰め物をして着るんです! こんな立派なのがあれば苦労はしませんけどね!」
「あんた……」
私の発言にドミニクさんの口から声が漏れた。や、やばいです。思わず心の声が漏れてしまいました。それに気が付かないうちに、歌月さん、もといドミニクさんの胸を指さしてもいる。
「あ、ごめんなさい。ドミニクさんに悪気がある訳ではありません!」
「あの子の病気がどんな病気か知っていて、そんな台詞を吐いているのかい?」
そう告げたドミニクさんが、私の顔をじっと見つめている。ドミニクさんの表情は先ほどと違ってとても真剣だ。その表情も前世の歌月さんの事を私に思い起こさせた。
「知りません。ですが、それが何もしないことの理由にはならないと思います」
「あんたの言っていることは正しい。だけど口先だけならみんな正しいことが言えるんだ。それが出来るかどうかは全く別の話しさ。だけどあんたはそれをやろうとしているらしい。あんたも私が知っている娘――」
ドミニクさんはそこで言葉を切ると、私に向かって肩をすくめて見せた。
「それは今はどうでもいい話だったよ。そう言えば、まだ名前を聞いていなかったね」
そうでした。あまりに歌月さんにそっくりだったので、自己紹介をするのを忘れていました。
「すいません、ご挨拶を忘れていました。マリです。こちらは私の彼氏のトマスさんです」
どうせまともに挨拶ができるとは思えないので、代わりに紹介をする。そして手でトマスさんの頭を押し付けた。ひたすらに胸を見つめていたトマスさんが慌てて頭を下げる。
「ドロレスです。こちらは姪のエミリアです」
ドロレスさんとエミリアさんもドミニクさんに挨拶した。
「ドミニクだよ」
ドミニクさんも片手を上げて私達に挨拶を返してくれる。彼女に、皆に私の本当の名前を告げられないことに心が痛む。だけど今度ここにきた時は頭を地面に擦り付けて謝らせてもらおう。そして本当の名前を告げるのだ。
「それで、あんた達の用事は?」
ドミニクさんがドロレスさんに向かって声を掛けた。
「息子にここで待つように言われました」
「息子? あんたみたいな育ちのいい母親を持っている奴はここにはいないし、いたこともないけどね」
そう言ってから、ドミニクさんはわずかに考え込むような表情をしたが、やはりドロレスさんに向かって首を横に振って見せた。
「はい。息子が直にここの道場でお世話になった訳ではありません。おそらくこの道場に通っていたどなたかと一緒にいて、その方とこちらに向かっているんだと思います。どうやら私の方が先に着いてしまった様ですね」
「ふーーん。それも又いまいち信用できない話だね。まあいいさ。私はこのお節介娘とちょっと出かけてくるよ。だけど待ちたいと言うのなら、こんなところで良ければ貸してはあげるけどね」
「はい。ありがとうございます。ですが、私も同行させていただけませんでしょうか? エミリアは医術の勉強もしているので、何かお役に立つことがあるかもしれません」
そう言うと、ドロレスさんは傍に立つエミリアさんの方を向いた。
「だろうね。それに正直なところ、あんたたちは信用できない。私の目の届くところに居てもらった方が、都合がいいのは確かだ」
「はい」
ドロレスさんがドミニクさんに頷いて見せる。なんでしょう。単なる会話の様に聞こえますが、二人の間にはまるでこれから剣を抜くような緊張感というか、ただならぬ雰囲気が漂っています。やっぱりドロレスさんはただの主婦とは思えません。
「面倒ごとはさっさと終わらせるに限る。エルヴィンの妹のところは近くだ。すぐに出かけるよ」
そう告げたドミニクさんが私の方を振り向いた。
「ありがとうございます!」
「師匠、お茶の準備が――」
先ほどの少年が、茶器を乗せた盆を手に部屋の中へと入ってきた。
「プラシド、悪いね。外出の用事ができた。お茶は戻って来てから頂くことにするよ」
そう少年に告げたドミニクさんが椅子から立ち上がった。その手には細身の剣も握られている。どうやらエルヴィンさんの妹さんのいるところは、近所ではあるが、それが必要な場所でもあるらしい。
「それはいいですが……」
少年がドミニクさんに、少し心配そうな顔をして見せた。
「なあに、近所までだ。すぐに戻る。留守番を頼むよ」
「は、はい」
「スサンナ、いや、ミスリル。あんた達はどうする?」
ドミニクさんがヤスさんとミスリルさんに問い掛けた。
「俺はこの子を南区の外へ出るまで面倒見ろと、師匠に言われているからな。ご一緒させていただくよ」
「私たちも一緒にいかせてもらいます」
ヤスさんに続いてミスリルさんも答えた。そして背後にいるシルバーちゃんにも頷いて見せる。みんなが一緒に来てくれるのなら心強い。
「皆さん、ありがとうございます!」
「では話はついたね。赤毛のお嬢さん、私についてきな!」
えっ! ドミニクさんの言葉に思わず髪を手に取った。まだくすんだ色を残してはいたが、見慣れた赤いくせ毛が見える。いつの間に色が落ちてしまったんだろう。
ま、まずいです。どこかに炭はありませんかね? このままだと学園に戻れません!