先手
「イアン、もう南区まで入ったぞ。どうする?」
ヘルベルトの呼びかけに、イアンは馬車の鎧戸の隙間を広げると外をちらりと見た。ヘルベルトの言うとおり、メナド大橋を渡った馬車は南区の中心通りまで既に来ている。
目的のドミニク道場まではもうさほどの距離もないはずだが、市場でもあるのか通りを行きかう人々のせいで、馬車の速度は早足程度にまで落ちていた。御者が通りを横切る人たちに対して声を荒げるのも聞こえてくる。
「到着時間的には何の問題もない。母上とはいえ、もう流石に到着しているだろう。だがただ道場に着いても何の意味もないな」
「何か相手の裏をかく方法を考えないといけないですね」
意外な人物が答えたのとその台詞に、イアンとヘルベルトはおやっと言う顔をして互いに顔を見合わせた。イサベルは二人の表情に気が付くと小さく苦笑いを浮かべて見せる。
「おじい様がいつも言っていることです」
「コーンウェル侯がですか?」
イアンは驚いた顔をしてイサベルの方をみた。普通に考えれば孫娘、それも侯爵令嬢に対して常日頃に掛けるような言葉ではない。
「はい。どうしてかは分かりませんが、おじい様は時間があるときには私とカードをしてくださいました。その時にいつも言っていた言葉です」
そう告げるとイサベルは手で二人にカードを引く仕草をして見せた。
「相手の裏をかけ。そのためには相手の目的と手段を理解しろです。でも遊びとは思えないぐらいに真剣で、負けが続くと思いっきり怒られました」
「流石はコーンウェル侯ですね」
イサベルに向かってイアンは深くうなずいて見せた。
「おじい様の言葉を借りれば、貴族のたしなみの一つだそうです」
イサベルの言葉に今度はイアンとヘルベルトが苦笑いをした。どうやら孫娘といえども、コーンウェル侯はその教育に手心を加える気はないらしい。
コーンウェル家は家柄だけで力を保っているわけではない。長くその当主を務めているコーンウェル侯の手腕の結果でもある。
「コーンウェル侯の言う通りです。私たちは相手の裏をかかねばなりません。相手の目的が母上だというのは間違いないと思います。その手段が私達です」
そこで言葉を切ると、イアンは確認するように二人を見た。二人の無言を了解と捉えたのか、イアンは言葉を続けた。
「本来この件は母上が私にフレデリカ嬢を紹介しろと言ってきたのが発端です。なのでこの件が漏れたのは母上の周辺からなのは間違いありません。それを元に誰かが計画を練った」
イアンの言葉にイサベルも頷く。
「ですがフレデリカ嬢が学園を抜け出したことで、急遽、私達も学園を抜け出す口実として使うことになりました。ですが母上もそれに同意して急に城を出られた」
「セシリー王妃様らしいと言えばセシリー王妃様らしいな。普通はそんな急な話には乗ってくれないどころか、激怒しそうなものだ……」
ヘルベルトはそう言葉を漏らしたが、イアンの冷たい視線に気がつくと、慌てて先を進めるように促した。
「普通ならこの時点で計画をあきらめるところですが、計画者達はむしろこれを好機と捉えている。間違いなく偶発の事故を装えるからです。それにこの程度の変更には対応できるだけの、十分に用意周到な準備があるのでしょう」
「そうだな。相当に自信家であるのは間違いないな」
イアンの言葉にヘルベルトも同意する。
「ですがその結果、こちらに有利なことも起きました」
「私たちがそれに気付けたことですね」
「はい」
イアンがイサベルの言葉に頷いて見せた。
「それに彼らに不利な点もできました」
「こちらの正確な目的地が分からないことですね」
「こちらの準備不足が、いや、こちらの混乱が優位点になるとは皮肉なものだな」
イザベルの答えにヘルベルトも同意した。
「その利点を最大限に使うとすれば?」
イアンが二人に対して問い掛けた。
「陽動、あるいは欺瞞だな。連中がこちらを監視しているからこそ裏をかける」
「私たちがバラバラなところに向かうとかですか?」
だがイアンは二人に向かって首を横に振って見せた。
「前にも話した通り、こちらがあからさまな手を使えば、向こうはこちらが気が付いていることを悟ります。それ故に向こうの計画が補正出来ない直前まで、こちらがそれに気が付いていない振りをする必要がありました」
「はい」
「ここまでくれば向こうにばれても大丈夫でしょう。それによって今回は諦めさせられるかもしれません。ですが――」
「それでは相手に次の機会を与えるのと同じですね。それにこちらからの奇襲の機会は二度とない……」
イサベルがイアンの言葉を引き取った。その自分の考えていた内容と同じ台詞に、イアンは深く頷くと驚きの表情を浮かべた。
「本気か、イアン? 今回は相手に諦めさせられればそれで十分じゃないのか? そうすれば今度はこちらから相手をつぶしに行ける」
「無理だな。計画があった具体的な証拠は何もない。俺たちの憶測だけだ。それでは父上はもちろん、警備庁も王宮魔法庁も動かすことは出来ない
「よく説明すればいいだけだ」
「そもそも今回俺たちが学園を出た理由も、何もかもが偶発的だ。だから説得力に欠ける」
「つまり、お前は……」
「そうだ。反撃だよ。俺達が先手を取ってやつらに打撃を与えてやるんだ」
「だが俺達だけで出来るのか?」
「出来る出来ないの問題じゃない。やるんだ。そうすれば仮に直接的な打撃を与えられなくても、計画があったことは明らかに出来る。そうなれば警備庁も王宮魔法庁もこの件を真剣に追う。追わざる負えない。何せ父上の怒りを間違いなく買うからな」
「ならば方法は一つしかないな。待ち伏せだ」
「そうだ。お前達、魔法職が大好きな待ち伏せだよ。お前には御者を含めて、誰にも悟られないようにこの馬車から落っこちてもらう必要がある。ちょうど馬車の行き足も落ちているから、お前なら問題なく出来るだろう?」
「へいへい。そうくると思ったよ。泥にまみれるのは俺の仕事さ。扉の先がうまく死角になるタイミングを計って出ることにする。だが先に着けるかどうかは分からないぞ」
「大丈夫だ。場所は先ほどの休憩の際に、あらかじめエルヴィン君に書いてもらった。堀のせいでこの大通り経由だと回り込むが、馬車が通れない堀沿いを進めば近道できるので、お前の方が先にドミニク道場へ着ける。使う術については――」
「ああ、まかせろ。ともかく人目を引く派手な奴を使ってやる。誰もがびっくりしてその場をじっと見つめたくなる奴だ」
「道場に着きましたら、私も出来る限り人目に付く様に努力します。ですが――」
「イサベルさんにはここまで付き合っていただいただけで十分です。ここから先は私たちに――」
「いえ、お手伝いさせて頂くこと自体は何の問題もありません。ただ正直なところ、その様に振舞うのはとても苦手なんです。フレデリカさんがいたら、きっと素でとても目立ってくれただろうと思っただけです」
イサベルの言葉にイアンとヘルベルトは思わず首を縦に大きく振った。
「ああ、確かに。彼女がいたら間違いなく存分に目立ってくれたでしょうね」
* * *
「誰か馬車から降りたぞ。それもこっそりだ」
エドガーは退屈なのか鼻歌を歌いながら、楽団の指揮者の様に手にした棒付き飴を振るナターシャに声を掛けた。
エドガーの呼びかけに、ナターシャは星振が穴からのぞき込むように床に映している景色に視線を向けた。そこでは二台の黒塗りの馬車が、小さな市場の雑踏の中を、速度を落としながらゆっくりと進んでいるのが見える。
「止まってないじゃない。抜け出たと言うこと?」
「そうだ。こっちに行った」
エドガーは通りを横切る小さな堀の土手の方を指示した。そして小さく杖を振って見せる。エドガーの動きに合わせて、星振りが二人に見せている穴の先の風景が少し広がった。
その少しぼんやりとした景色の中を、土手に置かれた雑多な物の間を抜けて、紺色の制服を着た少年が素早く駆けていく。その動きはまるで空を舞う燕の様に軽やかだ。
「ヘルベルトのガキじゃん。相変わらず鼠みたいにちょろちょろと落ち着きがない奴ね」
「彼のことについて詳しいみたいだな」
「あら、焼きもちでも焼いてくれているの? そうねと言って焦らしてやりたいところだけど、このいけ好かないガキ相手では嫌ね」
「君も学園出身か?」
「はあ?」
「あんな気味の悪い監獄みたいなところに行くなんて御免よ。だからこっちに来て腕になったくらい。ここも監獄並みと言う点では同じだけど、あそこの不気味さに比べたら、ここでの足の引っ張り合いなんてのはかわいいものよ」
「不気味? 学園がか? あれは貴族の――」
「エドガー」
エドガーはナターシャの呼びかけにいつものこちらをからかうような気配がないのに気がついた。見あげるとその顔もいつもと違って真剣な表情をしている。
「知らなくてもいいことに鼻を突っ込まない方がいいわよ。この世界で物知りになるということは、寿命が短くなることと同じなの」
「そうか。分かった」
「それに力を持つということは何かの檻に入らないといけないという事と同義よ。あっても自分から入るか、入れられるかの違いだけ。あの子は王子の付き人になり学園に行くことを選んだ。私はこの黒曜の塔を選んだ」
「僕には選択肢は与えられなかったという事か……」
「そう言う事ね。でも神様に頭をこすりつけて感謝しなさい。『鎌』や『槌』のおっさんたちじゃなくて、このとっても美人でナイスバディなナターシャ様と一緒にいられるんですからね!」
「そ、そうだな」
「あ、そんなことより領域を拡大して頂戴。ヘルベルトのガキが見えなくなりそう」
「えっ、これ以上にか?」
「何を驚いた顔をしているの? あんただって『腕』でしょう?」
あたふたと杖を取り出したエドガーに代わって、口に棒付き飴を放り込んだナターシャが、腰から杖を外すとそれを伸ばして床に白い線を描く。その動きに星振りが見せている穴が二倍近くに大きくなったうえに、さらに上空から覗いているかの様に像が拡大された。
これが初めてという訳ではないが、それでもエドガーはナターシャのその手際と力に舌をまいた。それを見るたびに、『腕』と呼ばれる星見官が本当の化け物なのだと思い知らされる。
「でもおかしいわね」
「何がだ?」
「ヘルベルトは第六王子の護衛役よ。それがこんなに遠くに離れるというのはどういうこと? たとえ馬車の中で王子があの金髪さんと乳繰り合おうとして席を外したって、そう遠くに行ったりはしないはずよ」
「あの子はそんな子ではないよ」
そう言ってしまってからエドガーは自分の発言を思いっきり後悔した。エドガーの言葉にナターシャの顔が険しくなる。
「あんたね。もうちょっと女というものを理解しなさいよ。間違っても王宮魔法庁の建物にやたらと飾ってある女神の像と同じものだとは思わない方がいいわよ」
「それよりも彼はどこに行こうとしているんだ?」
エドガーの言葉にナターシャはフンと鼻を鳴らすと、星振が映し出す像へと視線を戻した。
「さあ、相当に急いでいるのは確かね。先回りして王妃との合流場所の安全を確保しようとしているのかしら?」
「こっそり抜け出したのは?」
「念のためじゃない? でもおかしいわね。自分たちの行く手に危険があることを確信しているという事? 相手にそれを悟らせないため?」
ナターシャはハッとした表情を浮かべるとエドガーの方を振り返った。
「エドガー、やっぱりこの子たちは何か危険があることをしっているのよ。それでいて周りにそれを知らせていない。迂闊に動けないほどに危険な何かが……」
エドガーの方を振り返ったナターシャはそこで言葉を飲み込んだ。ナターシャの視線の先では、エドガーが星振りの見せる像に指を向けて立っている。そしてその指が小刻みに震えているのが見えた。
「君の言うとおりだ――」
「エドガー?」
「ナ、ナターシャ、君にはこれが見えないのか?」
「えっ、なに?」
「見えないんだな……」
「ふざけるのは無しよ!」
「ふざけてなんかいない。ナターシャ、今の南区は、南区は化け物の巣窟だぞ!」
* * *
「まだ見つからないのか?」
「はい。紛れを相当に注意深く張っているのではないでしょうか?」
「どんなに紛れを掛けようが、所詮は魔法職相手にしか効かない小手先の手段だ。いくら一般人の服装をしているとはいえ、王妃にその護衛役だ。南区の様な場所にいれば目立たぬ訳がない。もっともあの王妃は煮ても焼いても食えぬ人ではあるがな」
「やはり、あの者たちを追うしか方法がないようですね」
「そうだな。場所さえつかめればそれでよい。後はあの子たちが全てを終わらせてくれる。なに、最後は南区全部を巻き添えにするつもりでやれば何の問題もないのだ」
「仰る通りです」
「この国の行く末を決めるのはこの地の真の主であるべきだ」
「はい。ロストガル1000年の御代の為に!」
「ロストガル1000年の御代の為に!」